第8話 許認可の紙束と、誤植の一文字
紙は軽い――そう信じていた。
けれどこの街では、紙束が平気で人を殴ってくる。
冒険者ギルドの受付台に、ミラがどさりと束を置いた。
二重に巻かれた革紐。天には黒っぽいギルド印の封蝋が一滴、まだ艶を残している。
インクと乾いた紙の匂いが、喉の奥に刺さった。
会議室の匂いだ。反射で背筋が伸びる。
奥では版木を洗う水音。表のホールでは鎧の擦れる音と、依頼札を剥がす音。
生活の音なのに、ここだけ空気が硬い。
「学院から回ってきた。危機対応許可――連動で出すってさ」
柔らかい声で言われると、なおさら厄介に聞こえる。
「先に結論。雷は、好きに撃てない」
「非常時だけの特別許可。これがないと、巡察より先に“うち”が止める。分かるね?」
カウンター脇に巡察の制服が一人いた。監視というより同席だ。
目線だけで「勝手に動くな」と言っている。
俺は頷く。
「分かる。止められたくないから、先に止める」
「そういう言い方する子、嫌いじゃない」
ミラが目を細めた。
隣でユミナも頷く。喉元の赤い宝石――アンカーが灯りを拾い、薄く光った。
奥からヴァルトが出てきて、紙束の上にさらに一枚を重ねる。
「都市内武装行動規定。特定魔術行使許可(雷)。それと、行使後報告の雛形だ」
「条件は厳しい。だが、条件があるから通る」
条件がないと、全部が「駄目」で終わる。そういう街だ。
一枚目をめくる。罫線が揃っている。
印刷の街は、こういうところが速い。
『禁止事項』の欄が目に刺さった。
抜刀の制限、携行の扱い、下水への立ち入り――どれも「例外は許可で作る」と書いてある。
逆に言えば、許可がないなら例外はない。
「仮登録札の番号、ここに」
示された欄に、胸の内ポケットの札を確かめて数字を書き込んだ。
自分の名前欄が、やけに広い。
「名前……は、コイチでいい」
呟くと、ヴァルトが頷いた。
「呼称で構わない。ただし番号と紐づける」
「君が“誰か”は後でいい。今は“何をしたか”を残す」
戸籍より先に、記録が来る。
この街の合理だ。
次の紙は、特定魔術行使許可(雷)。
見出しの横に、太い注意書きがあった。
――
「導魔器って……俺の剣がそれになるのか」
柄に指を添えると、ミラが即答した。
「なる。金属で、手の中で、狙いを付ける。雷は“寄る”」
「寄った先が人なら終わり。だから登録するし、縛る」
門前で撃った一撃が脳裏に蘇り、喉が乾いた。
槍の穂先と門の金具へ、電光が吸い寄せられた――直撃してないのに、十分に危なかった。
条項の一つを指でなぞる。
「……“要請を受けた場合”って書き方、地味に詰む。こっちが先に殴られたら、要請を待ってる暇がない」
「だから危機対応なんだろ?」
巡察の男が低く言った。刺々しいが、筋は通っている。
ヴァルトが淡々と間に入る。
「その懸念は正しい。だから例外条項がある」
「『生命に差し迫る危険』――ここに丸を付ける。条件は増えるが、動けなくはならない」
ミラが紙の端に小さく印を入れた。
「ただし、“生命に差し迫る”の説明は報告書で求める。書けなきゃ次からは出ない」
苦笑が漏れた。
実務だ。感情じゃない。
書けるかどうかで、次が決まる。
さらに別紙。保険の条文。
「事故が起きた場合の弁済は保険でカバーする。ただし、手順違反は適用外――」
ミラがさらりと言う。
「それ、書類いるやつです」
「……そうだな」
曖昧な文言をひとつ潰す。
『過失が重大な場合』の定義。ここがぼやけると、現場が全部背負わされる。
ヴァルトが俺の指先を見て、目だけで笑った。
「君のその癖、助かる。後で揉める種は先に摘む」
「紙の捌き方、慣れてるね」ミラも言う。
「嫌な慣れだ」
紙束の横に、小さな布袋が置かれた。
中で金属が鳴る。
「接地杭。一本。予備は有償」
「――それと講習。今やる。逃げるなら今」
俺が返すより先に、隣が答えた。
「逃げない」
ユミナの声は短く、揺れなかった。
*
裏の小部屋は、前に呼ばれたのと同じ造りだ。
机と長椅子、壁の黒板。隅には焦げ跡の残る銅板。
ミラが銅板を軽く叩く。
「事故物件。去年、若いのが“ちょっとだけ”ってやった結果」
乾いた音のあと、焦げた匂いが鼻の奥に残る気がした。
「雷は直線、って思うでしょ。違う。条件が揃うと枝分かれする」
「水。金属。閉所。人の密集。……全部、街に揃ってる」
指を折っていく。
「だから、まず確認。撃つ前に“撃てない理由”を探す」
「見つかったら、“撃たない”。それが正解」
頷きながら、頭の中でチェックリストを組む。
仕事の危険予知と同じ――違うのは、ミスしたら人が死ぬ速度だ。
ヴァルトが淡々と言う。
「距離。最低でも十歩。遮蔽物がないなら二十」
「接地は必須。杭を打って、導魔器を通して落とす。水場は――」
「禁止。例外はない」
ミラが被せた。
「濡れてる床も同じ。雨も同じ。下水なんてもってのほか」
ユミナが小さく息を吐いた。
