祝呪の灯明
高橋志歩
祝呪の灯明
古屋真里奈は、夜道を早足で歩いていた。
コツコツコツとハイヒールを履いて歩く時の足音がする。自分の足音に怯えてしまう。
華やかな黄色のワンピースの上から羽織った薄いコートの襟をしっかり握り、ハンドバックを隠すように胸に抱えて、真里奈は早くアパートの自室に辿り着きたいと、それだけを考えていた。
今日は真里奈の友人、阿川由佳の結婚式だった。
学生時代から仲が良く、だから彼女の結婚式での受付を頼まれて、真里奈は喜んで引き受けた。
けれど、結婚式の日が近付いたある日、真里奈は付き合っていた恋人と破局した。いや破局よりもっと悪かった。彼は喫茶店で真里奈の目を見ずに「俺、見合い相手と来年結婚する事になった。いい子なんだ。先週結納も済ませてさ。まあそういう事で」とあっさり告げた。それだけで終わりだった。さっさと伝票を手にして席を立ち、店を出て行く彼の背中を呆然と見送りながら、真里奈の世界は崩壊した。
失恋。裏切り。どれほど泣いても真里奈は立ち直れなかった。結婚式の受付などとてもする気になれないし、華やかな披露宴に出席する気にもなれなかった。だから式の打ち合わせで阿川由佳に会った時、真里奈は今の自分の事情を説明して受付を辞退させて欲しい、披露宴も欠席したいと申し出た。けれど浮かれている由佳は、面倒くさそうな表情を見せて真里奈に言った。
「うーん、今更言われても困るよ。真里奈の事情は私には関係ないし、別の人に急に頼むのも無理だし。お願いだから、頑張って受付やって披露宴にも出てよ。それに私の招待客の数が減ったら、向こうの家に何を言われるかわかんない。縁起が悪いのは我慢するから。だから、ちゃんとやってよ。ね?」
――縁起が悪いのは我慢する。
その瞬間、真里奈の心は屈辱と怒りで張り裂け、そして激しい憎悪が生まれた。自分の幸福に酔い、全く思いやりを見せてくれない由佳に必ず思い知らせてやると、真里奈は決めた。
そして今日は結婚式当日。真里奈は華やかな黄色のワンピースを着て、披露宴会場入り口の受付に立っていた。次々にやって来る招待客から祝儀袋を受け取り、芳名帳に記入してもらう。招待客が多く、応対は忙しくて気もつかう。
慣れないハイヒールで足が疲れてきた頃。人の流れから少し離れた感じで、一人の女性が受付に祝儀袋を差し出した。受け取った真里奈は驚いた。見た事も無いような大きな立派な袋で、金銀の鳳凰の水引が輝いている。きっと多額の祝儀が入っているだろう。しかし、この招待客はとてもお金持ちには見えなかった。肩にかかった髪は艶が無く、紺色のワンピースに真珠のネックレスも平凡で地味に見えてしまう。化粧はしているのに何か顔色のすっきりしない、元気の無い人だな、と真里奈は思った。しかし芳名帳の筆跡は美しい。そこには住所と共に【八木優子】と書かれていた。
その女性が控室の方に向かってからしばらくして、何やら騒ぎが起こった。新郎側の親戚の老人が急に気分が悪くなって倒れたという。老齢なので、披露宴会場のスタッフが駆け付け、結局救急車が呼ばれた。
受付で様子を伺っていた真里奈が、このまま披露宴が中止になればいい気味だ……と考えていた時、いきなり先ほどの八木優子が眼前に立った。そしてぼそぼそと真里奈に話しかけた。
「用事を思い出したので帰ります」
突然なので真里奈は焦った。こういう場合、どうすればいいのだろう? 会場の担当者に連絡した方がいいのかもしれない。
「少し待ってもらえませんか。私は今ここを離れるわけにはいかないので……」
八木優子は、ゆらりと首を振った。
「祝儀を渡しておいてくれれば、それでいいです。よろしく」
真里奈が返事をする前に、何かふらふらとした足取りで八木優子は遠ざかって行った。
仕方なく真里奈は、先ほどの豪華な祝儀袋を手にした。これは別にしておいた方がいいだろう。八木優子さんは披露宴を欠席……その瞬間真里奈の心にどす黒い思いが浮かび、祝儀袋を握り締めた。
