第7話 翡翠と白雪
「あるわけないでしょう? 顔、首、手足……あれだけあっても、すぐになくなってしまったわ」
「き、貴様! 認めるのか!」
刑部の男たちが柳雪に詰問するが、彼女は臆する様子もなく、それどころか彼女の目と唇が弧を描いた。
「あの子の命はもう長くないと聞いて、その時は悲しみこそすれ、怒りはなかったわ。だって、病だもの、仕方がない。……でもね、あの子の見舞いに行ったとき、聞いてしまったの。あの子が薬をもらえていないということと、その理由を」
一嵐と沈琛は同時に体をこわばらせた。
せっかく帝の体調不良を誤魔化すことができたのに、このままでは柳雪によって真実を暴露されてしまう。
沈琛が小さく舌打ちをして口を開きかけたが、先んじて柳雪が放った言葉が意外なものだった。
「どうやら朝廷の大臣さまが病にかかり、そのために薬が必要になった、ということをね」
「ほう……」
さすがの沈琛もこの言葉には意外そうに眉を上げた。一嵐はわずかに首を傾げ、柳雪のことを見つめる。
しかし、柳雪は一嵐の無言の問いに答えることはなく、じりじりと後ずさった。
「だから、復讐することにしたの。あの子を一人孤独にさせた宦官に、権力に負けた医者に……この腐った後宮を作った帝に」
「なっ……帝様を侮辱するか! 捕らえろ!」
男たちが足を踏み出すと同時に、柳雪はひょいとその手を躱して駆け出した。
「お、おい! 待て!」
一嵐は意外に思って眉を上げた。どうやら大人しく捕まるつもりはないらしい。
男たちは突然のことに目を白黒させたが、すぐに我に返って走りだした。不意を突かれたとはいえ、間もなく柳雪に追いつくだろう。
(……馬鹿だな)
一嵐は心の中でぼやくと、何でもない顔で一歩踏み出し、先頭の男にさりげなく足を引っかけた。
「うおっ!?」
豪快な音を立てて男が前のめりに倒れ、後ろの二人も巻き添えになって転ぶ。
部屋を出ていく一瞬、柳雪と目が合ったような気がしたが、彼女は足を止めることなく走り去った。
彼女の瞳には、固い決意がにじんでいた。
◇◇◇
薄暗い部屋に、小さく抑えられた足音が近づく。
寝台に横になっていた一嵐はひょいと体を起こした。素人の忍び足程度、たとえ寝ていようが聞き取れる。
「……配達人さま」
囁き声が聞こえ、一嵐は黙って扉を開けた。そこには、あの日のように、全身におしろいをまぶした柳雪の姿。ただし、量が足りなかったのか、うっすらと地の肌が透けて見えている。
「逃げ切れたんですね。運がいいことだ」
「……なぜ、あの時助けてくれたの?」
なんとなくその質問を予期していた一嵐は、軽く肩をすくめた。
「帝様が病に伏していることを隠してくれた、お礼みたいなものです。それに、曲がりなりにも依頼人が斬首になるというのも夢見が悪い」
「同情したわけじゃないのね」
「同情って、あなたに? それとも林翠に?」
「私に同情してほしいなんてつゆほども思っていないわ。ただ……もしあの子に同情してくれたなら、教えてあげたかったの。あなたをかわいそうだと思ってくれた人がいたよ、って」
どうやって、と訊くほど一嵐は野暮ではなかった。ただ、うんざりした気持ちを隠そうともせずに溜め息をついた。
(せっかく逃げ切れたというのに、なんで死のうとするかな)
これでは、せっかく打ち首の危険を冒してまで手を貸した意味がない。まあ、勝手に助けておいて恩着せがましい、と言われてしまえばその通りなのだが。
「それじゃあ、さようなら」
一嵐がなにも言わないのを見て、柳雪は小さく頭を下げて踵を返した。暗闇に、白っぽい彼女の肌が不気味に浮き上がっている。
その後ろ姿が角を曲がろうというとき、一嵐は口の中で小さく舌打ちをして、柳雪を呼び止めた。
「ちょっと」
「悪いけど、思いとどまる気はないわ」
嘘つけ、と一嵐は胸の内でぼやいた。死ぬことをわざわざ言いに来るような人間は、たいてい誰かに引き留めてほしいのだ。それを本人が自覚しているかはまた別の問題だが。
一嵐は数秒の沈黙の間に考え、部屋の中から小箱を手に取って再び顔を出した。
