第7話 学院臨時詰所の確認と、刻印の番号

 拘束されるかもしれない。


 それでも、俺は自分の足で学院の臨時詰所へ向かった。

 この街で「続き」を置くには、まず“確認”を通らなきゃいけない。


 夕刻。

 俺とユミナは冒険者ギルドの裏口を出た。


 石畳は昼の熱をまだ抱えていて、靴裏がわずかに張りついた。

 背後の視線は、振り返らなくても分かる。巡察の槍持ちが、距離を測ってついてきていた。


 護送じゃない。

 でも、放してもいない。


 隣を歩くユミナの喉元が、夕日を拾って赤黒く光った。

 アンカー。――二人きりの呼び名だ。


 昨日握った手の感触が指に残っていて、こっそり拳を握り、開く。


「先に確認したい」


 小声で言った。


「向こうの“確認”って、何をやる。身体検査? 聴取? 帳簿照会?」

「順番を間違えると、ろくなことにならない。先に想定しときたい」


 ユミナは歩幅を変えずに頷いた。


「整理します。学院の監査は、基本が記録です」

「封の文書の照合。来歴の確認。術式痕の有無。――それと、案件の分類」


 分類。

 その単語だけで胃が縮む。


 俺には戸籍も来歴もない。

 少なくとも、この世界の台帳には。


 学術区に入ると空気が変わった。

 露店の匂いが薄れ、代わりに紙と薬草と金属の匂いが濃くなる。窓から漏れる灯りも白い。研究室の光だ。


 路地の角に、灰色の外套が立っていた。

 袖口の白、白手袋。学院の印。


 目が合う前に、視線だけで「時間通りだ」と言われた気がした。


 建物は門みたいに大きくない。

 倉庫を改装したような低い石造りで、入口の前に細い線が何本も引かれている。


 魔力の線――結界の線。


 その手前で、白手袋の若い書記が俺たちを止めた。

 机の上には厚い帳簿、羽根ペン、蝋の欠片。


「氏名」


 柔らかい声なのに、刃物みたいに短い。


 ユミナが封筒を差し出した。

 銀の蝋印。アルヴェリア魔法学院の紋。


 書記は封を確かめ、帳簿をめくった。

 紙の鳴る音が、やけに大きい。


 ……この手の部屋、音だけで胃が痛くなる。監査室あるある。


「先に聞く。確認項目を教えてくれ」


 書記の眉が、わずかに動いた。


「質問は中で」


「中で答えるために、今聞く。順番を間違えると余計に拗れる」


 言ってから嫌になった。

 異世界まで来て、順番と段取りの話をしてる。


 ユミナが一拍置き、書記へ言った。


「彼は緊張で言葉が早くなります。必要な範囲で、項目だけ先に」


 その直後、ユミナが俺の襟元に指を伸ばした。


 きゅっ、と一回だけ。

 よれた襟を整えるみたいに直して、すぐ手を引っ込めた。


「……姿勢、整いました」

「そこも確認項目なのかよ」

「今は、私の項目です」


 真顔で言うのがずるい。

 腹の底の硬さが、少しだけほどけた。


 書記は小さく息を吐き、紙片を一枚、机に置いた。

 短いチェックリスト。


 来歴照会/登録照会/武装確認/術式痕確認/案件分類。


 俺は目でなぞり、頭の中で返答の並びを組む。

 チェックリストがあるだけで呼吸が戻るのが、悔しい。


「……入れ」


 結界の線をまたいだ瞬間、皮膚がひやりとした。

 雨に濡れたみたいな冷たさ。魔力が肌を撫でる感触。


 反射で剣の柄に触れかけて、止めた。

 余計な誤解は増やしたくない。


 *


 奥の部屋は、必要以上に整っていた。

 紙束は角が揃い、蝋印の色で分類され、金属箱には封緘の印。


 現場の匂いがしない。

 だけど、現場を縛る匂いはする。


 灰色の外套の男が立っていた。

 下水の釘を引き取った、あの監査官だ。


 白手袋のまま、軽く頭を下げた。


「ルドヴィク・グレイ」

「アルヴェリア魔法学院、封印監査官。臨時詰所の実務責任者です」


