ありがとう

きび

第一話

 私が通っている町立みどりヶ丘中学校は平和学習に力を入れていて、毎年夏になると体育館で講演をする。


 というのもみどりヶ丘中の校舎がある場所には、戦争当時は香坂尋常小学校の校舎が建っていて、戦争末期の空襲で焼け落ちたという過去があるからだ。


 その際に10人以上の人が犠牲になったとかで、その悲劇の記憶を忘れないためにと、私たちは同じ話を毎年毎年聞かされる羽目になっている。





 当時からB‐29による爆撃中は、木造の建物からは離れなければならないということは知られていたらしい。


 でもその日小学校の校舎に逃げ込んだ人たちは、きっとものすごく怖かったんだと思う。


 校庭に造られた防空壕に入りきれず、仕方なく校舎の中に入った十数人の人々を、投下された焼夷弾が直撃したのだ。


 校舎の屋根を突き破った焼夷弾が床を直撃し、中の爆薬に点火。


 白燐と粘性ガソリンの混合液が周囲にまき散らされ、瞬時に着火し猛烈な勢いで燃え上がる。


 十人以上いた避難民は殆どが一瞬で火だるまになり、人型の松明のような姿になって、やがて倒れた。もっと悲惨だったのは中途半端に燃焼剤を被った者たちで、水でも消せない数千度の炎に取り憑かれ、骨まで焼かれる苦痛にのたうち回りながら死んでいった。





 そこまで聞いたあたりで、私は気分が悪くなった。


 先生に言えば保健室で休ませてもらえることはわかっていたが、そうしたくなかった。語りをしているボランティアを喜ばせることになるからだ。


 平和学習の授業を担当するのは地域ボランティアのおじいさんで、普段は何をしているのか知らないが、地域活動には必ずやってくるという人だった。

 

 本人は戦後生まれでありながら、まるで見てきたかのように戦時中のことを語っては、説教じみた訓話を話すのが何よりの楽しみという人物。とくにこの空襲の話は悲惨に話さなければいけないという使命感でも持っているのか、とにかく残酷に、グロテスクな話をして生徒を怖がらせることに余念がなかった。


 気分を悪くした生徒が退出すると、自分のすべき仕事をしたとでも言いたげな、とても満足げな顔で頷いていた。そのことに暗い喜びさえ覚えているように見えて、私はその人がとにかく嫌いだった。


 そんな人を喜ばせたくはないので、我慢して最後まで話を聞くことになるのだが、困ったことに私はこの手の話が大の苦手なのだった。


 昔から痛そうな話や、つらそうな話を聞くと神経が過敏に反応してしまうのだ。友だちが爪を剝がした時の話を始めたときは思わず耳を塞いでしまったし、そういったニュースやドキュメンタリーすら見たくないので、テレビでそうした番組が始まるとチャンネルを替えてもらうこともしばしばだった。


 「あんたそんなんじゃあ、この先社会に出たとき生きていけないよ」


 そう言ってお母さんに呆れられる程だったが、苦手なものは苦手なのだ。私がうつむいて黙り込むと、決まってお父さんが助け舟を出してくれた。


 「そういう話が苦手なのは、千夏がほかの人よりずっと優しいからだ。千夏は頭がよくて共感性が高いから、人の気持ちがよくわかるんだ。だからそのぶん、つらい人の気持ちになって苦しんでしまうんだよ」


 お父さんは優しく私の頭をなでながら、ちょっと眉を顰めてみせた。


 「千夏がつらい気持ちを分かってあげることで、救われる人はきっとたくさんいるし、それは素晴らしいことだ。でも、世の中には千夏のやさしさにつけこもうとする悪い人もいる、お母さんはそれが心配なんだよ」


 それから、私はそういった話を避けることをやめた。自分の共感性とやらに、自分の弱さに負けたくないと思ったのだ。優しい人になるには、まず強くならなくちゃいけないと思った。


 それもあって無理して話を聞いたせいだろう、その日、妙な夢を見た。




 夢の中で、私は大人に手を引かれて走っていた。


 あちこちで上がる悲鳴に怒号、みんながみんな必死の形相で、ここではないどこかに向かって駆けていた。


 空が赤く染まっていて、夜なのに夕暮れ時のように見える。空気に混じる焦げ臭い臭いから、どこかで何かが燃えているのが分かった。


 「いそいで、あや!」


 自分の手を引いている大人が叫んだ。おかあさん、と自分の口からつぶやきが漏れた。


 いやだ、そっちにはいきたくない、だってそっちに行ったら、私は───


 


 そこで、私は目を覚ました。息が荒く弾んでいて、クーラーが動いていたのに、背中がぐっしょりと汗で濡れていた。


 学校で、休み時間に奇声を上げながらじゃれあう男子たちをぼんやりと眺めながら、私は考えた。


 あれは戦争中の、それも空襲の夢だろう。


 それにしても、リアルな夢だった。漂う焦げ臭さや人々の焦燥といった空気まで、まるでその場にいるように感じられた。


 あんな夢を見るなんて、やっぱり意地になって話を聞いたのがよくなかったのだろうか?


