冷蔵庫で保管してください

@nyankone

冷蔵庫で保管してください

 やっぱり、この時間のレース越しの光がいちばん映える。


 白いマグカップから立ち上るカフェラテの湯気を、美優はカメラ越しに確認した。

 部屋の奥行きが綺麗に映り込んだ自信作、今日も完璧だ。


「#今日も幸せ #おうちカフェ #手作りスイーツ」

 投稿ボタンをタップすると、すぐに「いいね」が次々とつく。

 フォロワーはもう一万を超えている。

 中高時代からの友人たちは、子育てに追われてSNSどころじゃないのか、反応は薄いけれど、そんなのどうでもいい。

 いまは、私の方が“上”なんだから。


 リビングの大きな窓から差し込む光を見上げながら、美優は満ち足りた笑みを浮かべた。

 結婚と同時に夫に買わせたマンションは、立地にこだわったので査定額は落ちていない。

 むしろ値上がりしてるんじゃないか。

 私はセンスがある。

 ぽかぽかとしたリビングで、娘の莉子が生成りのワンピースを着て、ぬいぐるみを抱きながらテレビを見ている。


「莉子、可愛いね〜 ママのお姫様だよ」

 声をかけながらも、美優の意識は次の投稿ネタに向いている。

 これをストーリーに上げれば、また「いいね」が伸びるはず。

 SNSで幸せそうに見せることが、なによりのステータスだった。


 ふと視線をキッチンに移した。

 そこでは夫の悠人が、資格勉強用の参考書を広げていた。


「ねぇ、今年こそ公認会計士の試験受かるよね?」

「……ああ、まぁ頑張ってるよ」


 美優は、わざとらしく悠人の背中に手を沿わせながら続けた。

「だってさぁ、受かればもっと年収も増えるでしょ?

 そうしたら、莉子に妹か弟も作れるし、そろそろ新しいマンションもいいんじゃない?

 ね、海外も行きたいよね、悠人は外資に転職して現地勤務とかさ、莉子には本物の英語に触れさせたいし」

 悠人は少しだけ眉をひそめたが、否定はしなかった。


 その反応が、美優には「賛同」として都合よく変換される。

 私たちはきっと、もっともっと良くなる。

 まだ手に入れてもいない未来を、当然のように計算に入れていた。


 ポロンと通知音が鳴る。

 自分の閲覧数トップの投稿が、大台に乗ったらしい。

 一番人気は海外ブランド非売品の子供服で、常に見知らぬ人の、分かりやすい欲望を引き付けて閲覧数を伸ばしている。

 特に、旧友の真奈からのプレゼントが人気だ。


「美優の姫なら絶対似合うと思って」

「莉子ちゃんに着せてあげて」

 真奈はいつも優しく、尽くすタイプだった。

 それはかつて、真奈の弟・海翔と付き合っていたときにも強く感じていた。

 彼も、どんなわがままも笑顔で叶えてくれた。

 だから、あのときも自然に思ったのだ。


(私が本気を出せば何でも本当になる)