俺も同じだ。下水が現場なのに、雷は最初から封じ手になっている。
「反動も書いとく。痺れ、視界の白飛び、心拍の乱れ」
ミラが続ける。
「連打したら倒れる。倒れたら、杭は意味がない。――最後に、合図」
黒板に短く書かれた。
『接地――確認』
『距離――確保』
『周囲――退避』
『出力――最低』
『中止――撤収』
合図は、手順を体に打ち込む釘だ。
見ているだけで背骨が伸びる。
「……合図は、俺が言う」
「恒一さんが“撃つ側”です。合理的です」
ユミナが即答する。
「ただ――確認は私がします。接地と周囲、私が見ます」
「頼む。俺は狙いと出力に集中する」
「いい。そういう分担、好き」
ミラが口の端を上げた。
誓約書が回ってきた。
読んで、署名して、札の番号をもう一度書く。
羽根ペンを持つ指は小さい。先が震える。
……なのに、線だけは不思議なくらい真っ直ぐ引けた。
勝手に“正解”へ寄っていく感覚が、指先に残る。
――誤差。
飲み込んで呼吸を整える。
手順で、自分を固定する。
ユミナも迷いなく署名した。
最後に、赤い宝石へ視線が落ちる。
触れそうで触れない。
その一拍が、やけに重い。
*
講習が終わると、紙束はさらに増えた。
許可証の控え、誓約の写し、導魔器登録の札。
エリンは紙が速い。
その分、責任も同じ速度で追ってくる。
待機スペースの机で、報告書の雛形を広げた。
欄が多い。だが、欄があるのは助かる。
書けばいい。
残せばいい。
「俺が本文。ユミナ、確認」
「ミラとヴァルトは証言欄、お願いします」
ヴァルトが一瞬だけ目を丸くして、それから頷く。
「……班長だな」
「前の世界の癖だ。役割を決めないと事故る」
ミラが笑った。
「ほんと、書類いるやつだ」
「好きでやってるわけじゃない。慣れてるだけ」
羽根ペンを握り直し、書き始める。
発生場所、下水の封印輪。
発見物、黒釘三本。
引き渡し先、学院臨時詰所。
現場応急処置、巡察立会い。
添付、拓本(炭写し)。
行使術式、
雷系術式は水場のため不使用。
負傷者、軽微(打撲・擦過)。
死亡者、なし。
……「なし」が多い報告書は、いい報告書だ。
現場は何も起きなかった。
その“何も”を、次も続けるために残す。
事実と推測を分ける。
誰の判断で何をしたかを分ける。
責任の線を引く。
――この線は、逃げじゃない。
次の人が迷わないための線だ。
ユミナが背後から覗き込み、静かに言った。
「推測欄。ここは“可能性”に留めてください。確定語は避けた方が安全です」
「了解」
一語、消して書き直す。
『侵食』を『懸念』に落とす。
言葉ひとつで、政治が燃える街だ。
ヴァルトが署名し、ミラが証言を書く。
二人の字は力強い。現場の字だった。
最後に、束ねた紙へギルド印の蝋印が落とされる。
紙が“公になる”瞬間。胸の奥が冷えた。
「終わったら、これ」
ミラが湯気の立つ木杯を置いた。
薄い茶だが、温い。
一口飲んで、肩の力がようやく抜ける。
ユミナも木杯を両手で持ち、少しだけ間を置いて言った。
「……温い、好きです」
「寒くないだけで上等だ」
「上等……覚えました」
真面目に覚えなくていいところを、真面目に覚える。
――だから目の下に、うっすら影が落ちている。
いつの間にかユミナは別の冊子を開いていた。
薄いのに紙質がいい。印刷も鮮明。
封印輪の点検手順書――学院名義の配布物だろう。
ページ端に、刷り位置合わせの小さな印。エリンの紙だ。
同じ箇所を何度も往復して読む。
まばたきが少ない。呼吸も薄い。
「……真面目すぎだ」
言うと、ユミナがぴたりと動きを止め、俺を見る。
いや、背は向こうが高い。見上げてるのは俺の方だ。
でも目だけは真っ直ぐこっちに来る。
「真面目は……可ですか」
真顔で聞くな。
返し方に困るのに、胸の奥が妙に柔らかくなる。
迷ってから、机越しに手を伸ばした。
ユミナが届く位置まで、ほんの少し身を屈める。
頭に、軽く触れる。
一回だけ。
「可」
それだけ言うと、ユミナの肩がほんの少し落ちた。
安心した落ち方だった。
「……承認、受領しました」
「受領すんな」
小さく息が漏れて、茶がもう一口うまくなる。
その時だった。
ユミナが冊子をめくり直す。
指先が一行で止まった。動きが止まる。視線が落ちる。
あの一拍。
「……恒一さん」
呼ばれた名に、背筋が反応した。
俺の音なのに、俺の名前じゃない――あの感覚が喉元に蘇る。
ユミナが紙面を指で押さえる。
「……ここ、“補修”じゃありません。“解除”です」
一文字。
たった一文字で、手順は反転する。
守るはずの手順が、壊す手順に変わる。
机の上の蝋印が、黒く光って見えた。
ユミナがその黒へ手を伸ばしかけて――止めた。
指先が宙で固まり、喉元の赤い宝石へ視線が落ちる。
黒と赤。
どっちも、命綱の色だった。
――間違えたら、俺たちがそれを切ることになる。
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