第6話 真相
向かうは緋月蓉の宮。
門のそばに立つ宦官が驚きの声を上げる。
「は、配達人!?」
「どうも、お届け物です」
門番は硬直している間に一嵐に押しのけられ、次いで刑部の連中もどやどやと追ってくる。
一嵐は少し足の速さを落とし、緋月蓉の居所へ向かう。
「緋月蓉さま、ちょっと失礼」
戸を開くと、あっけにとられた顔の緋月蓉と目が合った。そして、その後ろに控える一人の下女。
(こいつか)
一嵐は軽く息を整えると、あとから入ってきた刑部の男たちに向き直った。
「ご挨拶が遅れました。配達人の一嵐です」
「そ、そのようなこと、とうに知っておるわ! なにゆえ逃げたのだ!」
「皆様をご案内申し上げただけです」
「案内だと?」
「幽霊のもとへ、です」
ちらりと振り返ると、下女がまさに幽霊のように顔を真っ青にしてわなないていた。
今この場で一嵐の言わんとしていることを理解できているのは彼女、柳雪ただ一人。緋月蓉も刑部も、何を言い出すのかと怪訝そうにしている。
「とはいえ、むろん幽霊など存在するはずもありません。その正体は、幽霊の皮を被った生者だ」
「その生者とやらがお前なのであろう?」
一人の宦官が威圧的に足を踏み出す。一嵐は身を引くことはしなかったが、いつでも飛び出せるように全身の筋肉を緊張させた。
(なるほど、聞く耳も持たないと来たか)
取り締まる連中に特有の、権力ゆえの自信と傲慢は市井でも後宮でも変わらないらしい。
しかし、刑部が耳を貸さないであろうことは想定内だ。わざわざ緋月蓉のもとまで来たのは、柳雪だけが目的だけではない。
(力を貸してくださいよ、妃さま)
一嵐がそっと緋月蓉に手を伸ばしかけたとき、凛とした声がその動きをとどまらせた。
「妃の前で声を荒げるとは、少し無粋が過ぎるのではないか? 刑部諸君」
「し、沈琛さま……!」
驚愕に目を見開いた刑部の連中や緋月蓉に対し、一嵐は横を向いてこれでもかと深いため息をついた。おそらく刑部の態度を見計らって助太刀に入ってくれたのだろうが、これからずっと沈琛の茶々が入るのかと思うと気が滅入る。
「それに、ここは帝様のお膝元でもある。荒事は控え願いたいのだがな」
「し、しかし、この者が逃げて……」
「私には逃げているようには見えないぞ」
沈琛は一嵐を一瞥すると、無表情のうちに一瞬だけ笑みを忍ばせた。
「せっかくご招待賜ったのだ。聞かせてもらおうではないか」
「……お気遣いどうも」
一嵐は目を合わせずに答えると、刑部の連中に視線を戻した。
「先ほど申し上げた通り、幽霊が手紙を書こうはずがありません。幽霊の皮を被った何者かが、林翆という死んだ下女の名を使い、呉順殿、崔狗様、そして帝様に手紙を書いた」
その言葉に、えっと声を漏らしたのは緋月蓉。
「林翆って、あの林翆?」
「それはっ」
「ええ、その林翆です。よくここを出入りしていたとか」
制しかけた宦官を遮り、一嵐は間髪入れずに答える。
事の重大さを知った緋月蓉は口元を手で覆ったが、沈琛がその様子を目を細めて見つめた。
「ほう、よくここを出入りしていた、と。このことは?」
「いえ、その……」
「知っていたのか?」
沈琛の声に冷たい威圧感が籠る。宦官はしばらく逡巡していたが、やがてあきらめたように深く頭を下げた。
「存じておりました」
「にもかかわらず、こちらの妃に話を聞かなかったというのか。ずいぶんと丁寧な調査が行われたようだな」
皮肉めいた沈琛の言葉に、宦官は一層首を竦めて身を引いた。一見すると、子供が大男を委縮させるという奇妙な光景だが、この場にそれを指摘する者がいないほど沈琛の眼差しは冷たく冴えていた。
だが、それも宦官に対してだけ。一嵐に視線を移したときには、いつものからかうような悪餓鬼の笑みが浮かんでいた。
しかし、一嵐が彼の期待に沿えなかったとき、そのまなざしは再び熱を失うだろう。一嵐はそれを重々承知していた。
「それで、お前は林翆の名を騙る何者かがいるというんだな」
「……さようです。その者とは、林翆の死を知っていて、なおかつ深い恨みを抱いている者。おそらくは林翆と親密な関係にあった者でしょう」
そこで一嵐は緋月蓉に顔を向ける。
「林翆はよくここに出入りしていたと聞きました。間違いありませんね?」
「え、ええ……待って、私を犯人と言いたいの?」
「いいえ、滅相もありません。いくら頻繁に出入りしていたとはいえ、下女と妃では壁が高すぎるでしょう。これほどまでの騒ぎを起こすほどに親密になれた者……」