 巡察の槍持ちは部屋の外で止まった。

 ここから先は学院の領分――胸の奥で、国境が引き直される感覚がした。


 ルドヴィクの視線が俺を走った。

 喉元を一瞬だけ外し、手、腰、足へ落ちる。武装と癖の確認。


 目線だけで、もう半分終わってる。


「コイチ。来歴を提示してください」


「ない」


 即答した。

 曖昧にすると、嘘の線ができる。線は一度引かれると消えない。


「……ない、とは」


「提示できるものがない。記憶がない、じゃない」

「戸籍も出身も、この街に来るまでの証明も――たぶん最初から“存在しない”」


 息を吐いて、続けた。


「だから確認したい。俺をどう扱う。拘束か。保護か。協力か」


 ルドヴィクの目が、ほんの少しだけ細くなった。


「存在照会の結果、あなたは台帳に一致しません」

「戸籍、来歴、学院の記録。いずれにも該当がない。――存在不整合です」


 存在不整合。

 専門語の顔をした宣告だ。


 要するに――書類上、俺はいない。


 ユミナが口を開きかけた。


「私が――」


 視線だけで止めた。

 その「私が」で、全部を持っていかれる。


 ルドヴィクは淡々と続けた。


「ただし、即時拘束はしません」

「封印輪の摩耗案件が進行中です。あなたは現場協力者として、すでに関与している」

「よって本件は――隔離ではなく、案件化します」


 案件化。


 拘束じゃない。

 でも自由でもない。


 中間。条件付きの生存。


「条件を提示します」


 ルドヴィクが指を一本立てた。


「第一。封印の黒い釘は学院が証拠保全します。現物への接触は原則禁止」

「第二。あなたとユミナは協力者として現場に同行する。勝手な単独行動は禁止」


 指が二本、三本。


「第三。危険術式の行使は許可制。特に雷系――雷撃ライトニングボルトは、危機対応許可が必要です」

「許可は冒険者ギルドと連動させます。エリンの制度を通す」


 雷は強い。

 でも現場じゃ、撃てない場所の方が多い。


 なら、別の線が要る。

 撃てなくても届く火力。推進力で間合いを潰す線。


 そんなことを考えてしまう自分が嫌で、俺は口を閉じた。


「行動範囲は」


「都市外へは出ない」

 ルドヴィクは即答した。

「巡察にも通知します。あなたの監視は続く」


 監視。

 嫌な単語だ。


 でも、ここで噛みついたら拘束に傾く。

 顎の奥で歯を噛んで、声の温度だけ落とした。


「了解。条件は受ける」

「その代わり、こちらの条件も出す」


 ルドヴィクの眉が、ほんの少し上がる。


「言ってください」


「ユミナへの単独聴取は原則やめろ。立会いを付けてくれ」

「それと、現場同行の指示は書面で。後から言った言わないで揉めるのが一番コスト高い」


 コスト、って言葉が口から出て、自分で苦笑いしそうになった。

 誤差じゃない。これは俺だ。俺の悪い癖。


 ルドヴィクは一拍置き、頷いた。


「立会いは、必要に応じて」


 必要に応じて、の線引き。

 全部は飲まない。けど、完全拒否もしない。


「書面は出します。齟齬は案件の損失ですから」


 損失、ね。

 監査官の優しさは、いつも合理の顔をしている。


 *


「次に、ユミナ」


 ルドヴィクの声が、ほんの少しだけ柔らかくなった。


「あなたは学院の記録にあります。特待、研究員。文献魔法アーカイブアーツ適性は高い」

「今回、現場判断も妥当だった。封印輪の応急補修は評価します」


 評価。


 ユミナの肩がほんの少し落ちた。


 褒められて嬉しい、じゃない。

 評価されると要求が増える。そういう落ち方だ。


 ルドヴィクが続けた。


「ただし――」


 空気が一段冷える。


「あなたの研究は監査対象です」


 余計な説明はない。

 説明がないほど重い。