それから先の事は、真里奈はぼんやりとしか感じられなかった。受付を片付け、華やかな披露宴に出席し、花嫁姿の由佳に拍手をして来賓のスピーチを聞いた。テーブルの上のフランス料理も食べたし、友人たちとお喋りをした。けれど現実味が無かった。真里奈は早く一人になりたかった。二次会の誘いも断り、真里奈はようやく家路につく。受け取った引き出物の包みと小さな花束は、人気の無い駅のホームの隅のゴミ箱に捨てた。
ハンドバックの中には、豪華な祝儀袋が入っている。八木優子が置いて行った豪華な祝儀袋。
真里奈はその祝儀袋を盗んだ。緊張して興奮していたのか、自分がどうやってバックに入れたのか記憶に無かった。ただ手が震え心臓がどきどきして気分が悪くなり、怯えていた。それでも、引き返すという考えは浮かばなかった。
ようやくアパートの自分の部屋に入り、玄関を閉めてからほっとして座り込みそうになった。
楽な服室内着に着替え、化粧を落としてようやく頭がはっきりしてきた。怯えは消え、妙にウキウキとした気分になりハンドバックの中から祝儀袋を取り出す。
中身を取り出して真里奈は驚いた。厚い札束。数えてみると1万円札が30枚、30万円も入っている。多額だろうとは予想していたけど凄い。ただ妙な事に、新札ではなくどれも古い札だった。非常識だけども、自分が使う分には古い方がいいなとほくそ笑んだ時、祝儀袋の中にもう一枚の紙が入っているのに気づいた。
引っ張り出してみると固い和紙で、真ん中に赤い筆文字で「祝」とだけ書かれている。ふうん、初めて見るけど何かの風習かなと、真里奈は裏返してみた。八木優子の名前が書かれているのだろうと思ったのに、同じように赤い筆文字で書かれた別人の名前があった。
「桂崎正」
桂崎正というのは、今日結婚式を挙げた由佳の新郎の名前だ……何だろう……? 真里奈は首をひねったけど、どうでも良くなった。今日は本当に疲れたからもう寝よう。
由佳に対しては、ざまあみろという気持ちしか湧かなかった。明日は30万円の使い道を考えて楽しもう……海外旅行で気分転換もいいかもしれない。祝儀袋もお金も和紙もテーブルの上に放り出したまま、真里奈は電気を消し敷きっ放しだった布団に潜り込んだ。
どれぐらいの時間眠っただろう。
真里奈は「ドンドンドン!!」「ドンドンドン!!」という、何かを叩くような大きな物音で目を覚ました。急いで起き上がったけど、部屋の中は真っ暗でしんとしている。夢だったのかな、とまた布団に横になる。何か胸の内がもやもやして気分が悪い……あれ? と真里奈は気が付いた。確かに何か焦げているような匂いが漂っている。まさか火事? と目を開けると部屋の中がオレンジ色の明かりで照らされている。そしてまた起き上がった真里奈の足元に、誰かが、火のついた太いロウソクを手にして座っていた。
真里奈は一瞬、何かで見た事のあるナマハゲだと思った。
大きな身体には藁のような物で出来た衣装をまとい、仮面をかぶっている。頭には長い棒のような角が突き出て、ロウソクの明かりで揺れているように見える。
真里奈が驚きで固まったまま、じっと見つめていると仮面の奥から男の声がした。仮面はただの木の板のようで、目も口も無い。
「今宵、祝いにやってきた。めでたいめでたい」
部屋の中が同じような声で溢れた。まるで何十人もいるようだ。
「めでたいめでたい。祝いの夜じゃ」
真里奈は思わず叫んだ。
「何よあんた! 出て行ってよ! 警察を呼ぶわよ!」
仮面の男は言った。
「祝いである。我々は祝いである。さあ、祝いの炎を灯そう」
いきなり黒い手が伸びてきて、真里奈の眼前にロウソクを突き出した。
「炎を灯せ。炎を灯せば祝いが始まる」
黒い手を思い切り振り払い、真里奈は叫んだ。
「何が祝いよ! 訳わかんないわよ! 出て行け!!」
