歌姫の話『祝いの歌』

加藤ゆたか / Kato Yutaka

祝いの歌

「誰か! あいつを黙らせろぉ‼」


 黒い波のような魔族の軍勢が、人間の国の兵士たちに向かって押し寄せる。

 牛の頭を持つ獰猛な魔族の戦士がにやりと笑みを浮かべ巨大な斧を振りかぶる。


「ぐあああ!」


 斧は人間の兵士たちにぶつけられ、兵士たち数人がいともたやすく吹き飛ばされる。

 ここは戦場。

 魔王が率いる魔族の軍団と、人間の国を防衛する兵士団がぶつかる地だ。


「あそこだ! あの歌を、誰か、止めてくれぇ!」


 人間の兵士の一人が指差す先には、魔王軍の本陣があった。

 その方向から戦場に響いている魔法の歌声が魔族たちに力を与えていた。

 歌声に合わせて魔族たちが力をふるう。

 魔族の力の前に人間たちはなす術なく無残に殺されていく。

 その歌声は清らかで美しく、戦場によく響き、その場にいるすべての者の心を魅了していた。

 後に戦場を生き延びた兵士の一人はこう証言したと言う。


「あの歌声がまだ耳から離れないんだ……。目の前で仲間たちが殺されているのに、俺はあの歌をずっと聞いていたいと思ってしまったんだ……。あれは悪魔の歌声だ……。」



 騎士ヘリオスは兵士の証言に関する報告書を読むと、執務室の机の上に報告書を放り投げた。


「……またあれか。」

「はい。例の悪魔の歌です。」


 騎士ミリアがヘリオスに答えた。

 報告書はミリアが持ってきたものだった。


「悪魔ね……。そんなもんじゃないよ、あれは。」

「ではいったい……?」

「歌姫がいるだけさ。」


 ヘリオスは椅子を半回転させて窓の外に視線をやった。

 その方角には魔王軍との最前線があった。


「……裏切り者のね。」


    ◇


 エレノラは馬車から降りると不機嫌そうに屋敷の入り口に立った。

 馬車の御者を務めていた馬の頭の魔族はエレノラが降りたのを確認すると、無言で馬車を発車させた。

 そうして魔族領の巨大な屋敷の前に人間の女がただ一人取り残された。



 やがて屋敷の入り口の扉が開いて、中から大柄なピンク色の肌の魔族の女性がエレノラを出迎えた。


「エレノラ、おかえり。」

「ダニー。遅いわ。はやくして。」

「はい、はい。」


 ダニーと呼ばれた魔族の女性が、エレノラの頭の上に手をかざして呪文を唱える。


「ケア。」


 続いてエレノラの胸の辺りに手を動かしてまた唱える。


「ヒール。」


 エレノラの体が光につつまれ、それが収まると、エレノラは「ふぅ」とひとつ声を漏らした。


「ありがとう。ダニー。」

「エレノラの世話はあたしの仕事だからね。」

「マルガレッタ。」

「こっちよ、エレノラ。」


 マルガレッタと呼ばれた細身の緑色の魔族の女性が、屋敷の中からエレノラを手招きする。

 エレノラはマルガレッタのいる前まで歩いていくと手を大きく広げた。マルガレッタは手慣れた様子でエレノラの身につけている帽子や上着を脱がせ、清潔で動きやすい服に着替えさせた。