 そして実際、なった。

 最初は「ごめんね、真奈」と口では言ったけど、正直なところ罪悪感なんて一瞬で消えた。

 だって夫は―—悠人は、旧友——真奈にはもったいなかった。


「悠人は私が幸せにしてあげる」——そう思えば、なにも悪くない。


 はじまりは、真奈の紹介だった。

 当時、真奈は悠人と付き合っていたが、美優はひと目で「この人は私のものになる」と確信した。

 そして、うまく言葉を選んで、誘導した。


「相談したら心配してくれて…優しいんだね、さすが真奈が選んだ人」

「わたしストーカーされてるの。

 警察に相談しようかな…付きまとってるのは、真奈、あなたの弟…みたい。

 だから、美優には直接言えなくて…」

「悠人とは家まで送ってもらっただけだよ」

「…ほら、恋愛ってタイミングだよね?」

「こんな事になっても、真奈と友達でいられるのは私ぐらいだよ!分かってる?」


 悠人はか弱き被害者の私を選んで、真奈は泣きながらも身を引いた。

 笑えるのは、真奈の弟は自分がストーカー扱いされているとは考えもせず、本当にプロポーズして来たほどだ。

 さすがに受け取れなかったが、今思えばもらっておけば良かった。

 あのブランドなら、それなりのコレクションにはなっただろう。


 損をした気分がして、ため息が出た。

 キッチンカウンターに肘をつきながら、夫の背中を見据えたまま、先日と同じ言葉を繰り返した。


「……ねえ、もっと早く帰ってきてくれない?」

 夫の手が一瞬だけ止まる。

 だが、視線は上げず、集中しているふりを続ける。


「莉子のことだってそう。毎日遅いから、全部私ひとりでやることになるんだよ?」

「……」

「たまに早く帰ってきたら、私の話くらい聞いてよ。あなた、私が子育てに疲れてるって分かってるよね?」


 夫の、参考書に添えた手に余計な力が入り、くしゃりと折れた。

 そのままページを荒々しく閉じ、顔を上げる。

 唇の端が小さく震えていた。

 言い返そうとした言葉が喉元まで出かかって──しかし、私と目が合った瞬間、何かを飲み込んだように喉が動いた。


 ──何その表情、笑える。

 悠人は、ひどくゆっくりと立ち上がった。

 椅子が鈍い音を立てる。


「……分かったよ。莉子を遊ばせてくるよ」

「……遊ばせてくる、じゃなくて」

 美沙は低く言葉を差し挟む。


「一緒に遊ぶ、でしょ?」

 夫は返事をしなかった。

 娘の手をとり、逃げるように玄関へ向かい、靴を履かせる。


 ドアが閉じる音──そして、静寂。

 美優は深く息を吐き、ソファに身体を預けた。

 不満と同時に、胸の奥に小さな達成感が広がる。


 当然よ、と心の中で呟く。

 ──あの人には、償う義務がある。

 視線は、棚の上に置かれた小さなフォトフレームに吸い寄せられる。

 そこには、娘が生まれる前に妊娠していた、生まれなかった子のエコー写真が飾られている。


 私の初めての妊娠。だけど──産めなかった。

 あの日、夫が「君のお気に入りでしょ」と淹れてくれた、ローズマリーのハーブティー。

 後日、救急搬送先で流産した病室で、「妊娠中は良くないらしいよ」と後で友人に聞かされてから、私の中でひとつの物語が出来上がっていた。

 ──あの人が私に、あのハーブティーを飲ませたから。

 産院で医師に「直接の原因じゃない」と説明されても、譲らなかった。


 罪悪感を背負ってほしい。

 私の喪失を忘れないでほしい。


 夫はそのことを良く分かっている。

 だから、彼は逆らえない。

 あの日以来、二人の間では、暗黙のうちに役割が決まってしまった。


 被害者である私。

 加害者である夫。


 ──公園から、娘の笑い声が遠く響いた。

 私は笑みを浮かべながら、スマホで新着メッセージを確認した。

 真奈からだ。


「今年の子供服ね、うちのブランドからまたサンプル届くから」

 思わず口角が上がる。

 今年はどんなプレゼントが届くのか、その写真を載せればフォロワーが食いつくことは間違いない。


 私達の結婚の後、真奈は人間関係をリセットするかのように海外へ移住した。

 結構有名な服飾ブランドに入って、キャリアを積んでいる。

 そこで出た、商品化の前にはじかれた子供服を、莉子の誕生日に合わせて一着届けてくれるのだ。

 サンプルだから一点もの。非売品だから絶対売らないでねと釘を刺されている。


「ほんと、真奈ってできた友達だよね……」

 小さくつぶやきながら、ハッシュタグの案を頭の中で並べていく。

 そうだ、今までの服を並べてみたら面白い写真が撮れるかも。

 思い付きに胸をはずませ、子供部屋へ急いだ。


 ピンポーン。

 インターホンが鳴き、宅配が届いた。


 年に一回の国際便パッケージを開封すると、華のような真っ白なドレスが広がった。

「すごい……!今までで一番じゃない?」

 SNSに踊る羨望の予感に身が震えた。

 そうだ、今まで届いた子供服を並べて、リール動画を撮ろうか。

 思いついた私はクローゼットへ走る。

 テーブルに七枚の小さな服を一列に並べ、一心不乱にスマホを構えた。


 そのとき、テレビから緊迫した音声が耳に入った。

 《速報です。現地時間で昨夜遅く、アメリカ〇〇州北部で大規模な山火事が発生……》


 え? と思い、無意識にボリュームを上げる。

 画面には、炎に包まれる山林と放水ヘリの映像が映っていた。

 テロップには、真奈が住んでいるエリアの名前がはっきりと出ている。

 胸がざわつき、すぐにスマホを握りなおす。


 イメージアップになる、という言葉のほうが「心配」より先に浮かぶ。

 私は迷わずポストする。


「心が痛みます。

 真奈、無事でいて!みんなで祈りを。」


 ハッシュタグを整える。投稿。すぐに「いいね」が跳ねた。

 友人を心配している私を……私を心配してくれている。

 次は、真奈に連絡しようか。

 多分、無事だろうけど。


 その時、SNSのタイムラインで別の通知が流れてきた。


「#子供服考察」というタグがついた投稿だ。

 @kanegane_910

 投稿に頻出する“子供服”って、意味があるんじゃない?

