第3話 裏口の報告と、影の牙

 足音が、一定の距離でついてくる。


 一定――それがいちばん嫌だ。

 偶然じゃない。仕事の足音だ。走れば追ってくるし、止まれば止まる。


 胸元で、仮登録札の木が服に擦れた。

 木札一枚。たったそれだけで、俺の自由は“仮”になる。


「正面は避けましょう」


 ユミナは振り返らずに言った。


「ギルドの入口を?」

「はい。表は目立ちます。裏口があります」


 この街に来たのは今日のはずだ。

 なのにユミナだけが、街の呼吸を知っている。


 ……聞きたい。

 でも今は背中に目が付いてる。ここで揉めたら面倒が増えるだけだ。


 喉が渇いた。

 腹も、しつこく鳴る。


「……腹が鳴ってるのも監視されてたら最悪だな」

「音源は恒一さんです。距離は一定ですが、音は一定ではありません」

「そこを正確にしなくていい」


 ユミナが腰袋から小さな包みを出し、俺に差し出した。

 乾いた匂い。固そうなパン。


「携行食です。路地で食べるのは推奨しませんが、空腹は判断力を落とします」

「異世界でも“食わないと頭が回らない”は同じか……」


 一口かじると、口の中が粉っぽい。

 でも、生き返る味がした。


 ユミナは、なぜか少しだけ安堵したように頷いた。


「……よかったです。恒一さんが“動作停止”すると困ります」

「言い方が冷たいんだよ」


 それでも軽口が出る程度には、息が戻った。


 路地を二本折れる。

 灯りが薄くなり、酒と油の匂いが遠のく。代わりに石の冷えと湿り気、古い鉄の臭いが濃くなった。


 壁に埋まるみたいな小さな扉の前で、ユミナが止まる。

 叩き方が決まっていた。


 短く二回。間を置いて一回。


 ……慣れてる。

 慣れすぎている。


 内側から鍵が外れる音。


「こんな時間に――」


 隙間から覗いたのは、ギルド受付の女だった。

 目の下に薄い隈。だが視線は鈍っていない。


「……コイチ。戻ってきたのか。余計な目を引いたね」

「俺もそう思う」


 女の視線がユミナへ動く。

 フードの影、喉元の赤い飾り――そこに一瞬だけ止まり、すぐ外れた。


 言及しない。

 言及しないのが、逆に重い。


「入れ。裏だ。表から来るんじゃないよ」


 倉庫の通路みたいな狭い道を抜け、小部屋へ通される。

 帳簿、封蝋道具、古い地図。椅子が三つ。窓はない。紙と蝋の匂いがする。


 女が腕を組んだ。


「で。何があった」


 短い。刃物みたいな声。


 要点だけ並べる。

 門前の襲撃。格子から出た“影”。街中の閃光。巡察からの呼び出し。

 それと――帰り道からずっと、一定の足音。


 女が鼻で笑った。


「全部、今夜まとめて来たか。ついてないね」

「ついてないのは慣れてる」

「慣れなくていい」


 机を指で叩く。


「いいかい。巡察が動くのは当然だ。門前で刃を振って、街で雷の光。しかも格子から影の魔物」

「街の連中は“事故”が嫌いなんだよ。死体が出ると、責任が飛ぶ」


 責任。

 異世界にまで付いてくるな。ほんとに。


 俺が口を開く前に、女の視線がユミナへ向いた。


「――あんたは、余計に目立つ。分かってるね」


 ユミナが一拍置いて頷く。


「はい」


 女が溜息をついた。


「上から話は来てる。だからギルドとしては、あんたを雑に扱わせない」

「ただし、貸しは貸しだ。ギルドの厄介ごとを一つ、片づけてもらう。――それが釣り合い」


 上から。

 俺の知らない“上”。


 ユミナは反論しない。

 その無抵抗が、胸の奥をざわつかせる。


 扉が乱暴に叩かれた。


「ギルド! 巡察だ! 開けろ!」


 女が立ち上がる。顔が“面倒を捌く顔”になる。


