第4話 封印の黒い釘と、学院の呼び出し

 ギルドの裏口を抜けた瞬間、夜気が頬を刺した。


 表通りの匂いが遠のき、代わりに音が減った。

 静かすぎるのに――視線だけが増えている気がした。


「こっちです」


 先を歩いていたカイルが、肩越しに小さく手を挙げた。

 軽い革鎧に小袋、背中に短杖一本。冒険者というより雑務係の格好だ。


「表の格子は見張られてます。巡察、増えてます。……だから裏です」

「案内だけでいい。降りるのは俺とユミナでやる」


 そう言うと、カイルは苦い顔で頷いた。


「分かってます。でも、戻って来なかったら……俺が怒られます」

「怒られるのは――どこでも同じだな」


 異世界まで来て、結局それか。

 笑いそうになって、喉の奥で押し殺した。


 石畳が途切れた先、ひと気のない裏手に古い格子があった。

 縁の石は欠け、金属は赤錆でまだら。触るだけで服に移りそうだ。


「……静かに開ける」


 指を掛け、ゆっくり力を入れる。


 ――入れた、つもりだった。


 身体が勝手に“効率のいい角度”を選んで、次の瞬間、格子が思ったより軽く持ち上がった。

 金属が擦れて、嫌な高音が夜に跳ねた。


「っ……!」


 カイルが青ざめ、俺も息を止めた。

 遠くで犬が吠え、どこかの戸が閉まる音がした。


 巡察の笛は鳴らない。

 鳴ってないだけで、背中に冷たい汗がにじんだ。


 ……こんな場面で誤差を出すな。

 戦闘でもないのに、音を立てるな――俺。


「今の、聞かれてない……ですよね」

「聞かれてないと信じる。行くぞ」


 下から生ぬるい空気が上がってきた。

 水と腐臭、それから――焦げの匂い。門前の閃光を思い出させる匂いだ。


 梯子を降り、壁沿いの足場に足を乗せる。

 石が濡れて滑る。光がないと距離感が狂う。


 ランタンに火を点けると、黄色い光が水面に揺れた。

 水路は意外と広い。暗い穴がいくつも口を開けている。


「短時間で終わらせましょう」


 ユミナの声は小さいのに、揺れない。

 落ち着きすぎていて、逆に怖い。


「まず“確認”だ。深追いはしない」

「了解しました」


 ユミナが頷き、指先を空へ滑らせた。

 空気の輪郭が、ほんの僅かに変わった気がした。


 ユミナの目が、光の届かない奥を“見ている”。


「……こっちです。封印の気配が薄い」


 水面ぎりぎりの通路を進んだ。

 ランタンの光は届くが、影は濃い。足音を立てないように歩くほど、心臓の音がうるさい。


 やがて、石の輪が壁に埋め込まれているのが見えた。

 装飾じゃない。輪の内側に、細い溝が走っている。


 ユミナが膝をつき、内側をなぞる。

 刻まれた溝。文字列みたいな線。ところどころ欠けていた。


「摩耗しています。自然の削れ方ではありません」

「誰かが削ってる、ってことだな」


 ユミナは否定しない。


 小さな紙束が出てきた。炭の粉を薄くつけ、刻みの上から擦る。

 溝が、紙に黒く写し取られていく。


 ……慣れすぎてる。


 喉まで出かけた質問を、飲み込んだ。今は場所が悪い。


 上から、カイルの声が落ちてくる。


「コイチさん、上……音、します」

「来るな。上で待て」


 音。

 水じゃない。引きずるような、歯が擦れるような音。


 ランタンの外側で、水面がわずかに波打った。


「……来る」


 鞘の留め具に指が掛かる。

 抜けば音がする。騒げば巡察に嗅ぎつけられる。


 でも、噛まれたら終わる。


 水面が割れた。


 黒い影が、ぬるりと伸びる。

 犬ほどの大きさはないのに、口だけが大きい。白い歯が光る。

 目はない。なのに狙いだけがある。


 一直線に――ユミナへ。


「ユミナ!」


 左のガントレットを前に出す。

 牙が金属に当たって火花が散った。腕が痺れ、骨まで響く。


 影が二度目を狙う。今度は足首。

 倒してから噛むつもりだ。いやらしい。


「水場です。雷は避けます」


 ユミナが短く言う。


「低出力で拘束します。術式、通します」


 指先が空をなぞり、淡い線がガントレットへ滑り込んでくる。

 触れてないのに、芯に熱が走った。


 声を小さくする。上に聞かせたくない。

 それでも口が、勝手に“詠唱”の形を整えようとする。


 ――やめろ。


