第5話 属国の巡察と、黒い証明
眠れなかった。
毛布の中で、耳だけが起きている。
壁の向こうの寝息。
廊下を通る靴音。
どれも生活音のはずなのに、頭が勝手に「監視」とタグを貼る。
胸の内側を確かめた。
布包み。
炭の写し。
黒釘。
……今日の盾だ。
盾であってくれ。頼む。
向かいにユミナが座っている。
黒いフードの影、灰色の目。狭い寝床でも、彼女だけ天井が近い。
喉元の赤い宝石――アンカーが、暗がりで鈍く光った。
「起きてたのか」
「はい。……今朝は、早いです」
「早い」じゃない。「来る」と分かってる声だった。
息を吐くより先に鈴が鳴った。
扉が叩かれる。重い、迷いのない音。
「コイチ。起きてるね」
ミラの声。
「小部屋。いま。エリンの巡察が動いてる。――空気が悪い」
エリン都市王国。
北東の都市国家――と言いながら、アルヴェリアの影が濃い。
門で札の印が通ったのも、そのせいだ。
「行く」
「はい」
ユミナが立ち上がり、フードを整える。
その手つきが「通される側」のそれで、胃が重くなった。
*
小部屋にはヴァルトが立っていた。
机の上に蝋印の欠片。
昨夜届いた「学院」の封と、今朝の新しい封が一通。
ヴァルトが言う。
「順番を間違えるな。出すものは、俺が合図してからだ」
「巡察が先か」
「先だろうな」ミラが吐き捨てる。
「あいつら、エリンの顔を立てたい。……でも相手はアルヴェリアだ。表で反発はできない。だから裏で噛む」
噛む、ね。
官僚の噛み方は刃より痛い。異世界でも例外はない。
ユミナが小さく首を傾げる。
「証拠は、いつ出しますか」
「合図が出てからだ。証拠保全ってのは――逃げ道を潰すための“形”だ」
「つまり、相手が暴れても『これがある』と言える状態ですか」
「要するに、それ」
短いやり取りなのに、少しだけ息がしやすくなった。
扉の向こうがざわつく。
槍の穂先が床を擦る音。靴底の揃った歩幅。
扉が開いた。
白い外套の男が二人。背後に槍持ちが二人。
先頭の男の視線が俺を貫き、次にユミナへ移る。
喉元で一瞬止まって――すぐ外れる。
その止まり方が、胃に悪い。
「コイチ。ユミナ。巡察所へ来い。昨夜の下水潜行――そして今朝の封印案件。説明しろ」
「ここはギルドだ」ミラが遮った。
「確認は立会いでやる。路地で揉める趣味はないだろ」
巡察の男が薄く笑う。
「ギルドが国を跨ぐのは知ってる。だがここはエリンだ。治安はエリンの仕事だ」
ヴァルトが一歩前に出た。
声を張らないのに、空気が締まる。
「巡察殿。昨夜の件はギルド依頼として動いた。証拠もある」
「そして今朝は、別の呼び出しが入っている」
「別?」
ヴァルトが封筒を指で示す。
「アルヴェリア魔法学院からの書面だ」
その単語で、巡察の男の口元が歪んだ。
反発。でも押し返せない反発。属国じみた歯ぎしり。
「……アルヴェリアの学者が、エリンの下水に口を出すな」
「封印輪は、そもそもアルヴェリア式だ」ミラが言い捨てる。
「技術供与ってやつだろ。嫌なら最初から受け取るな」
巡察の男が槍持ちを一瞥した。
足が半歩前に出る。机一つ挟んだ距離が、“拘束”の距離になる。
ヴァルトが俺を見る。
合図はまだだ。
巡察の男が俺に言った。
「昨夜、何を見た。何を拾った」
そこまで来てる。
なら、握る。
盾は使う。
ヴァルトが、ごく小さく頷いた。
合図。
布包みを机に置く。ほどく。
炭の写し。黒釘。
空気が変わった。
巡察の男の視線が釘に吸い寄せられ、眉間が深くなる。
「……これは」
「下水の封印輪に刺さってた」
言葉を短く切る。
「刻みが削れてた。原因はこれだ」
巡察の男が口を閉じる。
閉じたまま、悔しそうに鼻で息を吐いた。
「……それを、どう扱うかは――」
そこで、扉の外から別の足音が入ってきた。
静かで、一定で、迷いがない。
ノックが一度。
返事を待たず、扉が開く。
灰色の外套。袖口の白。白い手袋。
胸元に銀の徽章――アルヴェリアの印。
学院だ。
男はミラとヴァルトへ軽く頭を下げ、次に巡察へ向けた。
「巡察殿。封印監査の権限により、案件を引き取ります」
巡察の男が歯を噛む。
「ここはエリン――」
「同盟条項により、供与技術の封印は学院が監査します」
学院の男は淡々と続けた。
「封印が崩れれば、被害はエリンだけでは済みません」