「エレノラ。食べ物あるよ。」

「いつもの?」

「そう。エレノラのご指定のとおり。」

「ありがとう。マルガレッタ。」

「どういたしまして。」


 マルガレッタはエレノラの脱いだ服を抱えたまま答えた。この後洗濯に回すのだ。

 エレノラはマルガレッタと分かれ、そのまま食事の用意されている部屋に移動する。

 部屋に入ってきたダニーが食事に手を付けているエレノラに聞いた。


「どうだった? 戦場での『公演』は?」

「ロアがまた来週もって。」

「魔王様が。あら、じゃあまた準備しないとね。」

「こっちの都合も考えない。」


 エレノラはグラスに注がれたハーブティーを口に運ぶ。

 この場で用意されているものはすべてエレノラのノドを万全に保つために考えられた料理や食材だ。


「嫌なのかい?」

「……嫌じゃないわ。私の歌が求められているかぎりは歌おうと思うもの。」


 ダニーが「ほっ」と息を吐いて言った。


「エレノラ。今日はもう休むかい?」

「いいえ。ダニーにヒールをかけてもらったから平気よ。練習を開始するわ。次の『公演』はいつもと違う曲にしようと思うの。」

「そうかい。」


 エレノラはダニーに笑顔を見せた。

 その表情は無邪気で、まるで自分の歌が戦場で人間たちを殺しているなど知らないかのようだった。

 しかし実際にはエレノラは知っている。知っていて魔王に言われた通りに魔力を乗せた歌を歌っている。

 エレノラは歌を歌うこと以外に興味がない。

 だから魔族たちが人間を大勢殺した戦場から帰った後もこんな少女のような顔ができるのだと、ダニーは今では充分理解していた。

 ただ、その顔も皺が目立つようになったなとダニーは思った。

 エレノラはもう齢五十を超えていた。


     ◇


 エレノラの生まれた国ノルフェオは神話の時代から一人の歌姫を祀り、神の歌によって栄えた国であった。

 幼い頃にその才能を見いだされノルフェオの歌姫となったエレノラは毎日の生活が歌だった。

 朝のレッスンから夜の祈りの歌唱まで、決められた通りのスケジュールをこなす日々。

 エレノラには歌姫として最高の環境を用意され、歌のことだけ考えればよかった。

 エレノラが齢十八になった頃だった。

 その時エレノラは次の祭典で歌うための曲の選定に追われていた。いろいろな作曲者が国内外を問わずエレノラに歌ってほしいと曲を持ってくるのだ。


「エレノラ。国王様がお呼びです。」

「何かしら?」


 エレノラは知らなかった。


「エレノラよ。お前の歌は衰えを知らぬ。それどころかまだ成長を続けているように私は思う。」

「光栄です。国王様。」

「だからとても惜しいとは思うのだが、お前ももう十八になってしまった。」

「……はい?」


 国王は言った。


「私が相手を選んでおいたぞ。」

「……相手?」


 エレノラは知らなかった。ノルフェオの歌姫の行く末を。


「安心せい。相手は公爵家の次男じゃが、器量もよく剣の腕も確かで——」

(……結婚? 私が?)


 そこからエレノラの意識は虚ろだった。どうやって王の間から出たかも憶えてはいない。

 部屋に戻ったエレノラは泣いた。

 結婚よりも何よりも、自分が歌姫でなくなることが辛かった。


「私は歌うことしかできないのよ。結婚だなんて……。」


 歌姫のために用意された部屋は王宮の高い塔の上に作られていて、その夜は窓から月が大きく見えていた。


「何、泣いてんだ?」

「……誰?」


 エレノラが気付くと、窓際に黒い髪の少年が佇んでいた。


「俺はロア。あんたの歌のファンさ。」

「そうなの……。でももうすぐ聞けなくなるわ。」

「聞けなくなるって?」

「私、引退させられるのよ。」


 ロアと名乗った少年がつぶやく。


「引退ねえ……。」


 エレノラは自分で言った『引退』という言葉にショックを受けてまた涙を流した。

 ロアがエレノラに言った。


「あんたはどうしたいんだ?」


 エレノラは絞り出すように答えた。


「私はもっと歌いたい……。でも結婚したら歌なんて歌えなくなるわ。貴族の家に嫁ぐのだもの。私、歌うこと以外何もできないのに。」

「じゃあ決まりだな。」

「え?」

「俺があんたをここから連れ出す。」

「ええ?」

「あんたはこれから俺のためだけに歌ってくれればいい。」

「そんなこと——」

「できるさ。俺は魔王だからな。」


 ロアが背中の黒い羽を広げ、金色の瞳を光らせて言った。

 ノルフェオは、その夜一人の歌姫を失い、十数年後に魔王軍に滅ぼされることになる。


     ◇


 マルガレッタがエレノラの部屋を訪れるのは珍しいことだった。


「どうしたの? マルガレッタ。」

「エレノラ。お願いがあるの。」

「お願い?」


 緑の肌のマルガレッタは魔族としては小さいが、エレノラと並んで立つと頭ひとつ分は背丈を抜いている。


「エレノラが忙しいのはわかってるんだけど、今度私、結婚することになったのよ。」

「まあ、それはおめでとう。」


 エレノラが魔王ロアに連れてこられて三十年余りが経過している。その間も魔王軍と人間との戦争は継続中であったが、ここ十数年は魔王軍の優勢で、魔族たちの社会にも一時の平穏な日々が訪れていた。

 エレノラの体調の管理を魔法でサポートするダニーは三十年ずっとエレノラの面倒を見てくれている。だが、身の回りの世話をする魔族は何人か交替があった。担当がマルガレッタに代わったのはほんの五年前のことである。


「……じゃあ今日はあなたのために歌おうかしら。」

「いいの? エレノラ?」

「ええ。」


 エレノラは両手を胸の前で組むと目をつむり歌い出した。


 ——祝いの歌。


 今は亡き故郷で、エレノラはいつも結婚式ではこの歌を歌っていた。

 マルガレッタがうっとりとエレノラの歌に聴き惚れている。

 エレノラが歌い終わるとマルガレッタが言った。


「ありがとう、エレノラ。私、幸せになるわ。」

「ええ。きっとなれるわ。」


 きっとマルガレッタも今までの世話係と同じように、結婚してしばらくしたら担当から外れるのだろう。マルガレッタはエレノラの世話をするためだけに生まれてきたのではない。自分の幸せを選ぶ権利がマルガレッタにはある。家庭に入り、夫につくし、子供を作り、自分以外の誰かのために時間を使う。

 それを幸せだと思う権利が彼女にはあるのだと。理解しているはずなのに、エレノラの心には冷たい隙間風が吹いているかのようだった。

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歌姫の話『祝いの歌』 加藤ゆたか / Kato Yutaka @yutaka_kato

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