第6話

 梅雨の晴れ間、始業前の教室でのことだった。

「うわ、なんだよこのノート」

「落ちてたんだよ、今日の朝、床に」

 男子数人が輪になり、なにやら見て騒いでいるようだった。

「げっ、字が多すぎてページ真っ黒じゃん。『闇は不滅の魂の躍進をはばむものではない』、『昼の光に、夜の闇の深さが分かるものか』……? 呪文みたいなのがいっぱい書かれてる。――呪いの言葉かなんか?」

「触ったらヤバいやつじゃね?! こえー」

「七不思議にこんなん無かったか? 見たら祟られる“呪いのノート”!」

 それまで自分の席でゲームの攻略本を読んでいた修司の耳は、それらの会話に反応を示した。妙な予感がした。

 輪の中に体を押し込んで覗いてみると、残念なことにその予感は的中していた。

 取り囲まれ注目を浴びている大学ノートを埋める、右上がりの躍動感ある文字。確実に見覚えがあった。

 放っておくと騒ぎが大きくなりそうだ。

(――えっと。この場合、オレはどうするべきなんや?)

 瞬時に脳内会議を開いた結果、行動に出た。

「あー、それ、オレのやから。うっかり落としてたみたいやわ」

「悪いな、騒がせて」と言いながら、さりげなく手に取る。

「丹羽の!? 嘘だろ。おまえ、こんなん書かなさそうじゃん」

「いやいや、意外とオレのやねんなコレが」

「ほんとかよ? てか、なんだよこれ、意味わかんねえ。字ぃビッシリで恐いし」

「……ゲームに出てくる……セリフを書き写してん。かっこいいから」

苦しい言い訳をしてみる。誰とも目は合わせられない。

「えー、なんのゲームだよ。そんなセリフ聞いたことねえぞ」

「小六のくせに中二病かよ」

「……大阪で流行ってたやつやから、みんなは知らんかもな」

「大阪だけで流行るゲームってなんだよ」

「……RPGで、各地に隠された、幻のたこ焼きのレシピを」

「は? 絶対クソゲーだろそれ」

 これ以上は無理だ、と悟った修司は大声で叫んだ。

「多田野―!! おまえ今日、日直やんなぁ?! 廊下にでっかいゴミ落ちてたから、先生来るまでに拾っとかなアカンのちゃうか?」

 そして、そそくさと場を去り、少し離れたところに佇んでいた多田野の背中を押しながら廊下に出た。もちろんノートはしっかり懐に収めたままで。

「あ?」

 わけがわからないという様子の多田野だったが、勢いに飲まれてそのまま廊下についてきた。

「ゴミなんか無いじゃねーか」

 そう呟いた多田野は、三拍ほど置いてからハッとして言った。

「あっ。それにオレ、昨日だったんだけど。日直」

 そこでちょうど先生が到着して一時間目の授業が始まった。

 彼がバカでいてくれて良かったと思った。



 昼休み。

ウサギ小屋で、本当の持ち主にノートを返した。

 矢神は、普段しゃんと伸ばしている背を心なしか縮め、頬を赤らめてそれを受け取った。

「……かたじけないわ」

 表情自体はそんなに動かさないけれど、どうも恐縮しているらしい。

「ええって。オレも、まえに扉開けっ放しにしてた借りがあったし」

「ここに持ってくるはずだったノートと、取り違えて鞄に入れていたようなの。あまつさえ、それを落としてしまっていたみたいで……この上ない不覚だわ」

 切腹前の武士みたいに肩を落としている。

 よくわからないが、いつもピイちゃんに蘊蓄などを語るためにウサギ小屋に持参しているネタ帳とは、また違う種類のノートらしい。そしてそれを他人に見られるのは、やっぱり恥ずかしいらしい。


 掃き掃除も終わり、ピイちゃんがキャベツの葉を囓るのを眺めながら、二人、フェンスのそばに横並びで立っている。

 修司はためらいつつも、好奇心に負けて口を開いた。

「あの、さっきのノートさ……すごい、いろんな言葉が書かれてたけど」

 尋ねていいものかどうか、少しドキドキしたが、きいた。

「どういうノートなん?」

(いくらなんでもホンマに呪いのノートじゃないやろうし。……そうじゃありませんように)

 その問いかけに、口を一文字に結び固まってしまった矢神は、「助けてもらったものね……」などとブツブツ言ってから、なにか覚悟を決めたように一点をキッと見据え、深呼吸して、ゆっくりと声を発した。

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