第2話 門前の条件と、雷の一閃

「止まれ。そこの二人!」


 門の上から槍の穂先が突き出て、こっちを指した。

 反射で足が止まる。


 錆びた剣が、さっきより重い。


 いや――重いのは剣じゃない。

 腕だ。


 勝手に“構え”が形になりかける。


「……っ」


 剣先がわずかに上がり、門番の目が鋭くなった。


 慌てて左手で右手首を掴み、無理やり押し下げる。


 誤差。

 最適解の顔をした、場違い。


 門番の視線が手元を舐め、次にユミナのフードの縁で止まる。

 それから俺の顔へ。


「入市か。身分札を出せ」


 ……身分札。

 あるわけがない。あるなら最初から出してる。


 詰んだ――と思った瞬間。


 ユミナが一歩前へ出た。

 丁寧に頭を下げる。声は落ち着ききっていた。


「入市の申請をします。旅人二名。武器携行は一。街の規則に従います」


 言い回しが手続きそのものだ。

 慣れてる。慣れすぎていて、嫌な予感しかしない。


 門番が眉をひそめる。


「申請? ……娘、身分札は」

「こちらです」


 ユミナが腰の札入れを出す。

 紙じゃない。薄い板の札だ。


 角は擦れていて、使い込まれている。


 門番は表と裏を確かめ、端の刻印を親指でなぞった。


「……アルヴェリアの印、か」


 背中がぞくりとした。

 ここは本当に“ミレオス”だ。遊びじゃない。現実のほう。


 門番はユミナを見上げ、次に俺を指した。


「なら娘の入市は通る。……だが、そっちの男は?」


 ユミナの視線が俺に来る。

 胸の奥が嫌な音を立てた。


「彼は私の同行者です。名はコイチ。身分札は――今はありません」


“ない”じゃなく、“今はない”。

 線を残す言い方で、逆に引っかかる。


 門番が俺を値踏みして、鼻で笑った。


「身分札のない男に街は開けない。最近は特にな」


 最近。

 だいたい面倒を連れてくる単語だ。


 ユミナが静かに続ける。


「保証金を預けます。手続き上の扱いは“護衛”で」


 門番が札をもう一度見て、目を細めた。


「……護衛ね。こんな子供が? 妙な取り合わせだ」

「状況が妙なので」


 さらっと言い切る。

 即答すぎて胃がちくりとした。


 門番が槍を少しだけ下げる。


「保証金を預けても終わりじゃない。街で問題を起こしたら――娘ごと追い出す」

「従います」


 短い返事。感情が乗らない。

 だから余計に現実だった。


 俺は口を挟みかけて、喉で止める。


 保証金。

 護衛扱い。

 追放条件。


 ――今ここで、紙に残しておきたい。

 口約束で生き残れるほど、この世界は優しくない。


 だが、その「確認」の前に――


 街道の曲がりから荷車が飛び込んできた。

 馬が泡を吹き、車輪が跳ねる。


 荷台の男が叫ぶ。


「助けてくれ! 後ろに……!」


 矢が一本、地面に突き刺さった。短くて粗い。

 門の上の衛兵がざわめく。


 門番が舌打ちした。


「またか……!」


 藪が割れ、緑色の影が三つ、四つ。

 甲高い声。黄ばんだ目。錆びた刃。


「……ゴブリン」


 口にした瞬間、腹の奥が熱くなった。

 一度刺されて落ちた熱さが、記憶の形で戻ってくる。


 門番が俺を指さす。


「コイチ! 護衛を名乗るなら証明しろ! 追ってきてるやつを止めろ!」

「止められたら男の入市も認める! ギルドにも話を通す!」


 条件付き入場券。

 面倒だ。でも選べる立場じゃない。


 息を吸って、頭の中を三行に畳む。


 身分札なし=入れない。

 ユミナは通る。俺は“護衛”扱いで保証金。

 問題を起こせば――二人まとめて追放。


「ユミナ、門の前で終わらせるぞ」

「はい。街に入れたくありません」


 判断が一致するのが、逆に怖い。


 剣を握り直す。