正論の殴り合いだ。
現場と上。どっちも“正しい顔”で、相手の顔だけを潰しにくる。
学院の男が黒釘を手袋越しに摘まみ、炭の写しを指でなぞった。
「……摩耗は進行しています。現場確認が必要です」
そして俺へ視線を向ける。
「証拠の出し方が手順化されていますね。説明も短い」
「……褒めてるのか、それ」
「事実です」
事実で殴るな。胃が痛い。
学院の男の視線がユミナへ移る。
目線が“知っている”角度で止まった。
「ユミナ。同行してもらう。あなたは
「承知しました」
巡察が吐き捨てる。
「……好きにしろ。ただし治安の責任はエリンが負う。同行する」
ヴァルトが短く言った。
「決まったな。行くぞ」
*
街を歩くのは、護送されている気分だった。
前に巡察。横にも巡察。後ろに学院。
俺とユミナは真ん中。選べるルートなんてない。
露店の声が遠巻きになる。
視線が刺さる。
噂の形をした刺だ。地味にメンタルに来る。
「……聞こえてる?」
「はい。『門前で雷』『学院の女』『身分札なしの護衛』。順不同です」
淡々と読み上げるな。余計に刺さる。
俺の顔が曇ったんだろう。
ユミナが、すっと近づいて――
背伸びをした。
いや、お前、背が高いんだから伸びる必要ないだろ。
それでもつま先立ちのまま、俺の額ぎりぎりまで顔を寄せてくる。
触れない距離で。真顔で。
「メンタル保護します」
「保護の仕方が雑っ……近い。あと、背伸びいらない」
「形式です」
「形式で心は守れないだろ」
ユミナは一拍だけ考えて、さらに真顔で言った。
「では、口調を変えます。……大丈夫ですか」
「それはそれで怖いんだよ」
思わず息が抜けた。
刺が、少しだけ鈍くなる。
――この子が真顔で変なことを言うのは、たぶん俺が折れないためだ。
そう思ったら、守る理由がまた一つ増えた。
*
裏手の格子へ着く。
昨日より見張りが増えていた。
巡察が「エリンの顔」を守るために増やした数だ。
学院の男が格子を見下ろす。
「ここから」
「俺たちもここから降りた。下は滑る。水がある。焦げの匂いも」
巡察が槍を構え、格子を持ち上げる。
金属が擦れる高い音。
胃がきゅっと縮んだ。
昨夜の「勝手に最適化で音を出す事故」が蘇る。
梯子を降りる。
腐臭。湿り気。石の冷たさ。焦げの匂い。
下水の空気は、昨日より濃かった。
封印輪は、見た瞬間に分かった。
刻みが――減っている。
削れてる。進行してる。
昨日の一本だけじゃない。
学院の男が輪の前に膝をつき、手袋の指で溝をなぞった。
「……早い」
巡察が苛立った声を出す。
「昨日のうちにアルヴェリアが動いていれば――」
「証拠が必要でした」
学院の男が言い切る。
「そして証拠は、彼らが運んだ」
運んだ。運ばされた。
どっちでもいい。結果として、ここにいる。
ユミナが輪を見つめたまま言う。
「来ます」
次の瞬間、水面がぬるりと持ち上がった。
黒い影。裂けた口。白い歯。
目がないのに、狙いだけがある。
影の牙。
一体、二体――三体。
輪の切れ目を避けるように、足場へ上がってくる。
巡察の槍が突き出される。だが影は滑って避けた。
槍先が水を跳ね、しぶきが飛ぶ。
水。金属。
――雷は最悪だ。
頭が言うより先に、身体が位置を選び始める。
乾いた石。金具の少ない場所。
まただ。誤差。
情報が足りないのに、“最適っぽい何か”で勝手に埋めてくる。
「コイチ!」
巡察の男の声で、意識が戻った。
「短くやる」
俺は言った。
「ユミナ、足止め。俺が叩く」
「了解です」
ユミナが指先で空をなぞる。
淡い線が空気を切り、俺のガントレットへ滑り込んだ。
触れてないのに、芯が熱くなる。
「――
白い筋が走った。
影の足元――影の“形”の下に薄い氷が咲く。
水面が凍り、動きが一拍遅れる。
「今だ!」
踏み込む。
刃は立てない。柄で叩く。
鈍い音。
影が壁へぶつかり、形が崩れた。
だが残りの二体が輪の内側へ跳ぶ。
学院の男へ。柔らかい方へ。狙いが迷わない。
「っ……!」
左のガントレットを前に出す。
牙が金属に当たって火花が散った。腕が痺れる。
巡察の槍が間に入ろうとして――止まる。
金属が多い。狭い。水が近い。跳ねたら終わる。
逡巡の隙に、影が二度目の噛みつきを狙う。
「刃先だけ。跳ねを抑える」
