第4話

 気づくと私はベンチで横になっていた。

 内装からして映画館近くの複合商業施設、その休憩コーナーだ。もっともこの季節は店内のほうが暖房が効いているため、あまり利用者はいない。

 だけど広々とした清潔感のある空間の明るさと温かみのある照明は今の私の心に沁みていく……とりあえず見上げている天井が立派なたわわで半分隠れている、と思えるぐらいには。


「大丈夫、じゃないよね。まだ顔が白いから寝ていて」

「……ごめん」


 雑踏の光景がよみがえり、言葉が続かない。

 ちょっと刺激を加えれば空っぽな胃の中身がひっくり返りそうだ。


「無理しないで。今日はこのまま帰ろ?」

「……うん」


 しばらく私もセリも黙り込む。

 目を閉じて回復に専念しようかと思ったが駄目だった。目を閉じればまだ耳に残っている交通事故の音が再生される。同時にあの日の妹の言葉も覆いかぶさり、腑抜けていた余裕を削っていく。


『――だったら死にたい人やこれから死んじゃう人なんてどう?』


 妹よ、君の予想は的中したぞ。できれば外れてほしかったが。

 脳裏でよみがえる妹の笑顔に苦々しいものが込み上がる。それに耐え切れず、先に沈黙を破ったのは私のほうだった。


「……久次米さんはさ、死にたいって思ったことってある?」


 ピクリ、とセリがかすかに揺れる。

 反射的に彼女の頭上に目をやれば、


【注目度:94】

【好感度:+2】

【離脱率:89】


 相変わらず高めのパラメータが表示されている。

 でも変わっていないことに私は少しだけほっとしていた。だが――


「……あるよ」

「っ」


 いつもの軽やかさが嘘みたいな声色に神経が一気に張り詰めた。

 そうと知ってか知らずか、セリは私を見下ろす。その目には心配と、ほんの少しの疲れが混じっていた。


「私ね、実は恋愛がダメなんだ。理想が高いとか女の子のほうが好きとかじゃなくて、恋愛そのものがダメなの」


 ほら、結局恋愛って挿入するでしょ? 私、それを自分が受けるんだーって思うとすごく気持ち悪くなるんだよね。


「だけど男の子たちは私のこと、そういう目で見ているし。女の子たちは女の子たちで、恋愛しないなんて変だよーって言ってくるし」


 女の子たちのほうはいいの。

 高嶺の花だからしょうがないね、って勝手に納得してるから。

 でも男の子たちのほうは無理だった。血走った目でこっちを見てくることがあるし、前に思い切って恋愛してみよう! って決心して告白してきた男の子と付き合ってみたんだけど。


「ヤラせてくれないなんて俺のこと、好きじゃないんだ! って言われてフラれちゃって」

「はっ、オメーも掘られてみろってんだ。こえーぞ」

「あははっ、そうだね」


 セリは声を出して笑うものの、力はなく、逆に痛々しかった。


「とにかくずっとじゃないけど優等生としても期待されるの、疲れる時があってさ。それならいっそいなくなれたら楽だな、って」


 胸が締めつけられる、とはこのことだろうか。

 久次米セリ、クラスのマドンナ。スケベな身体をした、誰にでも優しい女の子。

 けれど誰にも深く付き合わず、好感度が高くてもどこか壁がある。


(もしこのまま“離脱率”が上昇すれば久次米さんも?)


 そもそも人生から降りる手段として自殺だけが用いられるとは限らない。

 事故、病気、そして殺人。社会的な抹殺も含まれるなら社会も人間関係も油断ならない。いや、この世界がフィクション世界だとしたら世界そのものも敵に回る可能性だってある――


「ね、高沖さん」


 不意に久次米セリが顔を上げ、少し口調を強める。


「今日のこと、忘れようよ。オモいし。ほら、他の人も見てるしさ」


 言われて首を回せば、たしかに施設の利用客たちがこちらに視線を向けながら歩き去っていく。【注目度:+2】。ちっ、外野が。見てんじゃねーよ。こちとらメンタルブレイクしてんだぞ。


「……そうだね」


 内心で舌打ちしながら私は深く呼吸をしてみた。

 よし、目まいもしない。今度は上半身を起こして腕を動かしてみる。気分は悪いが、体調に問題はないようだ。とはいえ、


「おっと」


 立ち上がったとたん、足がふらついてしまった。

 セリがさりげなく腕を貸してくれたおかげで転ばずにすんだが、本当に格好が悪い。にこりとほほ笑む彼女を直視できず、照れ隠しに好感度メーター(仮)に目を泳がせてしまう。


 瞬間、


【安心度:+1】


 ほんの一瞬だけ、セリの頭上に見覚えのあるパラメータが浮かんだ気がした。

 『気がした』という言い回しになっているのは安心度がすぐに消えてしまったからだ。それこそ見間違いかもしれないと思うほどに。でも――


【離脱率:88】


 忌々しいパラメータの数字が一つとはいえ、減っている。


(減る……?)


 とたん穏やかな心臓の鼓動が激しいリズムに変わる。

 もし“離脱率”が“安心度”で下げられるなら。もしその“安心度”が私の洋裁で実現するなら。


「……私、埋め合わせはするタイプだから」

「え?」

「今日、介抱されたし。せっかく話題の映画を見たのに台無しだし……だからまた気になる映画でも見て、今日のこと、上書きしよう。約束」


 セリは驚いた顔をして、それから少し困ったように微笑んだ。


「なにそれ。告白みたい」

「いいよ。付き合おうか」


 へ、と間が抜けた返事に笑いかけながら、セリの腕を引っ張る。

 格好悪いところを見せたからちょっとだけリードしたい。それだけの衝動が、胸の内に灯った希望が普段は考えられない言動へと突き動かす。


(やっぱり、放っておけない)


 モデルでも手作り服でも何でも使ってやる。

 私は久次米セリに――この世界にちゃんと“いて”ほしい。ラブコメ世界だろうが薄い本だろうが、そんなの知るか。


(これはもう、私の問題だ)


 ベンチを離れ、出口へ向かった私たちに冬の風が吹く。

 骨の髄まで凍らせようとするその寒さは柔らかく、頬の熱を冷やすにはちょうど良かった。


(了)

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離脱率って何ぞや? 辰巳しずく @kaorun09

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