そこで初めて一嵐は柳雪と目を合わせた。
「例えば、林翆と同じ下女」
その場にいる全員の視線が柳雪に注がれる。
だが、一嵐と柳雪は互いに視線を交わしたまま微動だにしなかった。
目の前にたたずむ、痩せ細った一人の女。まさか彼女が帝に脅迫文を送りつけた犯人であろうなどとは思いもしないだろう。日々走り回っているおかげか、下女にしては健康的な体形をしている一嵐に容疑が向くのも納得がいく。
(見た目ばかり気にする後宮らしいことだ)
一嵐は胸の内でつぶやくと、柳雪から目を離さぬままに続けた。
「すべての始まりは、先月の流行り病です」
人の多い後宮で、その病はあっという間に広がっていき、数人の下女の命を奪った。
林翆もその中の一人だ。
「しかし、林翆の死因は、単なる病死ではありません。適切な治療を受けられなかったが故に死に至ったのです。それはなぜか……」
緋月蓉と刑部たちが同時に首をひねる。この様子では、やはり刑部も事の経緯は知らないらしい。
柳雪はあくまで無表情を貫いているが、林翠の名が出るたびにその肩が揺れている。
一嵐は息継ぎをする一瞬の間に腹をくくり、再び口を開いた。
「先月、さるお方が病にかかられました。その治療のため、後宮の薬はすべてそのお方のもとに集められたのです。当然、後宮から薬は消え、下女たちにまで行き渡らなくなってしまった」
「待って、さるお方って……」
緋月蓉が言外の意を察したか、化粧の上からでも分かるほど顔が蒼ざめる。
黙ってうなずこうとした一嵐だが、それを遮ったのは沈琛の横やり。
「朝廷の大臣ですよ。ここでは名は明かせませんがね」
「そ、そうなの? てっきり帝様が病に倒れ、それで帝様のことを恨んだのかと……」
「いえいえ、帝様はご健在です。きっと大臣本人に送るより、帝様に送った方が注目されると思ったのでしょう。まったく不敬なことだ。そう思うだろう、配達人?」
そう同意を求めてくる沈琛の目には、なんてことをしようとしてくれたんだという焦りと、これ以上余計なことを言うなよという圧が入り混じっている。
(弄ばれる側の気分が分かったか?)
内心ではいたずらに成功した悪餓鬼のように笑いながらも、一嵐は申し訳程度に頭を下げた。沈琛の苦々しい顔つきを見るに、一嵐の性根が分からないわけではあるまい。市井で裏家業に精を出していた人間に、少しでも良識を期待する方が悪いのだ。
沈琛への意趣返しに満足した一嵐は、それ以上は踏み込むことなく話を再開させた。
「ともかく、そうして林翆は薬を飲むことができずに死んでしまったのです。しかし、そのことに納得できなかった者がいた。その者は、林翠の死にかかわった者に対して復讐を企てました。薬を与えなかった医者、林翠を隔離した宦官、そして帝様に」
「それが……」
全員の視線が柳雪に注がれる。ひゅ、と喉の鳴る音がする。
しかし、刑部の男の一人が首を振って一嵐の方を見た。
「待て! なぜこの者が犯人だと断定できる? 死んだ下女にはほかにも親密な者がいたかもしれないではないか!」
「おお」
意外と鋭いことを言うな、と思わず声が漏れてしまった。どうやら忖度をするだけが能ではないらしい。
だがあいにく、こちらにも説明はつく。
一嵐は動揺している様子の緋月蓉を見やった。
「緋月蓉さま、一つお伺いしても?」
「え、ええ」
「先日、香を買われましたか?」
「買ってないけれど」
ついに一嵐はこらえきれずに口角を上げた。これで証拠は出そろった。
「それはおかしいですね。先日、私はお届けしたはずなのです。あなた様の下女、柳雪に」
「え? 私は受け取っていないわ」
「実際、彼女の署名も残っています。それにもう一つ、品物は実際には香ではありませんでした。重さや包装からして、中身はおそらくおしろいでしょう」
一嵐が説明すると同時に、沈琛が合点がいったようにうなずいた。
「それを塗りたくって幽霊に扮したわけか」
「おっしゃる通りです。もし自分が犯人でないというなら、その時の品を……」
推理の締めにかかろうとしたところで、それまで黙っていた柳雪が勢いよく顔を上げた。
「あるわけないでしょう? 顔、首、手足……あれだけあっても、すぐになくなってしまったわ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます