第11話 禁書庫の封蝋と、増える未遂
封蝋は、紙を守るための「最後の線」だ。
それが割れた瞬間、街の封印も――俺たちの「続きを」も、紙切れみたいに裂ける。
だからこの街じゃ、剣より先に印と署名がものを言う。
そして俺は今日も、紙に殴られる。
*
学術ギルドの建物は、印刷ギルドの熱気と真逆だった。
音が吸われる石の廊下。高い天井。
足音が遅れて返ってきて、乾いた紙と蜜蝋の匂いだけが鼻の奥に残る。
「紙は守る線ですね」
隣でユミナが、ぽつりと言った。
声は小さいのに、ここだと妙に響く。
「守る線を守るのが、面倒くさい仕事だよな」
「はい。面倒ですが、必要です」
真顔で頷かれると、愚痴が一瞬で正論に潰された。
受付のカウンターは低い。
なのに、そこに座る女が高い壁だった。
細い眼鏡。白手袋は指先までぴたり。
ペン先の動きに迷いがない。
名札に「リーネ」とある。
「ご用件は」
ユミナが一歩前に出かけて、止まった。
俺が先に声を出す。ここは俺の役目だ。線を引く。
「閲覧申請です。封印更新手順の原本と、関連する監査記録」
用意してきた包みを机に置く。
封筒が三つ、紙束が一つ、拓本の筒が一本。
リーネは包みを見ただけで、結論を先に落とした。
「原本は禁書庫です。開けられません」
「開けろと言いに来たわけじゃない。まず条件を教えてください」
視線が刺さる。
この顔――少年の顔が、どこまで信用されるか。
でも帳面は、年齢を見ない。
見ているのは書式と責任だ。
「条件は三つ。証拠提出。保証金。責任者署名」
淡々とした声で、指を一本ずつ立てる。
「証拠は“写し”ではなく、押印済みの提出物。保証金は銀貨。責任者署名は、閲覧中の事故と改竄の責任を負う者のものです」
「事故ってのは?」
「紙の損耗、蝋印の破損、結界干渉、持ち出し。――あと、閲覧者の偽名」
最後の一言が重い。
喉がからからになる。
仮登録。来歴なし。
ここでは、それだけでアウト寄りだ。
俺は最初から用意していた封筒を差し出す。
「冒険者ギルドの責任者、ヴァルトの署名と封蝋。あと、学院臨時詰所の確認文書の写し」
封蝋が割れないように角を押さえて出す。
銀の紋が、かすかに光った。
リーネは封を確かめ、目線だけで提出物を仕分けていく。
「黒釘の拓本、配布手順書の当該頁、印刷ギルドの証言書……」
口に出して確認しながら、最後にユミナを見る。
「申請者に、あなたの名を入れますか。あなたは学院関係者ですね」
「必要な範囲で。共同閲覧者として、入れてください」
ユミナの声は端的だった。
監査の匂いがする場所に来ると、彼女はいつも肩が少しだけ上がる。
リーネは申請紙を二枚滑らせてきた。
項目が細かい。閲覧理由、対象、時間、同席者、事故時の連絡先、責任の所在。
思わず現代の稟議書を思い出す。
嫌いじゃない。紙があると、段取りが組める。
……ただし。
「書式が違います」
リーネが一枚を指で戻した。
「ここは“封印関連”です。一般閲覧では通りません」
「了解。差し替える」
その場で書き直す。
理由は三行に圧縮だ。
“封印更新手順書の配布版に致命的な誤植の可能性。都市封印の維持に直結。黒釘(物証)と関連。”
これで通れ。頼む。
「保証金。銀貨五枚」
高い。
三日の仮登録で払った銀貨二枚が、まだ胃に残っている。
だが、ここで渋れば時間が溶ける。
時間は街の封印を削る。
財布に手を伸ばす前に、ユミナが小袋を置いた。
銀の音。必要経費の音だ。
「……ユミナ」
「整理します。今は、払う方が安いです」
安い、か。
苦笑するしかない。
監査対応は、先にコストを払う方が安い。
現代でも同じだった。
リーネは銀貨を弾いて音を確かめ、受領の印を押した。
「では。閲覧は“限定”です。原本の封蝋は割りません。監査記録と、索引と、管理台帳まで」
釘を刺すように言って、立ち上がる。
「案内します。境界線を越えないでください」
*
禁書庫へ続く廊下は、空気が違った。
温度が一段、下がる。
灯りが紙に優しい波形になっている。
扉の前に、線が引かれていた。
床に刻まれた細い溝。その溝に淡い青の光が流れている。
見えない結界の境界だ。
壁の古い文字列が、
扉には鍵が二つ、蝋印が三つ。
色が違う。紋章も違う。
学術ギルドの青。
都市評議会の黒。
学院の銀。
重ねてあるのが、逆に怖い。
一歩――踏み出しかけた。
線を越えて扉に寄れば、情報が増える。早い。正しい。そう決めつけたくなる。
……誤差。
情報が足りないのに、正解の顔をした手が勝手に伸びるやつだ。
俺は足を止めた。
リーネの手が静かに上がる。
「そこまで。閲覧室はこの先ですが、禁書庫の扉は別です」
「封蝋は“紙を守る線”です。割るのは手順ではなく、事件です」
事件。
その単語だけで背中が冷えた。
ユミナが扉を見つめている。
目は動かないのに、指先だけが揺れる。
首元の赤い宝石――アンカーに触れそうで、触れない距離。
「入れないのか」
「入れません。私でも。……ここは、監査の外側です」
外側。
線の外に立たされるのは、慣れているはずだった。
でも今は、その線の向こうに街の命綱が入っている。
「だったら、線の上で戦う」
自分に言い聞かせるみたいに続けた。
「手順で、できる範囲を増やす。無理に割らない」
「……はい」
ユミナの返事は短い。
でも、少しだけ肩が下がった。
そこで――ユミナの声が、ほんの少し大きくなる。
「しー、です」
「……しー、な」
俺が小声で返すと、ユミナも同じ高さで言い直した。
「しー……です」
真似してる。
しかも真顔だ。
思わず息が漏れて、笑い声になりかけて喉で押さえた。
ユミナが不安げに眉を寄せる。
「変でしたか」
「変じゃない。……良かった」
言って、迷ってから。
頭に、軽くぽん、と触れた。ひとつだけ。
ユミナの目が丸くなる。
それから、こくんと頷いた。
「……了解です」
胸の奥が、少しだけ温くなった。
守る理由が、また一つ増えた気がした。
*
閲覧室は、紙の音しかしなかった。
頁をめくる擦れ。
ペン先が走る音。
遠くで、砂時計が落ちる音。
リーネが運んできたのは、分厚い台帳だった。
背表紙に学術ギルドの紋。封緘の跡。重い。
「監査ログです。閲覧者名と、閲覧対象、封の状態、結界の干渉痕……すべて記録します」
「助かる。ログ読むのは仕事だ」
自慢じゃない。生活だ。
責任を負う側の人間は、ログで呼吸している。
台帳を開き、まず“いつも通り”を探す。
普段の記録は淡々としていた。定期点検、蝋印確認、封緘の更新。
文字の癖も一定で、インクの濃さも揃う。
――そこに、赤字が混じっていた。
「封蝋破り未遂」
思わず声に出た。
リーネが頷く。
「未遂です。封蝋自体は割れていません。結界が先に弾きました」
「……いつから」
「今月に入ってから、三件」
三件。
数字になると、恐怖が形になる。
日付を追う。
二十日、二十四日、二十七日。
最後は昨日だった。
欄外に小さな注記がある。
“刃物痕”
“熱痕”
“術式干渉”
物理と魔法。両方試してる。
思いつきの一回じゃない。手順で来てる。
さらに嫌なのは、記録の仕方が揃っていることだ。
当番が違うはずなのに、赤字の書き癖が似ている。
報告の文言も同じ型。
“書き方”まで整えてる。
「これ、増えたのは未遂だけか」
そう言うと、リーネは一拍置いて答えた。
「閲覧申請も増えました。理由を曖昧にする者が」
「……目的が違う」
「はい。だから、条件が厳しくなりました」
ユミナが台帳の上に指を置いた。
触れない程度の距離で。
「蝋印の色が、毎回同じです」
リーネの声が少しだけ硬くなる。
「禁書庫の封は複層です。ここに記録しているのは“最外層”。学術ギルドの封です」
自分の職場の線が、狙われている。
その硬さだった。
俺は息を吐いてから言う。
「原本が開けられないのは分かった。だから次に必要なのは、“どれを守るべきか”の特定だ」
「索引と管理台帳を見せてください。閲覧対象の範囲を、俺が書面で限定する」
リーネが眉をわずかに動かした。
「……限定、ですね」
「責任の線を引く。俺が引く。越えない」
ユミナが小さく頷く。
彼女の「必要な範囲で」と、俺の「責任の線」は、たぶん近い。
リーネは、ふっと目を細めた。
「割らない判断ができる護衛は珍しいです」
「……珍しくて結構です。割ったら終わる」
リーネが申請紙を一枚差し出した。
「では、ここに。閲覧範囲、閲覧時間、同席者。記録用の署名も」
「了解」
ペンを握る。
少年の手は細いのに、書くべき文字は重い。
恒一、と書きそうになって止めた。
俺は今、コイチだ。仮登録者で、現場協力者で、責任者署名の下にいる者。
書き終えると、リーネが台帳をもう二冊、静かに置いた。
背表紙に「索引」。
続けて「管理」。
索引を開くと、封印更新手順書が版ごとに並んでいた。
更新番号。適用区画。配布対象。改訂理由。
紙の上で、街が運用されている。
怖いくらいに。
ユミナが、誤植のある配布版の頁番号と照合する。
俺は黒釘の刻印の写しと照らす。
「……一致する」ユミナが小さく言った。
「偶然じゃない、ってやつだな」
管理台帳の方は、もっと生々しかった。
どの版が、いつ、何部刷られ、どこへ出たか。
差し替え。
再版。
急ぎ。
印刷ギルドで聞いた“外縁の下請け”の名が、端の注記に出てくる。
そこまで読んだところで――リーネが頁を指で押さえた。
「その先は、閲覧範囲外です」
「……範囲外ってのは」
「そもそも資格がない、という意味です」
言い切りが容赦ない。
でも正しい。
リーネは続ける。
「必要なら、追加申請を」
「手順を踏めば、増やせる?」
「はい。踏めば、増えます」
ユミナが小さく息を吐いた。
“踏めば増える”。それだけで、次の段取りが組める。
「……分かった」
分かった、が。
背中が冷える。
誰かがこの台帳の“どこか”に触れたくて、封蝋を割ろうとした。
そして、その痕跡は数字になっている。
台帳の最新頁に、赤字が走っていた。
「封蝋破り未遂――今月、三件」
三件で終わる保証は、どこにもなかった。
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