 ユミナの指先が喉元へ行きかけて、止まる。

 石には触れないまま、息だけが浅くなる。


「……承知しています」


 端的で、手順の声。

 けれど一拍遅れていた。


「違う」


 思わず声が強くなる。

 すぐ温度を落とした。


「承知、じゃなくて……線を引こう」

「監査は監査でやれ。でも、この案件の責任をユミナ一人に乗せるな」


 言い切ってから、続ける。


「封印輪が摩耗してた事実と、黒釘が刺さってた事実。ここまでは“現場の記録”だ」

「そこから先は、手順と管理の問題だろ。弱いところに押し付けるな」


 ルドヴィクが俺を見た。


「責任の所在を、先に固定したい?」


「固定したい」


 短く返す。


「曖昧なままだと、いちばん弱いところが持っていかれる」

「……そういう現場を、俺は知ってる」


 ルドヴィクは視線をユミナへ戻した。


「あなたの安全は、協力の前提です。倒れれば、案件が進まない」


 合理の言葉。

 それでもユミナが、少しだけ息を吐いた。


 俺は拳を開き直した。

 守るのは感情だけじゃない。運用だ。


 *


 ルドヴィクが金属箱の封緘を解いた。

 封蝋が割れる乾いた音。


 中から、布に包まれた細い金属片が三本出てくる。

 黒い釘。


 白手袋でも触れない。ピンセットで持ち上げる徹底ぶりだ。


「現物です」


 ルドヴィクが空中に短い線を引く。


文献魔法アーカイブアーツ。補助手順、起動」


 空気が静かに沈む。

 釘の表面の微細な凹みが、灯りとは別の角度で浮き上がった。


 胸の内側がむず痒い。

 情報が揃っていく感覚。怖いのに、目が離せない。


 ルドヴィクが釘を光にかざした。

 下水で感じた、あの嫌な熱――それが、ここでも薄く蘇る。


「刻印があります」


「見せてくれ」


 言った瞬間、しまったと思った。

 現物への接触は禁止だ。


 ルドヴィクは目だけで釘をこちらへ傾けた。

 触れさせない距離。だが見える距離。


 刻みは、傷じゃない。

 意図のある並び。


 数。

 そして区切り。


 ユミナが小さく息を吸った。


「……数字の書式が、封印輪の更新台帳と近いです」


「更新台帳?」

 俺が反射で聞き返すと、ユミナは真顔で補足した。


「封印を“更新した”記録です。つまり、いつ・誰が・どの手順で触れたか」

「……触れた履歴の帳簿、ってことか」

「要するに、そうです」


 ルドヴィクが頷いた。

 淡い頷きなのに、確信の重さだけが増す。


 監査官は淡々と言い切った。


「――これ、封印更新の番号です。偶然ではありません」


 更新番号。


 つまり、刺さったんじゃない。

 “更新の手順”で刺された。


 俺が喉の奥で息を飲んだ、そのとき。


「ルドヴィク監査官」


 扉の外から声がした。

 書記だ。


「都市記録局の者が到着しました。面会を求めています」


 ルドヴィクの眉が、ほんのわずかに動く。


「通せ」


 扉が開いて、男が入ってきた。


 灰色ではない。

 濃紺の外套。胸に小さな金属章。都市記録局の印。


 細い目が、部屋の空気を一撫でしてから、俺とユミナへ止まる。

 止まったまま、笑った。


「都市記録局・記録官、ハインリヒ・シュライバー」


 名乗りが、わざとらしいほど丁寧だった。


「……ルドヴィク。同期のよしみで言っておく」

「君の監査は甘い」


 空気が、きしむ。


 ルドヴィクは表情を変えない。

 声も温度がない。


「君が来る理由が不明だ。――用件を述べろ」


「用件? 簡単だよ」

 シュライバーは釘を一瞥し、すぐユミナへ視線を移した。


 喉元へ。赤い石へ。


「その石を“触媒”にした研究。学院で申請していたね」

「使い魔の補助術式――そういう建前だったか」