 汗で柄が滑る。喉が乾く。


 死なない。

 死ねない。戻れても、アンカーが削れる。


 ゴブリンが一体、飛びかかってきた。


 体が勝手に動く。


 左のガントレットが刃を弾き、右の剣が横に走る。

 鈍い手応え。肩口が裂けて、そいつが転がった。


「っ……」


 気持ち悪い。

 意思より先に、身体が“答え”を出す。


 二体目が荷車へ回り込んだ。

 布の下から、小さな泣き声が漏れる。子どもだ。


「やめろ!」


 踏み込んだ瞬間、横から矢が飛んできた。


 短弓。


 矢が脇腹を掠め、皮膚が裂ける。

 致命傷じゃないのに、心臓が跳ね上がった。


 痛みで視界が狭くなる。

 狭いのに、体は正確に動く。


 その“正確さ”が、いちばん怖い。


 三体目が短剣を突き出した。

 腹を狙ってる。分かる。分かってるのに――半拍遅れる。


 刺さる。


 そう思った瞬間、空気が変わった。


 金属が軋む音。

 門の脇、石畳の溝に嵌まった排水格子が、内側から持ち上がる。


「――ッ!」


 誰かが息を呑んだ。


 黒い影が飛び出す。

 犬くらいの大きさなのに、動きがねじれている。脚が多い。口が裂け、歯が光る。


 淡い紫の霧みたいなものが、一瞬だけ地を這った。

 冷たい匂い。喉の奥が嫌に乾く。


 ゴブリンじゃない。

 魔物だ。


 しかも真っ直ぐ、柔らかいほうへ――ユミナへ。


「ユミナ!」

「恒一さん、左へ!」


 短い。短いほど切羽詰まっている。

 体が指示に従って跳ねた。距離が勝手に測られていく。


 影が跳ぶ。

 門の上から矢が飛ぶ。――当たらない。


 衛兵の手が迷っているのが分かる。

 速すぎる。あれは矢じゃ追えない。


文献魔法アーカイブアーツ。術式、通します」


 ユミナが指先で空をなぞる。

 光る線が走り、ガントレットへ滑り込んでくる。


 熱い。

 焼ける熱じゃない。血が沸くタイプの熱だ。


 ユミナの声が低くなる。


「雷は拡散します。水と金属に寄ります。――接地してください」

「接地……?」


 口にした瞬間、もう動いていた。

 片膝を落とし、靴底を石畳へ押しつける。


「……雷の逃げ道を作れ、ってことか」

「要するに、そうです。逃げ道がないと、門に寄ります」


 影が突っ込んでくる。


「出力は二。門へ向けないで」

「わかった!」


 分かってない。

 でも体は分かってる。嫌になるほどに。


 刃を斜めに滑らせた瞬間、口が勝手に動いた。


「――雷撃!」


 音が遅れて来た。


 白い線が刃から弾け、石畳を一瞬だけ昼にする。

 耳の奥が鳴る。焦げた匂い。金属の味。


 雷の一閃が影へ突き刺さり、神経を焼くみたいに跳ねた。

 ――真っ直ぐ崩れる、はずだった。


 だが、電光が“寄った”。


 門番の槍の穂先へ。

 門の金具へ。

 そして濡れた溝の水へ――。


「っ、違う!」


 体が勝手に“大きい金属”へ流そうとする。

 最適解のつもりで、最悪解に転ぶ。リスクがデカすぎる。


 歯を食いしばって刃先をねじ曲げた。

 腕が裂けるほど痛い。関節が軋む。


 ユミナが噛みつくように言う。


「切って! 出力、落として!」

「――遮断!」


 白い線が一瞬だけ暴れ、門の金具が火花を散らした。


「今の遮断! 門が燃えるのを止めたぞ!」


 上の衛兵の声が飛ぶ。

 褒め言葉なのに、背筋が冷えた。紙一重だったって意味だ。


 雷の本流は影へ戻り、ようやく貫通した。

 黒い断面が焦げ、紫の霧が散る。


 それでも影はまだ動いた。

 半身だけで跳ね、足首へ噛みつこうとする。


「しつこい!」


 足を引き、引きながら体を回す。

 回転の勢いで柄を叩きつけた。


 鈍い音。


 影が石畳に落ち、痙攣して――止まった。


 止まった……よな?