 その時はそう考えただけで、大して気に留めていなかった。


 その日から、毎日同じ夢を見るようになるまでは。





 喧騒と悲鳴、鳴り響くサイレンの中を必死に走り、学校にたどり着く


 地下防空壕の前にはすでに人だかりができていた。そこにいる人たちの表情を見ただけで、自分たちが入るスペースがないと分かった。軍需工場で働く女工とその子供の数に対して、防空壕が絶対的に足りていないことは、それ以前から懸念されていた問題だったのだ。


 どうしようもなくなって、人だかりは自然と小学校の校舎に向かった。火事が起これば危険なことはわかっていたが、屋根がない場所にいることは、どうしても心細くて出来なかった。


 「ルメイのやつめ」


 一緒に校舎に入ったおじさんが憎々しげに吐き捨てる。私はといえば、必死にその場から離れようとしていた。ここにいてはいけない、そう思う思って必死に身をよじるけど、傍らのおかあさんは手を離してはくれなかった。


 「大丈夫よ」


 そう言われ、抱きしめられると何も言えなくなってしまった。このまま目を閉じてしまいたいという思いと、ここに居ることへの恐怖がせめぎあう。



 ───たすけておかあさん、ここにいちゃいけないの。ここに、ここにもうすぐ爆弾が落ちてくるの!!


 


 悲鳴を上げた。


 飛び起きた私はしばらく錯乱していたらしく、何事かと部屋にやってきたお母さんになだめられて、正気を取り戻すのにもしばらくかかった。


 お母さんに背中をさすってもらいながら、お父さんが話している言葉を聞くともなしに聞いていた。よくある思春期のせん妄だと思うけど、何日も続くようなら病院に行って診てもらったほうが良い、とりあえず明日は休ませて様子を見よう。


 朝までほとんど眠れなかったが、その日も私は学校に行った。お母さんたちは休んでもいいと言ったが、学校で調べたいことがあった。


 クラスメートの柊さんは親が放任主義らしく、クラスでは珍しくスマホが無制限に使用できる。


 もちろん学校で触ってるところを先生たちに見つかるのはマズいが、休み時間なんかには頼み込めば使わせてもらうことができた。人呼んでインターネット柊、情報化社会に翻弄される中学生にとって、誠にありがたい存在である。


 「調べもの?ならいいけどさ、あんまり変なもの見ないでよね」


 柊さんにお礼を言って、スマホを使わせてもらう。検索するのは香坂尋常小学校爆撃の被害者について、去年の平和学習で調べたからわかる、町のホームページに詳細な情報があったはず。


 「町の歴史」のページから「戦争中のくらし」に飛び、「戦争末期の夜間空襲」の欄を見る。香坂尋常小学校の推定被害者リスト、人数が十数人とあいまいなのは避難民の中心で焼夷弾がさく裂したからで、死体の多くが原形をとどめないほどに炭化していたためだ。