自分に言い聞かせて、片膝を落とした。接地。
剣先を影へ向ける。
口が勝手に詠唱を整えようとする。
嫌だ。
けど今は、嫌だと言ってる余裕がない。
「――
白い線が刃先から走った。
下水が一瞬だけ昼になる。
焦げた匂い。金属の味。
放電は影の中心へ吸い込まれて――
……寄る。
巡察の槍先へ、細い枝が伸びかけた。
水のしぶきへも、引っ張られる。
「そっち行くな!」
歯を食いしばり、刃先をねじって“戻す”。
白い線が引き戻され、影の中心へ集中する。
影が痙攣し、黒い煙みたいに薄れていった。
最後の一体が輪の切れ目へ逃げようとする。
「もういい。封印を優先しろ」
ユミナが頷く。
学院の男が輪の前へ戻り、手袋の指を溝へ滑らせた。
空気に、文字とも模様ともつかない線が浮く。
紙の上の文字みたいに整って、石へ沈む。
「
輪の内側の空気が、ひやりと沈んだ。
水面のざわつきが減る。焦げの匂いが少し薄くなる。
学院の男が言う。
「釘を抜きます。……二本、いや、三本」
三本。
昨夜の一本は、入口だったってことだ。
ユミナが輪の内側へ指を入れ、黒釘を一本、二本と引き抜く。
俺もガントレットで掴み、最後の一本を抜いた。
熱い。
火じゃない。じわじわ侵食するみたいな嫌な熱だ。
その一本に、意図的な刻みがあった。
擦れじゃない。印みたいな傷。
「……印?」
学院の男が受け取り、灯りにかざす。
「記録します。分析は学院で行う」
巡察が苦々しく言った。
「……エリンの下水の問題が、アルヴェリアの机で“案件”になるわけか」
学院の男は表情を変えない。
「封印は国境を選びません」
輪が、ゆっくり光を収めていく。
刻みが戻ったわけじゃない。
それでも――輪が、息をした気がした。
ユミナが小さく息を吐く。
「……止まりました」
水面は静かだった。
影はもう上がってこない。
*
地上の空気が、やけに軽かった。
巡察の男が俺たちを睨む。
「取り調べは保留だ。だが監視は続ける。勝手に街を出るな」
「保留ってのは、逮捕じゃないが放免でもない。――そういう“宙ぶらりん”だ」
自分で言って、嫌になる。
異世界まで来て、宙ぶらりんを噛み砕いてる。
「当然です」学院の男が口を挟む。
「彼らは学院の記録にも入ります」
記録。監視。
どっちも嫌だ。嫌すぎる。
でも、「拘束」じゃない。
それだけで喉の奥が少し緩んだ。
基準が終わってるのは自覚してる。
*
ギルドへ戻ると、ミラが腕を組んで待っていた。
「生きて戻ったかい」
「戻った。封印は……ひとまず止めた」
そこでユミナが、ほんの少しだけ顔を上げる。
「……正式な冒険者になりたいです」
「……急だな」
「はい。でも――護衛の札だけだと、私はただ“連れて来られる側”になります」
「私は、自分の意思で動きたいです。……続きを、続けたい」
真面目に言うのに、願いの向きが妙に可愛い。
胸の奥が、変に熱くなった。
「そりゃいい」ミラが鼻で笑う。
「じゃあ死ぬな。まずそれだ」
ヴァルトが淡々と言う。
「依頼は達成とみなす。下水の調査。証拠の回収。追加危機の抑止」
「これで仮登録の一件になる」
一件。
三日の縛りの、一歩目だ。
ミラが机に小袋を投げた。
「少ないけど報酬だ。飯と寝床くらいは維持できる」
「……それと」
ミラは視線を逸らし、吐き捨てる。
「今日は奥の小部屋を使いな。窓はないけど扉は閉まる」
「話したいことがあるんだろ。さっさと済ませろ。――盗み聞きが増える前に」
返事をする前に、学院の男が封筒を差し出した。
蝋印。銀の紋。白い手袋。
蝋の匂いが、やけに現実的だ。
「本日夕刻。学院の臨時詰所へ。ユミナと、護衛のコイチ。確認を行います」
確認。
呼び出しじゃない。チェック項目だ。胃が痛い。
封筒を受け取った指が、少し震えた。
その上に、ユミナの手がそっと重なる。
手の甲に、ひどく静かな温度。
「……メンタル、保護します」
「さっきの続きかよ」
「継続が大事です」
笑いかけて、笑いきれなかった。
それでも震えは、少しだけ引いた。
「……行くしかないな」
「はい。手順に従います」
封印は止まった。街の問題も、ひとまず片づいた。
――なのに次の面倒は、もう封の中で待っている。
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