 歯で噛み切るみたいに、短く吐き出した。


「……氷矢アイスボルト!」


 白い筋が走った。

 影の足元――いや“影の形”の下に薄い氷が咲く。


 水の上に氷が張る。不自然だが、ありがたい。

 影の動きが鈍り、牙が噛む寸前で止まった。


「今だ」


 踏み込む。

 刃は立てない。柄で叩く。鈍い音。


 影が壁へぶつかり、形が崩れる。


 ――が、足元の氷が想定より広がっていた。


 靴底が滑る。

 重心が崩れ、身体が勝手に“立て直し”を選ぶ。


 選んだのは、最短で戻れる角度――じゃない。

 濡れた石を読めてない角度だ。


 誤差。

 情報が足りないのに、“最適っぽい何か”で埋めてくる。


「っ……!」


 膝が嫌な方向に軋み、視界がぶれた。


 影がその隙を逃さず跳ぶ。

 牙が脛を掠め、布が裂ける。


 浅い。

 浅いのに、背中に冷たい汗が走った。


 壁に手をついて体勢を戻す。

 ガントレットで押し込む。もう一度、柄で叩く。


 影はぎこちなく跳ね、暗がりへ溶けるように逃げた。


 追わない。

 追えば水深のある方へ誘われる。こっちが不利になる。


 息を吐くと、喉が痛かった。


 ユミナが紙と布をまとめ、封印の輪の内側へ指を入れる。

 そのまま近づこうとした――瞬間。


 袖が、きゅっと引かれた。


「……っ?」


 ユミナが俺の袖をつまみ、半歩ぶん引き戻していた。

 反射。迷いがない。


「近いです。危険です」

「……ああ、悪い」


 言い返す暇もなく、ユミナは布越しに輪の内側へ手を入れた。


 引き抜かれたのは、細い金属片。


 黒い釘。

 指先ほどの長さ。濡れているのに、光を吸うみたいに黒い。


「これが摩耗の原因です。溝を削り続けています」

「外から鍵代わりに刺して、封印を削る……って感じか」


 ユミナが小さく頷く。


 黒い釘と炭の写しを布で包み、胸の内側へしまった。

 今夜の目的はこれだ。証拠を持ち帰る。


「戻るぞ」


 *


 梯子を登ると、夜風が急に冷たかった。

 カイルが顔色の悪いまま布包みを見て、唾を飲む。


「……それ、下から?」

「ああ。ギルドに戻る。説明が要る」

「巡察に見られたら――」

「見せる順番を間違えなきゃいい」


 言ってから嫌になった。

 異世界でまで、順番と根回しの話をしてる。


 ギルドの裏口。

 扉が開いた瞬間、腕を組んだミラが待っていた。


「遅い」

「戻った。目的のものは掴んだ」


 結論を先に出す。

 余計な修飾はいらない。現場は時間で殴ってくる。


「見せな」


 机に布包みを置く。

 炭の写しと黒い釘。


 ミラが釘をつまみ、顔をしかめた。


「趣味の悪い釘だね……で、どこに刺さってた」

「下水の封印の輪の刻みの中。刻みが削れてた。原因はこれだ」


 ミラの目が細くなる。


「封印“みたいなもの”じゃない。封印だ」

「……巡察が嫌うやつ」


「嫌う?」

「治安の仕事から手が届かないところへ話が飛ぶからさ」

 ミラは吐き捨てる。

「しかも“上”が絡む。巡察は、そういうのが大嫌い」


「上から来るのは、どこも同じだな」

「ほんとにね。胃が痛くなる速度だけは一緒だ」


 そこで、ユミナが首を傾げた。


「上司……?」

「そう、上司。偉くて、現場を増やす存在だ」

「理解しました。偉くて、増やす」


 ミラが吹きそうになって、咳払いで誤魔化した。

 俺も危うく笑いかけて、喉の奥で止めた。


 ――こういうのが、今はありがたい。

 息継ぎがないと折れる。


 小部屋の前に男が立っていた。背が高い。

 外套の留め具に銀の小さな徽章。


「お帰り」


 男が静かに言った。


「ヴァルト。ここの取りまとめをしている」

「……取りまとめ?」


 段取り役の目だ。余計な感情を挟まない。


 ヴァルトは釘を一瞥し、炭の写しに視線を落とした。


「これで筋が通る。封印の摩耗は、巡察の縄張りじゃない」

「縄張り」ミラが鼻で笑う。

「あいつら、学院の名を出すだけで顔が曲がる」


 学院。

 そこで初めて、言葉が形になった。


 ヴァルトが続ける。


「アルヴェリア魔法学院だ。封印と古代系は、そっちの領分になる」

「ギルドが動けるのは、口添えがあるからだ。――ユミナ、お前の所属だな」