 あのブランド、結構前にキッズラインから撤退してるよね


「……え?」


「#子供服考察」が伸びていく。

 @mimimi_kids

 ねぇ、この子供服の刺繍って…単語つなげると文章になるっぽいよ?

 @nanaco88

 え、なにそれ怖い!気づかなかった

 @rika_home

 マジでやばい。ほら、ロンパースの胸元の“Sweet Dream”から順に読んでみて


 リビングの蛍光灯が、低い唸りを立てていた。

 テーブルに並ぶ、七枚の小さな服。

 どれも、旧友の真奈から毎年届いた愛らしい贈り物だ。


 炎上対応は心得ている。

 フォロワーの考察は、気にするそぶりも見せず、否定も肯定もしない方が良い。


 だがそんな事より今は、考えが勘違いだと確認したかった。

 一番古い、白いロンパースを手に取る。胸元にはピンクの刺繍。


 Sweet Dream …甘い夢を


 そのとき、ふと脳裏に、七年前の電話の声が蘇る。

 ――「赤ちゃんできたんだね。いいなぁ、可愛い服見つけたら送るね」

 弾む声だった。

 あの頃の真奈とは、まだ電話口で声を交わしていた。


 次の年のミントグリーンのワンピース。襟元の文字は…


 Sleep, Little One. …眠れ、小さな子よ


 私は震える息を吐き、三着目を広げる。

 背中に羽のアップリケのある冬用ロンパース、もこもことした素材のミトンがセットになっている。

 右胸に小さく刺繍があった。


 Angels Won’t Watch. 天使は見守らない…?


 意味を理解した瞬間、胸の奥が冷たくなった。

 同時に、あの夜のことがよぎる。

 出産後に眠れない日が続き、海外ならば昼だろうと、深夜に真奈に電話した。


「赤ちゃん、夜泣きがひどくて…もうこんな子育てられない…」

 すると、彼女は妙に低い声でつぶやいた。

 ――「産むのは自分で選んだのに、贅沢。

    母親でしょ、しっかりして。」

 当時は私への激励だと思った。

 けれど、これは…違うのかもしれない。


 四着目。

 レモンイエローのドレス。袖口の切替しに刺繍がある。


 You Can’t Hear. あなたには聞こえない…


 喉がカラカラに乾いた。

 頭が混乱する中で、さらに別の通知が重なる音がする。


 五着目のラベンダーのワンピース。

 黒いリボンには微かな文字。


 The Door Will Open. 扉は開く


 ――そういえば、数年前。

 真奈からメッセージが来たことがあった。

「もう疲れた

 私に謝ること、ない?」

 仕事を少し休んでみたらと励ましたが、既読はつかないままだった。


 六着目。

 ペールブルーの小さいエプロンに、野菜と果物の線画にまぎれて同色の刺繍がある。


 The Knife Is Waiting. ナイフは待っている


 私は吐き気をこらえた。

 彼女はずっと、何かを計画していた?

 それとも、単なる刺繍?


 最後の今日届いた一着、真っ白なフリルワンピース。

 まるで結婚式のドレスのような純白。

 襟元、タグの下に、極小の文字が血管のように糸で縫い込まれていた。


 Someday, You’ll Join Me. いつか、あなたと一緒になる…


 リビングの床に、年齢順に一列に並べる。

 布が光を返して、刺繍の糸が淡く光る。

 指でたどる。声に出さないように、唇だけを動かす。


 Sweet Dream,     甘い夢を

 Sleep, Little One.    眠れ、小さな子よ

 Angels Won’t Watch.  天使は見守らない

 You Can’t Hear.     あなたには聞こえない

 The Door Will Open.   扉は開く

 The Knife Is Waiting.   ナイフは待っている

 Someday You’ll Join Me. いつか、あなたと一緒になる…


 ……単語じゃない。文だ。


 視界がぐらりと揺れる。

 この服たちは、娘に贈るためじゃなかった。


 私に向けたメッセージだったのだ。

 真奈は、私のことを、ずっと許していなかった。

 通知音が止まらない。

 フォロワーがどんどん考察を投げてくる。


 @fluffy_life

 これって殺害予告? 逃げてー!