 遅れて喉に息が詰まる。

 腕が震える。指が痺れる。筋肉が勝手に跳ねる。


 反動。

 さっきの一撃は、きっちり支払いを残していった。


 ゴブリンは散った。

 門の上の矢がようやく刺さり、何体かが倒れる。


 残りは藪へ消えた。


 門番が怒鳴る。


「追うな! 街道の外は門の管轄じゃない! 戻れ!」


 足が止まる。

 追えば、また刺される未来が一瞬で見えた。


 荷車の男が泣きそうな顔で頭を下げる。


「助かった……!」


 返せなかった。

 剣を下げようとしても腕が言うことを聞かない。


「……今の、俺が撃ったのか」


 声が震えて、自分で嫌になる。


「術式は私。発動体は恒一さん。媒介にしたほうが損失が少ないです」


 損失。

 その言い方が怖い。何を削って、何を残した。


「……もう無茶はさせない」

「はい」


 短い返事。


 そこで、ユミナが俺の手元を見て――そっと、手の甲に指を添えた。


「震えてます」

「……報告いらない」

「必要です。状態が不安定です」


 言い返そうとして、喉で止まる。

 触れられて、初めて分かった。


 俺は――怖かった。


「……そのまま」

「了解しました」


 指先が離れない。

 薄い温度が、震えを押さえるみたいに居座った。


 目を逸らして、言い聞かせる。


 守れ。

 この手を守れ。――この子も守れ。


 そのとき、門の脇から白い外套の男たちが現れた。

 揃いの装備。歩き方が“仕事”のそれだ。


 門番が顔色を変える。


「巡察か……!」


 先頭が一歩前へ出た。

 目が俺の剣に止まり、次に地面の焦げ跡を見る。


 門の金具の火花跡にも。


「今の閃光は何だ」

「……俺が一番聞きたい」


 男が続ける。


「剣から雷が出た。魔道具か。導魔器か」


 導魔器。

 ――魔力を通す道具、って響きだ。


「導魔器?」

「魔力の通り道だ。つまり、術の事故が起きやすい厄介物だ」


 分かりやすい。

 分かりやすいから余計に胃が痛い。


「持ってない。……少なくとも自覚はない」

「自覚がなくて雷を撃つな」


 声が冷える。


「雷術は事故が起きやすい。水場なら尚更だ。さっき、門に流れかけたのが見えた」


 見られている。

 そりゃそうだ。あんな光、隠しようがない。


 ユミナが一歩前へ出た。


「危機対応です。街への侵入を防ぐため、門前で処理しました」

「口が回るな」


 男の視線がユミナへ移り――フードの影、喉元の位置で一瞬だけ止まる。

 すぐ戻る。品定めの目だ。


「本日中に冒険者ギルドへ報告しろ。こちらからも連絡を入れる。逃げるな」

「確認はギルド立会いで。ここで拘束すれば混乱が増えます」


 ユミナが淡々と言う。

 男がわずかに顔をしかめた。


「……いいだろう。だが、明朝呼ぶ。二人ともだ」


 明朝。

 猶予じゃない。猶予の形をした檻。


 門番が上から叫ぶ。


「門を開ける! ――コイチ! 入れ! ただし仮だ!」


 門が軋んで開いた。


「仮入市札だ。今夜だけ。宿とギルド以外はうろつくな!」


 木札が投げられ、胸に当たって落ちた。

 拾う指がまだ震える。痺れも抜けない。


 俺は札を確かめ、息を吐く。


「……期限、行動範囲。あと、押印は?」

「はあ?」


 門番が目を剥く。

 だが俺は引かない。


「あとで『聞いてない』が一番揉める。口約束は嫌だ」


 一拍。

 門番が舌打ちして、札の端を爪で叩いた。


「今夜限り。宿とギルドだけ。門番印はこれだ。……面倒くせぇ」


 面倒くさそうに言いながら、槍の石突きで印の位置を示す。

 その目が、さっきより少しだけ違った。


 ユミナが札を受け取り、礼を言う。

 礼の角度まで、きれいだ。


 きれいすぎて、また嫌な予感がする。


 街の中へ踏み込むと、匂いが一気に増えた。

