第11話 リモート栄養指導と、敏腕マネージャーからの「敗北宣言」

週明けの月曜日。  


特別養護老人ホーム「なのはな園」の職員食堂は、ある話題で持ちきりでした。


「ねえ、見た?金曜のMステ!」


「見た見た!浦安舞ちゃんの『専属シェフ』発言!」


「絶対イケメンだよね。介護食みたいな優しい料理とか、ワードセンスもヤバくない?」


若手の女性介護士たちが、キャッキャと黄色い声を上げています。  


私はその横で、黙々と鯖の味噌煮(塩分控えめ)をつついていました。  


イケメン?  


残念ながら、そのシェフの正体は、貴女たちの目の前で猫背になって鯖の骨を分別している、45歳の冴えない中年です。  


もし私が「それ、私です」と名乗り出たらどうなるでしょうか。  


おそらく、集団幻覚を見たとして精神科へ搬送されるか、虚言癖のあるおじさんとして社会的抹殺を受けるかの二択でしょう。


「我孫子先生は、どう思います?」


不意に話を振られました。  


私は平静を装い、味噌汁を一口すすります。


「さあ。芸能界の話には疎いもので。ただ、『介護食』という表現は気になりますね。嚥下調整食の重要性が世間に広まるのは良いことです」


「もー、先生ってば真面目すぎ!そういう話じゃないですよぉ」


彼女たちはつまらなそうに笑いまた話題をアイドルの恋愛事情に戻しました。  


やれやれ。


綱渡りのようなランチタイムです。  


心拍数が上がり、消化不良を起こしそうです。


その時。  


白衣のポケットに入れていたスマホが、短く震えました。チラリと確認すると、通知画面には『浦安舞』の文字と、画像の添付。


私は周囲を警戒しつつ、テーブルの下で画像をタップしました。  


表示されたのは、高級そうな二段重ねの「ロケ弁」の写真。  


霜降りの牛ステーキ、海老のチリソース、そして揚げ春巻き。


脂質のオンパレードです。


茶色と赤の暴力です。


『今から収録なんだけど、これ食べていい?お腹すいた』


メッセージには、うるうるとした瞳の絵文字が添えられています。  


私は即座に眉間を押さえました。


(バカなんですか。収録前にこんな高脂質なものを入れたら、胃内滞留時間が長すぎて、ダンス中に逆流しますよ)


脂質は消化に4時間以上かかります。


激しい運動の前に摂取すべきエネルギー源(グリコーゲン)としては、最悪の選択です。  


私は高速でフリック入力を開始しました。


『却下です。その弁当の脂質量は推定40gオーバー。今の貴女が食べれば、本番中に胃もたれで動きが鈍り、最悪、ステージ上でリバースします』


送信。  


すぐに既読がつき今度は『えーん』というスタンプが返ってきました。


『じゃあ何食べればいいの?周りにはこれしかないよ』


やれやれ。  


ここは都内のテレビ局ではなく、千葉の老人ホームです。


私は遠隔操作で彼女の胃袋を守らねばならないようです。


『近くにコンビニはありますか?あるなら走ってください。買うべきものは3点。「梅おにぎり」「バナナ」「100%オレンジジュース」です』


『え、それだけ?』


『梅のクエン酸が疲労回復を助け、バナナとジュースの糖質は即座にエネルギーに変わります。ステーキは収録が終わってから、よく噛んで食べなさい』


『了解、シェフ!』


スマホをポケットにしまい、私は大きく息を吐きました。  


完全に「リモート保護者」です。  


こんなことをしていていいのでしょうか。


私は公私混同を最も嫌う人間だったはずですが。


しかし、トラブルはこれだけでは終わりませんでした。  


15時。  


おやつの時間の巡回を終え、事務室で書類整理をしていた私のスマホが、今度は長く震えました。  


着信画面を見て、私は凍りつきました。


表示名は『幕張』  


あの強面の敏腕マネージャーです。  


なぜ私に? 


クレームでしょうか。


「うちの商品にLINEするな」という警告でしょうか。  


私は覚悟を決め、通話ボタンを押して耳に当てました。


「はい、我孫子です」


『あー、俺だ。幕張だ』


声が、低い。  


そして、どこか疲れているように聞こえます。


「いかがなさいましたか。もし苦情なら、弁護士を通していただけると助かりますが」


『違ぇよ。バカ。……相談だ』


相談?  


あの傲慢な男が、私ごときに?


『舞のやつが、ハンガーストライキ起こしてやがる』


「はい?」


『ロケ弁を食わねぇんだよ。「我孫子さんの許可がないと食べない」とか、「この揚げ物は酸化してる匂いがする」とか抜かしやがって……。今まで文句言わずに食ってたもんまで、全部拒否しやがる』


私は思わず吹き出しそうになりました。  


どうやら、私の「食育」の効果が、予想以上に浸透してしまったようです。


彼女の舌と脳が、ジャンクな味を拒絶し始めている。


「それは、いい傾向ですね。彼女の身体が正常な防衛反応を示している証拠です」


『良くねぇよ!こっちは金払って弁当用意してんだぞ。……で、どうすりゃいいんだ』


幕張氏の声には、明らかな焦りと、そして少しの「敗北感」が滲んでいました。  彼は認めたくないのでしょう。  


数億を稼ぐ自分のマネジメントが、千葉の片隅にいる給食のおじさんの知識に負けたことを。


「……分かりました。では、条件があります」


『あ?金か?』


「違います。今後、彼女の食事メニューを決定する際、事前に私に写真を送ること。そして、私の指示(ジャッジ)に従うこと。……それが守れるなら、彼女が美味しく、かつ栄養満点に食べられる『コンビニ飯の組み合わせ』を伝授します」


電話の向こうで、長い沈黙がありました。  


プライドと実利の天秤が揺れている音が聞こえるようです。  


やがて、重々しい、搾り出すような声が返ってきました。


『分かった。従う』


勝ちました。  


これは歴史的勝利です。


臨床栄養学が、芸能界の理不尽な商慣習に勝利した瞬間です。


「交渉成立ですね。では、今の現場の近くにあるコンビニの系列を教えてください。セブンですか?ローソンですか?それによって推奨する『神アイテム』が異なります」


私はパソコンの画面で「栄養成分表」を開きながら、電話の向こうのマネージャーに指示を飛ばし始めました。    


こうして、私の業務内容に「国民的アイドルのリモート栄養管理」という、誰にも言えない秘密のタスクが追加されたのです。  


まったく、割に合わない仕事です。  


報酬はゼロ。  


得られるのは、送られてくる「完食しました!」という笑顔の写真と、それを見てニヤついてしまう自分への自己嫌悪だけなのですから。

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