 ってもうやられちゃった?www

 @mama_journal

 恨み買ってそうって思ってたけど、やっぱりね…


 タイムラインは一斉に私を囲み、笑い、煽り、見物していた。

 画面の向こうのフォロワーたちは、みんな、急に敵になったみたいだ。

 画面が震える。

 まるで、最初から“この瞬間”を待っていたかのように。


 悔しさから、投稿を消そうと決心したその時、リプが刺さった。


 @oz_jp_community

 ご存知ないかもしれませんが、パタンナーの真奈さんは数年前に亡くなっています。

 現地の日本人コミュニティでは周知の事実です。


「え?」

 画面を二度見する。指が勝手にDMを開く。

 送信者は、現地の掲示板や追悼ページのスクショを貼ってくる。

 日付。献花。英字の名前。


 私の頭の中で、真奈の声が遠のく。


 ついさっきも本人からメッセージが来た。

 去年も“遊びに行きたいな”とメールをやり取りした。

 じゃあ、今まで届いていた服は?


 そこに、たたみかけるように別のDMが届いた。

 見知らぬアカウントからだった。

 

 @recode_5110

 子供服の型番見てみなよ

 “MA-7”

 “真奈”って読めるでしょ


 服を引き寄せる。

 一枚、また一枚と、服を裏返しタグを確認していく。


「MA-7_CZP」

「MA-7_ZP_T」

「MA-7_789111」……


 なんで、全部“MA-7”で始まってるの?

 呼吸が浅くなる。

 答えを求めて、吸い寄せられるように、この見知らぬアカウント@recode_5110をタップした。

 表示されたのは、たった一行のプロフィール文。


 "閲覧は相互フォローの方だけにしてます"


 だが、そこには“フォロー中:1”と表示されていた。

 その“1”を押すと…

「……この人がフォローしてるのは、私…だけ……?」


 震える指で、「フォロー」ボタンを押した。

 この広いネットの中で、私だけをフォローするこの人物は誰なのか、知りたかった。


 一瞬の間のあと、閉ざされていた投稿群が一気に解放された。


 一番上の固定ツイート。

 日付は──三年前。


 “今日の日を忘れない。

 姉さんから話を聞いた。

 僕がストーカーしたから全てがダメになった。

 そう告げられた”


「……姉……?」

 読み進めるうちに、胃の奥がぎゅっと縮んでいく。


 “姉さんは美優を誤解してる。

 理解し、許し会うのが友達じゃないのか。“


 “姉さんを苦しみから解放してあげた。"


 指先が汗で滑る。

 画面をスクロールするたび、言い訳を重ねるように、次々と投稿が突き刺さってくる。


 ”この先のプレゼントは僕が引き継ぐ。

 誰にもゆずらない。“


 “今日終わる。やっと、彼女とあの子に会える。”


 胸の奥で、何かが壊れる音がした。

 視界の端で、古い写真立てがかすかに揺れた気がした。

 エコー写真のあの子は…

 真奈の弟との子だった。

 

 だから、わざと流産したのだ。

 ハーブティーによる夫の過失なんか、後付けだ。


 ――ガチャリ。

 ドアノブが、音を立てた。


「あ……お帰り」

 夫と子供が公園から戻ったのだと思い、玄関に目を向ける。


 だが、そこに立っていたのは

 宅配業者の制服を着た男だった。

 キャップを深くかぶり、顔の半分は影に隠れている。

 だが、鼻筋、顎のライン、見覚えのある肩幅。


「……ッ」

 喉が引きつり、声にならない。

 男はゆっくりと片手を差し出した。


 小さな、青いリングケース。

 茶色くしぼんだ、ドライフラワーの花束。


 一瞬、意味が分からず、私は固まった。

 受け取るべきか、拒むべきか、脳がうまく働かない。

 男はにじり寄りながら、低い声で言った。


「前は、受け取り拒否したよね。」


 確かにあの時、この男からのプロポーズの指輪と花束を、私は笑いながら払いのけた。

 記憶の中、舞い散るバラの花びらが浮かび上がった。


「な……なんで、今さら……」


 男はかすかに笑った。

「ずっと、ずっとずっと……

 腐らないよう冷蔵で大切に保管してたんだ」


 カサっと乾いた音をたてて、花束が足元に落ちる。

 代わりに、ナイフの鈍い光が目に入る。


 Sweet Dream,     甘い夢を

 Sleep, Little One.    眠れ、小さな子よ

 Angels Won’t Watch.  天使は見守らない

 You Can’t Hear.     あなたには聞こえない

 The Door Will Open.   扉は開く

 The Knife Is Waiting.   ナイフは待っている

 Someday You’ll Join Me. いつか、あなたと一緒になる…


「"再配達"だよ」


(完)

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