 ユミナの肩がわずかに強張る。

 俺は一歩だけ、前へ出た。


「その話は案件と関係ない」

「関係あるさ」


 シュライバーは笑ったまま、軽く肩をすくめる。


「封印輪の摩耗。黒い釘。更新番号」

「そして、そこに“禁呪”の匂いが混ざる」


「禁呪?」

 俺が聞き返すと、シュライバーは待ってましたと言わんばかりに言った。


「禁呪の疑いだ」


 言い切るだけで、部屋の空気が一段冷える。

 言葉がラベルで、人を縛るタイプの男だ。


「禁忌汚染の可能性もある。――放置すれば、ザイラントが動く」


 ザイラント。

 その名が出た瞬間、背中に冷たいものが走った。


 シュライバーはさらに畳みかける。


「この場で研究者を隔離し、関連物は封緘。都市記録局としても、それが妥当だ」

「君が躊躇うなら、私が手順を書き直してやる」


 ルドヴィクの視線が、釘からシュライバーへ移る。

 ゆっくり、確実に。


「手順を“書き直す”権限は君にない」


 淡々とした声なのに、刃が入っていた。


「疑義は受領する。だが、確定はしない」

「この場で隔離はしない。封緘は――情報に対して行う」


 ルドヴィクは机の引き出しから封緘札を一枚取り出し、釘の番号を記した紙へ重ねた。

 蝋を垂らし、蝋印を押す。乾いた音が、宣告みたいに響く。


「記録局の意見も封緘する。後から“言った言わない”で案件を汚すな」

「君は帰れ。必要なら呼ぶ」


 シュライバーの笑みが、ほんの少しだけ歪んだ。


「……相変わらずだね、ルドヴィク」

「甘いのは、君じゃなくて“現場”か」


 最後にユミナを一瞥して、扉へ向かう。


「ユミナ。学院は君を見ている」

「一線を越えれば、今度は守ってくれる人はいない」


 言い捨てて出ていった。


 扉が閉まる。

 静寂が戻ってきて、やっと息が吸えた。


 ルドヴィクは封緘札の上から指を置いた。


「……話を戻します」


 視線が釘へ戻る。


「ルドヴィク」


 声を落とす。


「その番号、いつの更新だ。最新か? それとも――」


 監査官の目が、ほんの少しだけ冷たくなる。


「確認します。今夜中に」


 その一言で分かった。


 “今夜中に”じゃないと、明日が詰む。


 *


 外へ出ると、夜の空気が肺に刺さった。

 巡察の槍持ちは、何事もなかった顔で距離を保っている。


「……ザイラント、って言ったな」


 俺は歩きながら、ユミナへだけ聞こえる声で言った。


 ユミナは頷いた。


「ザイラント……ミレオスだと、禁呪の絶対撲滅が国是で」

「発動を知ったら“聖戦”っていう決戦術式で、周囲も巻き込んで殲滅を図る国だっけ」


 ファンタジーあるあるとしてTRPGで読んでた時は、正直、流していた。

 けど現実になった瞬間、笑えない。


 狂戦士でも作って、巻き添え上等で殲滅――そんな発想、どこの魔王だ。


「はい。このミレオスでも同じです。最後に観測されたのは、二十年前らしいですが」

「だから、禁呪の疑いを安易に口に出すシュライバーさんの正気を疑っています。ルドヴィクさんも同じ気持ちでしょう」


 口にしただけで、胃の底が冷える。

 あの男は、脅しの材料にそれを選んだ。


 つまり、怖がらせるだけの“説得力”が、この街にはある。


 ユミナが小さく息を吐いた。


「封印輪の摩耗と、黒釘の更新番号。点はつながりつつあります」

「だからこそ、手順が必要です。曖昧なまま進めば、私たちは先に折れます」


 俺は頷いた。


「折れない」

「今夜、番号が繋がる。その前に、俺たちの線を固める」


 街灯が石畳を照らす。

 影が長く伸びて、二人分が並んだ。


 ――この影を、誰にも踏ませない。

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