「来たよ。……コイチ、余計なことは言うな。口が滑ったら、明朝が地獄になる」

「分かってる」


 扉が開く。

 白い外套の男が二人。槍を連れ、歩幅が仕事のそれだ。


 先頭が俺を見る。


「コイチ。報告に来たか」

「来た」


 男の視線が部屋を掃く。探すような目。

 次にユミナへ移り、喉元の飾りで一瞬だけ止まった。


「……女。顔を上げろ」


 ユミナがわずかに顎を上げる。

 表情は薄い。薄いが、逃げない。


 受付の女が割って入った。


「ここはギルドだ。確認は立会いでやる。路地で揉める趣味はないだろ」


 巡察の男が舌打ちする。


「いい。今夜は聞くだけだ」

「門前の件。街中の閃光。影の魔物。――明朝、巡察所へ来い。二人ともだ」


「二人とも?」と口にすると、男は冷たく笑った。


「片方だけ呼べば片方が逃げる。単純な話だ」


 勝手に決めるな。

 だが、ここで噛みついたら詰む。


 息を吐く。


「行く。だが、今夜ここで拘束はするな。騒ぎになれば余計に目立つ」

「状況次第だ」


 言い切った――その瞬間。


 床の下から、かすかな軋みがした。

 金属が擦れる音。格子が持ち上がる音。


 背中が冷える。

 今日、何度目だ。


 机の脚が揺れた。

 次の瞬間、床板の隙間が裂けて、黒い影が這い出してきた。


 犬ほどの大きさ。

 裂けた口。白い歯。

 目がないのに、狙いだけがある。


 一直線に――柔らかいほうへ。ユミナへ。


「ユミナ!」


 狭い。

 逃げ場がない。


 巡察の男が槍を突き出す。だが影は滑って避けた。

 受付の女が怒鳴る。


「机を倒せ! 距離を作れ!」


 体が先に動いた。

 机を蹴り上げる。


 ――回り込みすぎた。


 机の角が巡察の槍柄を弾き、穂先が壁を削って火花が散る。

 巡察の男の目が、一瞬で殺気に変わった。


「っ、悪い!」


 まただ。

 頭で組んだ動作と、出てくる動作のズレ――誤差。


 最短で距離を作るつもりが、味方の武器を巻き込む。

 情報が足りない状況だと、最適化は簡単に外れる。


 その一瞬で、影が机の陰から滑り出した。


 前へ出る。

 左のガントレットを差し出した。


 影の牙が金属に当たり、火花が散った。

 腕が痺れる。骨まで響く。


「くっ……!」


 押し返して壁へ叩きつける。だが影は止まらない。

 薄いのに重い。ねじれた力で噛みついてくる。


 背後で、ユミナの声が低くなった。


「媒介します。――短い術で止めます」


 次の瞬間、指先が俺の手首に触れた。


 冷たい。

 冷たいのに、その一点から熱が流れ込んでくる。


「足元を見て」


 言葉に合わせるように、口が勝手に動いた。


「――氷矢アイスボルト


 白い筋が走る。

 影の足元――いや、影の“形”の下に薄い氷が咲いた。


 動きが鈍る。

 牙が、噛む寸前で止まる。


「止まった!」


 巡察が息を呑んだ。


 ……だが、氷が想定より広がった。

 床の目地を伝って、俺の足元まで舐めるように伸びてくる。


「っ……!」


 靴底が滑る。

 重心が崩れ、膝が嫌な角度で軋んだ。


 影がその隙を逃さず横へ跳ねる。

 牙が脛を掠め、布が裂けた。


 浅い。浅いが、背中に冷たい汗が走る。

 一歩遅ければ、足首を持っていかれて倒れた。倒れたら次は喉だ。


 受付の女が叫ぶ。


「今だ! 次で終わらせろ!」


 終わらせる。

 でも雷は跳ねる。金属に寄る。この狭さは最悪だ。


 ユミナが言葉を削るみたいに指示する。


「接地。刃先に集中。――跳ねを抑えて」


 片膝を落とし、靴底を石床へ押しつけた。

