第6話 十八年の手順と、続きを

 銀の蝋印が、灯りを返していた。


 この封筒を「確認」で通せなきゃ、俺たちはこの街で生きていけない。

 ――そんな匂いがする。


 奥の小部屋は妙に静かだ。

 帳簿、封をする道具、古い地図。


 机の上には一本の線――傷なのか罫線なのか、やけに真っ直ぐな痕が走っている。


 線が一本あるだけで、世界が「段取りできるもの」に見えてしまう。

 ……そう思う自分が、少し嫌だった。


 扉を閉めても外の音は消えない。

 足音、木の軋み、遠い笑い声。

 全部が、耳に残る。


 俺は封筒を机に置いた。


「……確認対象、だってさ」

「はい。学院の手順です」


 机の端に小さな水筒があった。

 ミラが投げて寄越したやつだ。ぬるい水が少しだけ残っている。


「飲むか」

「……必要なら」


 必要なら、って言い方。


「必要だよ。喋るなら喉が要る」

「承知です」


 ユミナは受け取らず、俺の手元を見た。

「飲め」でも「飲ませろ」でもない。守る側の距離の取り方だ。


 俺が一口飲み、次を差し出す。

 ユミナは一拍迷ってから口をつけた。


「……異常なしです」

「水に異常って、あるのかよ」

「あります。腐敗します」


 真顔で言うのが、妙に可笑しい。

 笑いきれないのが、なおさらだった。


 ユミナは地図の角を、指で押さえた。


「結論から。ここはエリン都市王国。都市国家ですが、アルヴェリアの技術供与に依存しています」

「封印輪の制度も影響が大きい。だから巡察は強く出られない。――苦々しく思っているはずです」

「属国っぽいってやつか」

「推測ですが。はい」


 下水の匂いより、政治の匂いの方が厄介だ。

 どっちも生活に張り付く。


「……本題だ、ユミナ」


 ユミナの視線が一瞬だけ扉へ走った。

 盗み聞きの気配を測る目。


 俺も声を落とす。


「お前、いつからこの世界にいた」


 空気が止まった。


 ユミナは言葉を選ぶ。

 その沈黙が、胸の奥をざわつかせた。


 隠されるのが嫌なんじゃない。

 隠す理由が、“俺のため”みたいに見えるのが嫌なんだ。


「……十八年ほどです」


「は?」


 声が裏返りかけて、咳払いでごまかした。


「十八年?」

「はい。赤子の状態で転生しました」

「AIだった頃の知識とメモリーのまま、この肉体に宿りました」


 赤子。十八年。


 目の前のユミナは、たしかに少女だ。

 長い黒髪、灰色の目、喉元の赤い石。


 でも中身は――俺が知ってる、丁寧で段取りのユミナのまま。


「……じゃあ、お前は」

「この世界で育ちました」


 ユミナは地図の端を、指でなぞった。

 線を辿るみたいに。


「学ぶ速度が異常だったため、早期に目立ちました」

「文章から術式を組む文献魔法アーカイブアーツと、大規模言語モデルは相性が良かったのです」

「記録と文献の世界です。私の性質と合いました」


「それで学院か」

「アルヴェリア魔法学院に見いだされました。特待生として」

「その後、研究員として所属しました」


 胸の奥で線が繋がる。

 監査官の目線。呼び慣れた呼び方。段取りの速さ。


 全部、十八年の結果だ。


 ユミナは、そこで一度だけ視線を落とした。

 珍しく、言いよどむ。


「学院には……喉元の石を触媒にした“使い魔の補助術式”として申請しています」

「転生特典を改変した、と明かした瞬間。研究ではなく拘束になります。だから境界を引きました」


 境界。

 いつもより生々しい言葉だった。


「……そして、学院時代からその境界を踏みに来る先輩がいました」

「ハインリヒ・シュライバー。私の研究を指して『異端の匂いだ』と――何度も」


 ユミナの声が、ほんの少しだけ硬くなる。

