第一章:慰霊祭 第一節:鎮魂ホール
『第二十回 太陽線疫合同慰霊式典』――その文字が、入口上部の帯状スクリーンに無機質に流れていた。
東京都心湾岸、かつて展示場だった巨大な廃屋を改修した国の追悼施設。通称「鎮魂ホール」。外壁は打放しコンクリートの灰色で、正面のアプローチだけに短く刈り込まれた植栽が並ぶ。緑は慰めではなく、基準に従って置かれている。
高橋真琴は、車寄せの手前で一度だけ無意識に歩幅を狭めた。
海が近いのに潮の匂いが薄い。外洋とは異なる、どこか加工されたような空気。人の息、布、金属、消毒剤。逃げ場のない匂いが、胸の奥へ流れ込む。
ここでは腕時計を見ない。時間を見ても意味がない。時は、式次第と導線で進む。
五十六歳。肩の上で短く揃えた髪の半分が白い。染める理由がない。
黒一色の正装――軍服ではない。世界遮蔽計算機構の制服だ。左胸の金色の刺繍は小さい。階級章も、読み取ろうと思えば読める程度にしか主張しない。元・海上自衛隊二等海佐。いまの識別子は階級ではなく、出席区分と所属だった。
入口の前で、導線が二重に分かれていた。参列者と関係者。関係者もさらに二列――「政府」と「機構」。
高橋の足は迷わず後者へ向かう。誰かに命じられたわけではない。名札のコードが、彼女の身体を勝手に運ぶ。
最初は金属探知。次が手荷物。次が身分照合。顔認証、静脈、最後にバッジへ暗号タグの書き込み。
係員は警視庁の制服ではなく灰色の運用服を着ている。軍でも警察でもない、式典のための部隊。追悼の場さえ、運用される。
天井の隅に、ツヤ消しの黒い球体がいくつも付いていた。監視カメラではない、と何度目かの式典で説明された。環境ノイズ監視。音も電磁も、規定値から外れないようにする装置。
高橋はそれを一瞬見上げ、音を立てずに息をひとつ吐いた。悲しみの場であっても、雑音さえ管理される。
ホール内部へ進むと、鉄骨を組んだ天井が高く、広い。規則的に並ぶスリット状の天窓から差す光が拡散し、閉塞した空間を均一に満たしている。
潜水艦の艦内は狭いが、狭さには目的がある。だがここは違う。儀式に合わせた空間だ。広さがあるのに、人間の居場所だけが薄い。
正面には緞帳が垂れている。緋色。
深海の赤色灯とは性質が違う。深海の赤は視力を守る合理で、ここにある緋は、感情を包み、整えるための赤だ。包む――という言葉が、ときに「覆う」に近いことを、高橋は知っている。
参列者の列が視界に入る。黒礼服、喪章、白手袋。
僧衣は多くない。いるのは数名だけで、肩書は「宗教者代表」ではなく「地域ケア連絡会」。宗教色は丹念に消去し設計されている。祈りは個人に任され、制度は背景として立つ。
最前列に、内閣の席が固めてある。官房、総務、防衛。胸元の徽章だけが同じ角度で光る。隣には東京都知事。黒のワンピースに細い喪章。視線の運びが、自然にカメラの高さへ合っている。続けて自治体の長の列。肩書が先に並び、顔が後ろに来る並び方だ。
そして、もう一列。
黒ではない。鉄色の制服。光を吸う素材の上着。胸元に細い銀のピン――火の輪郭のような意匠。〈冥炉派〉。俗称だが、追悼の場はすでに彼らの参加を前提に整えられている。随行は紙を持たず、薄い端末だけを持つ。画面は暗いまま、指だけが動く。祈る動作に似ているが、あれは手順だ。
背後から、会釈を間合いに滑らせ、案内係が小声で近づいた。
「高橋様、こちらです」
「様」と呼ばれるたびに、身体の芯がわずかに硬くなる。ここでは肩書である必要はないことを理解している。理解しているのに、無意識に他人のような距離が生まれる。
関係者区画に整然と並ぶパイプ椅子に視線を落とすと、名札が添えられていた。
所属――機構関係者。
正面の祭壇は巨大で、白い菊が波のように並んでいる。白い花は、白い閃光を思い出させる。白は慰めの色であると同時に、消去の色だ。何を消すために白いのか――考えるのは不謹慎だと分かっている。分かっていて、考えを巡らせてしまう。
開始まで一分。
高橋は前方を見た。白い波。赤い緞帳。一方通行の導線。均一な拡散光。淡い空間で参列者の輪郭は薄れ、群に、数にと姿を変える。
第二十回。時間の長さではない。制度が生きている証だ。
制度は、悲しみの場にいつも、「正しさ」の席を用意する。
高橋は背筋を伸ばした。
持てていない重さを、持たされることだけは分かっていた。今日も。ここで。
藍《AI》のテルモピュライ――九十二秒の密室 アベタカシ @agile
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