 錆剣を握り直す。


「――雷撃ライトニングボルト!」


 白い線が刃先から走った。

 小部屋が一瞬だけ昼になる。焦げた匂い。金属の味。


 放電は影の中心へ吸い込まれて――


 ……寄る。


 巡察の槍の穂先へ、細い枝が伸びかけた。

 金属が近い。跳ねたら終わる。


「そっち行くな!」


 刃先をねじり、踏み込みを変える。

 残る氷で足が滑り、膝がさらに軋む。痛みで視界が瞬いた。


 それでも、刃先を影へ“戻す”。


 白い線が引き戻され、影の中心へ集中する。

 影が痙攣し、黒い煙みたいに薄れていった。


 最後に、床へ黒い痕だけを残して消える。


 静寂。


 反動が遅れて来た。

 指が攣る。腕が震える。息が浅い。


 巡察の男が槍を下げ、床の黒痕を睨んだ。


「……下から上がってきたな」


 受付の女が頷く。


「格子の下。古い通りだ。最近、荒れてる」


 男が黒痕の中心を槍先で探る。

 煤の奥に、黒い何かの頭が一瞬だけ見えた。釘――みたいな、細い金属。


 触れた途端、ぽろりと崩れて黒い粉になった。


 残ったのは、針で突いたみたいな小さな穴だけ。


 ……今の、なんだ。


 受付の女が吐き捨てる。


「封印の口を弄ってる。たちが悪いね」

「証拠を持たないと、明朝はお前らが“証拠”にされるよ」


「証拠って?」

「写し、欠片、位置。何でもいい。――“出所”が下なら、巡察の仕事だけじゃなくなる」


 巡察が嫌そうに口を歪めた。


「……余計なところへ飛ぶ話だ」

「飛ばすんだよ。飛ばせるなら」


 会話の意味が半分しか分からない。

 だが分かることがある。


 押し返す材料が要る。

 明朝、こちらが黙れば飲まされる。


 受付の女が引き出しから紙を出した。

 封もない。急ごしらえの依頼書。


「下水の調査」

「格子から出てくる影の出所を突き止める。討伐じゃない。調べて戻る。――以上」


「それで仮登録の一件になるのか」

「なる。ギルドが依頼として切る。あんたらは動く」

「ギルドは“預かりもの”を守る。その代わり、“預かりもの”はギルドの厄介ごとを片づける。そういう取引だ」


 預かりもの。

 また“上”の匂いがする。


 ユミナが静かに頷いた。


「受けます」


 巡察の男が俺を見る。


「今の判断、悪くない。跳ねを抑えたのが見えた」

「だが明朝までに、何か持って来い。なければ話は変わらん」


「持ってくる」


 受付の女が廊下へ声を投げた。


「カイル! 起きてるだろ、案内しな!」

「はい!」


 軽い足音が近づく。


 巡察が去った。

 扉が閉まれば空気が軽くなる――はずなのに、胃は重いままだった。


 依頼書を握り、声を落とす。


「目標を決める」

「今夜は下に潜って、“出所”の手掛かりを拾う。明朝の交渉材料にする」

「それと三日。仮登録の条件を満たして正式にする。正式になれば、監視も好き勝手にはできない」


 言いながら、自分に言い聞かせているのが分かった。

 ゴールがないと、現場は崩れる。


 ユミナが短く頷く。


「……分かりました」


 部屋の外で、若い男が頭を下げた。

 使い走りに見えるが、目は生きている。


「カイルです。裏手の格子へ案内します。表のは見られてますから」


 息を吐く。


 つまり面倒だ。

 でも、ここで止まったら“続き”が終わる。


「行こう」


 ユミナがフードの奥で頷く。

 喉元の飾りが、灯りを一瞬だけ弾いた。


 背後の足音は――まだ遠くで、一定のままだった。

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