 ユミナは表情を動かさず、短く頷いた。


「はい」


“所属”。

 それだけで空気が変わる。ミラの態度が、わずかに距離を取り直すのが分かった。


 ミラが言う。


「勘違いするなよ、コイチ。うちは親切で動くんじゃない」

「上から『手を貸せ』と言われた。だから貸す。貸した分は回収する」


 取引。

 この街の現実が、それだ。


 ヴァルトが机を指で叩いた。


「回収の方法は簡単だ。影の件、封印の件――ギルドの厄介ごとを片づけてもらう」

「その代わり、巡察の相手はギルドが“形”を作る」

「明朝の取り調べを、治安の独壇場にしない」


 淡々と言うくせに、やってることは綱渡りだ。


「……下で影、追わなかったな」


 ヴァルトの目が俺に来る。

 責めじゃない。確認の目。


「追えば誘われる。水深のある方に」

「正解だ。追わない判断ができるのは現場慣れだ」


 褒め言葉が淡い。けど、今はそれで十分だった。


 ヴァルトは言葉を選ぶように続ける。


「巡察は学院の介入を快く思わない。ここで学院の名を振りかざせば、反発が増える」

「だから“証拠”が必要だ。学院案件として回すに足る材料が」


 布包みを見た。


「これがその材料か」

「そうだ。黒い釘と写し。封印の輪。出所が下水。――十分だ」


 ミラが肩をすくめる。


「十分って言っても、あいつらは面子で動く」

「学院に話が飛べば、巡察の手柄が消える。消えたら、こっちに当たり散らす」


 当たり散らす。

 つまり明朝は、さらに面倒になる。


 ヴァルトが短く言った。


「今夜は休め。外の宿はやめろ。監視が増えた」

「そして明朝は、まずギルドで待機。学院の使いが来る可能性が高い」


「可能性?」

「口添えがある時点で、向こうも動く。早いか遅いかの違いだ」


 *


 簡易寝床。

 壁際の狭い区画。人の寝息が薄く聞こえる。


 毛布を掴んだまま、ユミナへ声を落とした。


「――聞きたいことは山ほどある」


 ユミナは一度だけこちらを見て、すぐ視線を外へ戻した。

 盗み聞きの可能性を潰す動き。


「今は、話すほど増えます」

「だろうな」


 息を吐いて、言葉を絞る。


「じゃあ、ゴールだけ合わせる」

「三日で仮登録を抜ける。正式の身分を取る」

「その間に、封印を削ってる奴の出所を掴む。今日の釘は入口だ」

「明朝は巡察と学院。どっちにも飲まれない。主導権を取られるな」


 言い切ると、胸の奥が少しだけ落ち着いた。

 ゴールが見えると、段取りが組める。


 ユミナが短く頷く。


「……分かりました」


 毛布をかぶっても、眠気は来なかった。

 耳が、外の足音を探している。


 *


 鈴の音が鳴った。

 扉が叩かれる。


 ミラの低い声。


「起きてるか、コイチ。ヴァルトが呼んでる」


 予定外の呼び出しは、だいたいろくなことがない。


 小部屋へ行くと、ヴァルトが封筒を一つ持って立っていた。


 封蝋が新しい。

 樹脂の甘い匂いが鼻に残り、蝋の表面はまだわずかに熱を抱いている気がした。

 押し付けられた紋――さっき話に出た“学院”のものだ。


「追加の口添えだ。今夜届いた」


 ミラが封筒を覗き込み、舌打ちする。


「早すぎる。……巡察が嫌うわけだ。こういう“上からの手”は」


 ヴァルトが蝋印を割り、中を読んだ。

 読むほどに、眉間が少しだけ深くなる。


「明朝、学院の使いがこの街に入る」

「ユミナと――護衛のコイチを、ギルドで待機させろ、だと」


 護衛のコイチ。

 学院は、俺の存在を把握している。


 いつから。どこまで。


 ミラが吐き捨てる。


「巡察が聞いたら顔が歪むね。『治安の現場に学者が口を出すな』って」

「でも、もう出してきた。――この町は、そういう綱引きの場所だ」


 ヴァルトが俺たちを見る。


「明朝の相手が二つになった。巡察と学院だ」

「どっちも味方とは限らない。だから、余計な口は閉じておけ」


 頷くしかなかった。

 喉が乾く。夜の冷えが骨に刺さる。


 遠くで鐘が一度鳴った。


 学院の呼び出しは、もう“形”になっていた。

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