第4話

 ロカテリアは穏やかな午後の喫茶室で、残りのケーキを楽しもうと気持ちを切り替えた。

「なあ、ばあさん」

 まるで店主の口調は諦めたかのようだったけど、大きな窓ガラスはピカピカに磨かれているし、喫茶室はすみずみまで掃除が行き届いていて気持ちがいい。彼は祖父から引き継いだこの店を愛しているのだと感じた。

「あのー、おばあちゃーん? 聞こえてるよな?」

 それに長い年月をかけて、店に染み込んだ甘い菓子の香りは、フラワーシフターの歴史そのものだ。新しく建ったチョコレート店が、チャラチャラと一朝一夕に醸し出せるものでは無い。

「あっ、そうか、おばさーん。こっちこっちビンの中、お菓子の家ー!」

 普段は辛党を自認するロカテリアだが、この店のバターケーキはぺろりとひとつ食べてしまった。

 さすがに、灰皿は置いていないよなとあたりを見回したロカテリアと、お菓子の家の目が合う。

 

「まさか、おねえ……さんって、呼べってこと?」

「なんだい?」

「さすがに図々しいだろ!」

 ガタゴトとお菓子の家のビンが揺れた。

 

「人がスイーツタイムを楽しんでるってのに、うるさいねぇ」

「やっとオイラの声が届くヤツが現れたと思ったのに、クセの強いばあさんかよー、面倒だなぁ!」 

 子どもの出すようなやや甲高い声は、確かにお菓子の家のビンの中から聞こえてくるようだ。

「安心しな。クセの強いおねえさんは、お菓子の家の見学も済んだし、もう帰るところだよ」

「いやいやバカバカ、ダメだって! ヤバイんだよ、もう限界なの、こっち来て助けてよ!」

 「はぁん?」とロカテリアは腕組みする。


「えっと、非礼をお詫びしますレディ。どうか哀れな妖精にあなたの名前を教えてください」

 急に本当に哀れな声を出してきたお菓子の家……の中にいるらしき妖精に、少しだけ考えて老婆は口を開く。

「ロカテリアだよ」

 ああ、ありがとうと感極まったように妖精は声を裏返らせた。

「心の綺麗なロカテリアおねえさーん!」

 今までの悪態をまるっと改心したような叫びに、ロカテリアはニヤリと口角を上げた。

「なーんだい?」

 

 返事をした瞬間、お菓子の家のビンにかかっているコルクの蓋が、キュオオオオと空気を吸い込むような音を立てた。

 ロカテリアの視界の端で、喫茶室の柱が曲がり、砂色の壁もクリームのようにトロリと溶けだす。

 めまいがするようなぐにゃぐにゃの景色がおさまると、ロカテリアの目の前には分厚いガラス。その向こうに巨大な喫茶室が見える。

 そしてゆっくりとふりかえった背後には、さっきまでビンの中にあったはずのお菓子の家が建っていた。

「おやまぁ、妖精の家に招待されちまったみたいだ。こいつは面白いねぇ」

 ほとんどの不思議には驚きもしないロカテリアだが、テーブルの傍に愛用のトランクを置いてきてしまったことには少し苦い顔をした。


「ばあちゃん、早く入って来てよぉ!」

 悲痛な妖精の声に急かされて、やれやれと扉を開く。

 お菓子の家の中は、凝った外装の見た目からは想像もつかないようながらんどうで、何の家具も装飾も無かった。

「中もさぞかし豪華だと思ったんだが、ハリボテだったんだね。知りたくなかったよ」

「バカ言うなバカ! ビスケットのテーブルもマシュマロの椅子も飴細工のシャンデリアも、何でもあった。最高に素敵な家だったんだよ!」

 口の悪い妖精だねぇと眉をしかめたロカテリアは、半ば答えを確信しながら問いかけた。

「それが、どうして無くなっちまったんだい?」

「オイラが食っちまったからに決まってンだろおぉ!」

 悲壮な声を上げたのは、ケーキの上の繊細な妖精とは似ても似つかないコロコロに太った姿の妖精で、今現在も中央の細い柱をかじり続けている。


「一夜を百年に引き延ばす魔法で、これでも我慢してちょっとずつちょっとずつ食べてきたのに、もう限界なんだよ、この柱を食ったら絶対家が倒壊するよ!」

「じゃあ食べるのをやめたらいいじゃないか」

 至極真っ当なロカテリアの意見に、「やめらんないから困ってるんだろぉ!」と妖精は涙を流した。

「そういうことかい、すぐに止めてやろう。アタシの得意分野だよ」

 ゲンコツを固めてニコニコしながらあゆみ寄ってきたロカテリアに、妖精は柱をかじりながら首を振るという曲芸を見せた。

「やめろそうじゃねぇよ、暴力反対!」


「じゃあ残念だけど、アタシにできることは無さそうだねぇ」

「イジワル言うなよ婆ちゃん。あの若造に、新しい家作らせてやるぜって言ってきてくれよ」

 一度下げたゲンコツを持ち上げて「聞こえなかったね、もう一度」とロカテリアは笑顔で迫る。

「どうかこの食い意地の張った哀れな妖精に新しい家をお恵みくださいと、今の店主にお伝えくださいお姉さま!」

「最初からそうお言いよ。頼んでやらないこともないけど、この店自体が儲かってなさすぎてもうじき潰れちまうかもって話だったよ? 何で客寄せになるのをやめちまったのさ」

 妖精がお菓子の家の前に姿を現しているうちは、それを一目見ようと大勢の客が詰めかけていたというのだから、宣伝効果は抜群だったはずだ。

「だってさ、若い頃に比べたらちょっと太っちゃったし、みんなを幻滅させたら悪いだろ」

 じろりと睨みつけられた妖精は、小さな声で白旗をあげた。

「新しい家を作ってもらったら、店の宣伝でも何でも協力しますからって、お伝えくださぁい」

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