ロウソクがどこかにころころと転がって行き、仮面の男はしばらく黙った。
「お前は祝わぬのか。祝いの夜に祝わぬのか」
真里奈の頭は混乱し始めていたが、自覚する事は出来なかった。息苦しい。息ができない。
憎い憎い憎い。祝い? 自分を見下したように馬鹿にしたあの女。
「誰が祝うもんか! 由佳なんか、呪われればいいのよ、あんなクソ女!」
部屋の中が声で溢れた。
「いまわしいいまわしい。上下逆さで祝いは呪いの夜となる」
仮面の男は、顔に手を当てると仮面の上下を引っくり返した。長い角がゆらゆらと揺れる。
「呪いである。我々は呪いである。では、呪いの炎を灯そう」
真里奈は途切れ途切れに言った。
「あんた、あの女を呪って不幸にしてくれるの?」
仮面の男は言った。
「不幸は知らぬ。だが呪う。お前が呪いの炎を灯せ」
真里奈は呟いた。
「……私が……呪う……呪ってやる……呪ってやる」
部屋の中が声で溢れる。
「いまわしいいまわしい。呪いの夜の炎が灯される」
四方八方から、炎が灯ったロウソクを握った黒い手が、動けない真里奈を取り囲んだ。
「お前が呪いの炎。お前が呪い。灯せ灯せ灯せ灯せ灯せ」
真里奈の髪が顔が腕が身体が足が、無数のロウソクの炎で炙られ、ゆっくりと燃え出す。真里奈は、身体をのけぞらせ激痛に絶叫した。
「ひぎゃあああああああ! あついあつい! いやああああ! ぎゃああああああ!!」
身体の下の布団も燃え上がり、真里奈は火柱となった。
部屋の中が、真里奈の苦悶の悲鳴と声で溢れる。
「呪いの夜の呪いの炎。ああ痛い痛い痛い痛い痛い」
口を開けても息が出来ない。喉が舌が燃える。目玉が沸騰し破裂する。焼け爛れた皮膚で背筋が縮み、指が伸びる。あらゆる痛みでもがき苦しむ中で、真里奈は仮面の男の声をはっきりと聞いた。
「我々は願い主の願いにより、祝いに訪れた。しかし呪いの夜となった。我々はこれから願い主に会いに行かねばならぬ」
仮面の男は炎の中に無造作に手を入れ、真里奈の頭頂部を掴むと首を引きちぎった。
「お前の首を持参すれば、願い主も納得してくれよう」
黒く焼け爛れた、物言わぬただの塊になった真里奈の首をぶらさげて、仮面の男はどこかに向かって歩き、姿を消した。
後には燃え上がるアパートの部屋が残され、やがて建物の周囲は騒然とし始めた。
半月後。由佳は、マンションの明るいリビングで溜息をついた。自分の結婚式の夜に、友人の真里奈が自室の火事で焼死した。原因は不明で事件性は無いとされた。けれど新婚早々に警察に事情を聞かれたり、真里奈の葬式に参列する事になって由佳は不機嫌な日々を過ごしていた。そして、どうやら真里奈が祝儀袋を盗んだらしい……というのをさっき別の友人に知らされた。だけど今さらどうしようも出来ない。
真里奈は死んでしまった。
ああ、真里奈が受付を辞めたいと鬱陶しい顔で言い出した時に、そのまま受け入れて縁を切れば良かった。本当に縁起でも無い。
そして由佳は別の件でも気になる事があった。
最近、やたらと無言電話が多いのだ。女の声でかすかに「……正さん……」と聞こえた事もある。着信拒否はしているけど、気になって仕方がない。
結婚前に夫が付き合っていた女が、しつこくつきまとっているのだろうか? 正は知らないそんな女はいないと否定しているけれど。
気分転換に、買い物ついでに散歩でもしようとマンションの部屋を出た由佳は、マンションのエントランスにある郵便受けに封書が入っているのに気づいた。何気なく取り出すと宛て名は夫になっている。綺麗な筆跡。どこかの女からだ。
むっとしながら由佳が封筒の裏を見ると、そこには名前だけが同じ筆跡できちんと書かれていた。
――八木優子
<了>
祝呪の灯明 高橋志歩 @sasacat11
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