第4話 『休みの日の、静けさ』

「……今日は学校は休むんだったっけ……」


自分の声が、ひどく他人事みたいに聞こえた。


目を開けると、天井はいつもと同じだった。

カーテンの隙間から朝の光が差し込み、部屋の輪郭をはっきりさせている。

熱はない。頭も痛くない。

それなのに、体だけが少し重い。


昨日の夜。

ダイニングで、薬を飲み終えたあとだったと思う。


「明日香、明日は、休もう」


その言葉だけは覚えている。

でも、その前後が曖昧だった。

自分が何かを言った気もするし、何も言わなかった気もする。


ベッドから降り、制服ではなく部屋着のまま、しばらく立ち尽くした。

学校を休む朝に特有の、妙な罪悪感。

でもそれ以上に、胸の奥が落ち着かない。


廊下に出ると、キッチンから音がした。

フライパンが触れ合う、軽い金属音。


「おはよう」


「あ、おはよう」


加奈子は振り返らずにそう言った。

声の調子は、いつもと変わらない。


テーブルには、すでに朝食が用意されている。

その横に、小さな白いケース。


「薬、先に飲んでね」


言われて、明日香は頷いた。

ケースを開け、錠剤を手のひらに出す。

数は、少しずつ減っている。

それは自分でも分かっていた。


水で流し込むと、喉を通る感覚だけが妙にはっきりした。


「体調、どう?」


「……うん。悪くはない」


嘘ではなかった。

でも、正直でもなかった。


「今日は無理しなくていいから」


その言葉は、柔らかかった。

ただ、それ以上の説明はない。


朝食を終え、リビングでぼんやりと過ごす。

テレビはついているが、内容は頭に入ってこない。

時計の針の音だけが、やけに大きく聞こえた。


――昨日までと、何かが違う。


そう思うのに、何が違うのかは分からない。


部屋に戻ると、ベッドの上でサキが丸くなっていた。

明日香が近づくと、片目だけ開ける。


「……おはよう」


小さく声をかけると、サキは一度だけ尻尾を揺らした。


ベッドに腰を下ろし、右手を見る。

何も起きない。

昨日と同じ、普通の手。


それでも、胸の奥に残るざわめきは消えなかった。


「……変なの」


誰に向けたでもない言葉。


昼前、加奈子は電話を一本受けた。

短い会話だった。

専門用語のような単語が一瞬だけ聞こえたが、すぐに止む。


「出かけてくるね」


「どこか行くの?」


「すぐ戻るから」


それだけ言って、加奈子は家を出た。


一人になった家は、驚くほど静かだった。

冷蔵庫のモーター音。

遠くを走る車の音。


その静けさの中で、明日香は急に不安になる。


何かが起きる気がする。

でも、それが「今」じゃないことも、なぜか分かった。


午後、眠気が襲ってきた。

薬のせいかもしれない。

理由を考えるのをやめ、布団に潜り込む。


サキが、いつの間にか足元に来ていた。


目を閉じる直前、思う。


――学校に行っていたら、どうなっていたんだろう。


答えは浮かばない。

そのまま、意識はゆっくり沈んでいった。


眠りは、深かった。

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クロノスリリィ外伝 『母と3人の娘たち 第一章』 猫田笑吉 @nekotasyokiti

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