「これを」
「なにかしら」
自分の目で確かめろ、という一嵐の無言の圧力に折れ、柳雪は不承不承ながらも小箱を受け取った。
そっと箱を開くと、その目が大きく見開かれる。
「きれい……」
「一級品の翡翠の耳飾りです。あなたに、と」
「誰から?」
怪訝そうな柳雪の表情が、一嵐の顔を見つめるうちに驚愕に変わる。
「まさか、林翆から?」
「依頼人の名は明かせません」
その瞬間、柳雪の目から大粒の涙がこぼれた。涙は頬を伝って翡翠の上に落ちる。暗がりの中、ろうそくの光を反射して、翡翠が美しく輝いた。
「ああ……林翆……」
「あなたが死んだら、そいつをつける人間もいなくなりますよ」
涙があふれては落ち、いつの間にか柳雪の顔つきは生気を取り戻していた。ただ単におしろいが落ちて血色がよくなったように見えただけかもしれないが、まあそれを言うのは野暮だろう。
「南門の横の塀に抜け道があります。どうするかはお任せします」
顔を伏せていた柳雪は、小箱を大事そうに胸に抱えた。
「あなたは、死んでもなお優しいのね、林翆」
柳雪は深く息を吐き出すと、よろよろと歩き始めた。角を曲がる直前、一嵐の方を振り返り、深く頭を下げる。
そして、ついに柳雪の姿は闇に紛れて消えた。
(時には嘘が薬になる)
一嵐が心の中でつぶやいた直後、背後から声が聞こえた。
「……無事に成仏したようだな」
「その冗談は本当に笑えませんよ」
一嵐はため息交じりに振り返った。そこには面白くなさそうな表情の沈琛。
「なんだ、気づいていたのか」
「背後から不意打ちされたことは一度や二度ではありませんから。それより、何用ですか?」
「ちょっと語らいに来ただけだ。お前があんなに情の深い人間だとは思ってもみなかったぞ」
一嵐は苦虫を嚙み潰したような顔をした。
「別に……幽霊になって枕元に立たれるのは御免ですから」
「お前の冗談も大概だな」
沈琛は面白がるように笑ったが、すぐにまた探るような目つきをした。
「それで、本当のところは?」
一嵐は正直に答えるか迷ったが、頑として帰りそうもない沈琛の様子を見て、しぶしぶ口を開いた。
「……同じく使い捨てられる側の人間として、少し思うところがあっただけです」
「使い捨てられると、そう思っているのか?」
「わざわざ雑談しに来たわけでもないでしょう」
普段どのような仕事をしているのかは知らないが、官人は真夜中にこうして世間話をしに来るほど暇ではない。
(こんな回りくどいことをしないで、刑部の連中を連れてくればいいのに)
一嵐は多くを知りすぎてしまった。帝の威光を守るため、一嵐に関する記録はすべて抹消されるだろう。むろん、一嵐自身も。
ひやりと背筋に悪寒が走る。運び屋時代、幾度となく修羅場を越えてきた。それなのに、足の筋肉が震える。使う側からの視線を初めて身に浴びているからだろうか。
いつ逃げ出そうかと足の筋肉を緊張させながら機を伺う。
と、不意に沈琛が大きな声を上げて笑い出した。
「殺しはしないさ」
「は……」
「ちょっと足を踏まれたからと言って、優秀な猟犬を殺すわけがないだろう?」
「……お褒めいただき光栄です」
「ただし、罰は必要だな」
沈琛は思わず喉を鳴らした一嵐をじっと見つめていたかと思うと、おもむろに後ろ手に隠し持っていた酒瓶を持ち上げた。
「付き合え。そしたら見逃してやる」
「正気ですか」
「それが返事か?」
「……お付き合いします」
一嵐はがっくりうなだれた。
まったく、この後宮には権力を濫用する輩が多すぎる。
(了)
最後まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
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後宮配達人は秘め事を運ぶ 輪目洒落 @rinmoku_sharaku
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