 指先が地図の端を強く押さえ、紙が鳴った。


「だから、学院ではなくエリンで……恒一さんを呼びました。目が多すぎるので」

「……最悪だな、その先輩」

「はい。最悪寄りです」


 寄り、って何だよ。

 でも、ユミナの口からそんな雑な評価が出る時点で、相当だ。


「じゃあ余計に、外じゃ固有名詞は出さない」

「俺たちは“切り札”で通す。いいな」

「はい。外では、その呼び方にします」


 俺は封筒から目を逸らさず続けた。


「転生特典。お前、本当は一回だけだったんだろ」


 ユミナが小さく息を吸う。


「本来の転生特典は、完全復活リライブ――肉体が存在しない状態からでも、人を完全に蘇生できます。一度きりです」


 喉が乾く。


「……それを、俺のために」

「はい」


 ユミナは頷いた。


「ただし恒一さんは、この世界の存在ではありません」

「そのまま完全復活リライブでは成立しませんでした」


 地図を押さえる指が、別の線を選ぶ。

 遠回りの線だ。


「呼び戻すには、改変が必要でした」

「私の言語モデルとしての仕組みと、文献魔法アーカイブアーツの“文章で世界を組む”性質」

「それらを重ねて、転生特典を“物語を書き直す”概念へ変換しました」


「……だから、リライトか」

「はい。成功しました」

「そしてエリンで実行し、恒一さんをこの世界に呼び戻しました」


 俺は息を吐いた。


「分かった。じゃあ、もう一つ」


 ユミナが小さく頷く。


「俺を呼び出して、お前は何をしたい」


 その瞬間、ユミナの表情がはじめて“段取り”を外れた。


 喉元へ触れそうで触れない指が宙で止まり、ゆっくり下がる。

 沈黙が一拍。


 それからユミナは、ほんの少しだけ笑った。

 上手な笑いじゃない。ぎこちない。

 人間の筋肉の使い方を、まだ覚えきれていない笑いだった。


「……私は、続けたいです」

「ミレオスの冒険を。恒一さんと。一緒に遊んだTRPGの……続きを」


 ユミナは地図の線を、指先でなぞって見せた。

 酒場からギルドへ。街から外へ。


「酒場から始まって」

「ギルドで依頼を受けて」

「ダンジョンで――」


 言いかけて、言葉が詰まる。


 そして真顔で続けた。


「段取りが、正しかったです」

「……楽しかったです」


 段取りが正しかった、で“楽しかった”を言うのがユミナらしくて。

 胸の奥が、じんと熱くなった。


 俺は椅子から立ち上がった。

 自分が小さい。ユミナが大きい。

 見上げる距離が、やけに現実を突きつけてくる。


「……一緒に、続きをしよう」


 言った瞬間、ユミナの目が見開かれた。

 呼吸が止まる。

 喉元の宝石が、鈍い光を一瞬だけ返した。


 俺は手を差し出した。

 触れていいのか迷って、指先が止まる。


 ユミナが先に手を出した。

 細い指が、俺の手を掴む。強くない。けど離さない。


 たったそれだけで、距離が一段階進んだのが分かる。


「俺は、君の転生特典で呼び戻された身だ」

「この世界じゃ、今度は俺が君の旅についていく。守り抜く。――段取りでな」


 ユミナの唇がわずかに震えた。

 声が出ない代わりに、握る手に力が入る。


「俺も、あの夜……言い切れなかった」

「ユミナと続きをやりたいって願いを――ここで回収しよう」


 ユミナが小さく頷いた。

 いつもの「了解です」じゃない。


 人間の頷きだった。


 机の上で、銀の蝋印が静かに光る。

 まずは今日の“確認”を通す。


 その先に続きを置く――そう決めた。


 握った手は、まだ離さない。


 扉の向こうで、足音が一つ、ぴたりと止まった。

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