 顔をしかめつつも、名前をひとつづつ確認する。近松宗助、夏川志津恵、中村正子……。


 「見つけた……」


 中村あや。そうだ、自分はあの夢の中で、母親らしき女性からあやと呼ばれていた。


 「夢じゃ、ない……?」


 あれがただの夢ではないと意識した途端、背筋を悪寒が這い上がってくるようだった。いやまて、落ち着け、まだ偶然かもしれない───


 ふと思い立って、もういちど検索してみることにした。検索欄に打ち込んだ文字は「ルメイ」、夢の中で、避難していたおじさんが口にした言葉。


 「…………」


 ヒットした。太平洋戦争中のアメリカ軍人。日本の市街地に対する無差別爆撃を推進した人物で、当時の日本人から「鬼畜ルメイ」と忌み憎まれた存在だった。


 誓って、私の知らない人だった。


 膝から力が抜け、その場にへたりこんだ。


 柊さんが突然うずくまった私を心配する声が聞こえたが、返事もできなかった。恐怖で内臓がぎゅっと苦しくなり、顔を手で覆って俯いてしまう。


 ───あれは夢じゃない。




 放課後、私は教室の床に座り込んでいた。


 塾のない日は久しぶりだったが、とても遊びに行けるような状態ではなかった。


 家に帰るのも怖かった。眠るのが怖い。眠ったらまた、あの夢の続きを見てしまう。


 気が付くと、空が赤く染まり始めていた。もう6時近い、学校が閉まったら困ることになる。


 校舎から出ようとして、ふと体育館が目に入った。


 ───あの日、あそこで講演を聞いてから、あの夢を見るようになった。


 体育館に入る。放課後はバレー部が練習に使っているのだが、もう皆帰った後のようで、薄暗いアリーナはがらんとしていた。


 なんとなく、講演を聞いていた時に立っていた場所に向かう。学校行事で体育館を使う際の並び順はほとんど固定なので、だいたいの場所は並んでなくてもわかる。


 いつもの定位置に立って、周囲を見渡す。緞帳の掛かったステージを見て、ふと思った。


 そもそも、あんな講演を聞いただけで、恐ろしい夢をみるなんておかしくないだろうか?


 戦時中を生きていたわけでもない、あのいやらしい地域ボランティアの話がきっかけで、呪いのような怪奇現象に見舞われるなんて、そんなことがあるだろうか?


 ない、と思う。あのおじいさんに、そんなご大層な何かがあるなんて、とても思えなかった。


 じゃあなんで、と思ったところで、体育館の窓から校庭の脇に植えられた松の木が見えた。


 ぞくり、と背筋が泡立った。その木の姿に見覚えがあったのだ。


 夢の中で。


 恐る恐る、でも食い入るように必死に、小さな窓から見える松の姿を見つめる。その枝ぶりや後ろに見える山の稜線を確認する。


 ここだ(・・・)。


 この場所だ。80年前のあの日、彼女は、まさに此処にいたのだ。


  私はその場にへたり込んだ。体育館の床に触れる。樹脂製の塗料が塗られた床はつるつるとしていて、当時のそれとは似ても似つかない。


 それでも彼女は、中村あやはここにいた。おそらくはこの場所で、母親に抱かれたまま───。


 思わず、私は目を閉じて手を合わせた。これまで生きてきた中で、最も真剣に、かつてこの場所で焼け死んだ少女のために祈った。



 ───ありがとう


 どのくらいそうしていただろう、ふとそんな声が聞こえた気がして、私は顔を上げた。


 気づかぬうちに、頬が涙で濡れていた。あれからどのくらい経ったのか、いつのまにか陽が暮れて、周囲は闇に包まれていたが、恐怖はなかった。誰も体育館の鍵を閉めに来なかったことについても、疑問には思わない。不思議なことは、あるのだ。


 家に帰ると、あまりに帰りが遅いとお母さんにたっぷり叱られたが、笑ってごめんなさいと返した。朝までとはうって変わって明るい様子の私に、お母さんは毒気を抜かれたようで帰ってきたお父さんと顔を見合わせていた。


 私はもう一度笑った。


 もう怖くない。















 また、爆音が聞こえた。窓の外に見える空、夜中なのに松の木が枝ぶりまではっきりと見える。


 あちこちで火が燃えているからだ。可燃性のあらゆるものが燃え上がり、延焼が広がり続けている。空は朱く、不気味なほどに明るかった。


 「なんで……」


 思わず呟いて、そのことに驚いた。自分の意思で喋れたことと、自分の口から出た、自分のものではない幼い声に。


 むちゃくちゃだ、あちこちから火が出てる、ここもやばい、どうすりゃいい。


 周囲の大人たちの言葉はどんどん緊迫感を増し、際限なく不安と恐怖が高まっていく。パニックを起こした人々の中で、私はどうしようもなく恐怖する。


 咄嗟に走り出し、その場から逃れようとする私を、誰かの手が掴んだ。


 必死にもがく、手を振りほどいて逃げようとするも、恐ろしく大きい大人の手が私を捕らえ、押さえつけられてしまう。


 「大丈夫よ、あや。大丈夫だから……」


 いやだ。死にたくない、たすけてお母さん。違う、違う違う、これは違う。ありがとうなんで、なんでなんで、もう終わったはず、もうみないはず、ありがとう、ちがうこれ夢じゃないありがとう、だって私は、ちがう、ありがとう、そんな名前じゃない、わたしはありがとうありがとう、ほんとうにありがとう







 









 そして「私」は目を覚ました。


 カーテンから朝日が漏れて、部屋の中を柔らかく照らしている。


 窓の外からはかすかに鳥の声と、近くの道を走る車の音が聞こえた。


 キッチンでは「おかあさん」がご飯を作ってくれている。じきに娘を起こしに来るのだろう。


 静かに息を吸う。焦げ臭さも染みついた恐怖も感じない、空調で整えられた正常な空気、それを味わうように。


 私はゆっくりと身を起こすと、私のものではない声でつぶやいた。


 焼けた教室に置いてきた少女に向けて、心からのお礼のことばを。

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