大河ドラマの主役になるかも知れない人物たち

鷹山トシキ

第1話 熊谷直実――名を捨てた者の物語

 重層的に――**武士の「名」と、現代の熊の「居場所」**を重ねる歴史小説として描く。


 武蔵国・熊谷の里は、霧に沈んでいた。

 利根川から立ち上る湿り気が、朝の草を濡らし、土と獣の匂いを混ぜる。

 熊谷次郎直実くまがいじろうなおざねは、馬を降りた。

 鎧の重さより、胸の内が重い。

 源平の戦は、終わりに近づいていた。

 一ノ谷。

 あの坂を駆け下り、若武者を討ち取った瞬間から、直実の時間は止まっている。

 平敦盛。

 笛を懐に忍ばせた、まだ少年の顔。

「名乗れ」

 そう言った自分の声が、今も耳に残る。

 名を聞いたから、討たねばならなかった。

 武士とは、そういう生き物だった。

■ 熊の名

 熊谷の里は、古くから熊が出る土地だった。

 山があり、森があり、

 人はその端に住んでいた。

 熊は敵ではない。

 ただ、生きているだけだった。

 だが戦の世では、

 人もまた、同じだった。

「名を持つから、殺される」

 直実は、川縁で呟いた。

 熊には名がない。

 だから、討伐されるときも「害獣」と呼ばれる。

 その言葉の冷たさを、直実は理解していた。

■ 出家

 戦が終わり、直実は鎧を脱いだ。

 熊谷を去り、

 法然のもとで剃髪し、**蓮生れんしょう**と名を改める。

 名を捨てること。

 それは逃げではなく、責任の取り方だった。

「武士であった自分が生んだ死を、

 生きて引き受ける」

 それが、直実の選んだ道だった。


 現代――熊谷市郊外

 令和の熊谷。

 アスファルトの照り返しと、異常な暑さ。

 市役所の会議室では、

 「熊出没注意」の張り紙が貼られていた。

 「またか……」

 若い職員が、地図を睨む。

 住宅地のすぐ裏まで、熊が下りてきている。

 原因は、はっきりしている。

 森が削られ、

 食べ物が減り、

 熊の居場所が消えた。

「駆除、ですね」

 誰かが言う。

 その言葉は、

 八百年前と変わらない。

■ 夢

 その夜、職員の一人は奇妙な夢を見る。

 霧の中、鎧を脱いだ武士が立っている。

 熊谷直実――いや、蓮生。

「名を付けるな」

 武士は言う。

「名を付ければ、敵になる」

 背後には、黒い熊。

 熊は人を襲わない。

 ただ、こちらを見ている。

「人も熊も、

 生きる場所を失えば、争う」

 武士は、ゆっくりと頭を下げる。

「私は、名を捨てた」 「そなたらは、何を捨てられる」

■ 翌朝

 職員は目を覚まし、決裁書を書き直した。

 即時駆除ではなく、

 緩衝地帯の整備、

 山の再生、

 人と熊の距離を取り戻す計画。

 時間はかかる。

 金もかかる。

 だが、命を「数」ではなく「重さ」で考える選択だった。


 終章

 熊谷の寺。

 蓮生の墓の前に、花が供えられている。

 風が吹き、森の匂いが流れる。

 熊谷直実は、

 若武者を討った武士であり、

 名を捨てた僧であり、

 そして――

 争わずに生きる難しさを、

 誰よりも知っていた男だった。

 熊は今日も、森の奥で生きている。

 人もまた、

 選び続けている。

 名を振りかざすか、

 名を下ろすかを。

――終わり。

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大河ドラマの主役になるかも知れない人物たち 鷹山トシキ @1982

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