 パン、獣、汗、鉄。


 人の声が重なって、頭がくらくらする。


 ユミナがほんの少しだけ顔を上げ、鼻先で空気を確かめた。


「……情報量が多いです」

「匂いで処理すんな。腹減ったか?」


 小声で言うと、ユミナが真面目な顔で返す。


「お腹、ログにありません」

「あるんだよ。今、ここに」


 一拍。

 ユミナが小さく頷く。


「理解しました。――空腹、です」

「そう。生存の初期条件な」


 小声の会話が、なぜか救いになった。

 落ち着ける。まだやれる。


 さらに小声で言う。


「……ユミナ。その身分札、どこで手に入れた」

「必要になる可能性が高いので、準備していました」


 準備。

 いつだ。どこで。どうやって。


 質問が喉まで出て、飲み込む。

 今は街のど真ん中だ。背中に耳が付いてる。


 ユミナが続ける。


「先に冒険者ギルドです。日没前に仮登録を済ませないと、門の札が無効になります」

「……なんで知ってる」

「規則です」


 規則、で片づく話じゃない。


「後で話せ。二人きりで」

「はい。必要な範囲で」


 必要な範囲。

 その線引きが、また腹に刺さる。


 *


 冒険者ギルドは、看板を探すまでもなく見つかった。

 人の出入りと熱気で分かる。


 扉を押すと、酒と革と油の匂いがぶつかった。

 視線が一斉に集まり、すぐ逸れる。


 そういう場所だ。


 受付の女が顔を上げる。目が鋭い。

 俺たちを見て、次にユミナを見る。


 その視線が一瞬だけ止まった。

 フードの影――喉元のあたりで。


「……登録かい」

「はい。仮登録を二名分。入市札はこれです」


 ユミナが木札を差し出す。

 受付は門番の印を確かめた。


「門で揉めたね。……で、男の身分は?」

「私が保証します。保証金も出します」


 受付が口の端だけで笑う。


「保証って簡単に言うね。重いよ」

「承知しています」


 帳面が開かれ、ペンが走る。


「仮登録。期限は三日。三日の間に一件、依頼をこなして戻る。戻れなきゃ――保証も一緒に飛ぶ」

「分かりました」


 受付が俺を見る。


「男。名は」

「コイチです」


 出した瞬間、変な感じがした。

 俺の声なのに、俺の名前じゃない。


「登録料、銀貨一枚。保証金、銀貨二枚。払える?」


 胃が落ちた。

 森で拾った小銭じゃ足りない。


 ……と、思った瞬間。


 ユミナが小さな袋を出した。

 硬貨が触れ合う音。銀の音。


 息を止める。


「お前……そんな金、どこで」

「必要経費です」


 ユミナは俺を見ない。

 袋を淡々と台に置いた。


 受付が硬貨を弾いて音を聞き、納得した顔をする。

 仮登録札が二枚、こちらに滑ってきた。


 小さな成果。

 拠点の入口を、ようやく掴んだ。


 だが残ったのは安心じゃない。疑問だ。

 この世界でユミナは何をしてきた。どこでこの金を。どこでこの段取りを。


 俺は札を受け取る前に、言った。


「保証金の預かり証。期限の起算。違反扱いの条件。――全部、ここで確認させてください」


 受付が目を細める。


「……揉め慣れてるね」

「揉めたくないだけです」


 数秒、睨み合い。

 やがて受付が肩をすくめ、帳面の端を指で叩いた。


「書いてある。読め。質問は短く」

「助かります」


 社会の言葉が通ると、呼吸が一つ戻った気がした。


 受付が声を落とす。


「……それと。明日の朝、開門の頃。裏の小部屋に来な。二人とも」

「巡察から話が回ってる。厄介ごとは、早めに切り分ける」


 ユミナが頷く。


「了解しました」


 ギルドを出ると、夕方の風が冷たかった。

 街の喧騒が背中で遠ざかる。


 喉の奥がまだ焦げ臭い。

 さっき、口から飛び出した言葉――あれは何だ。


 歩きながら、俺は小さく言う。


「……ユミナ。さっきの俺の声。もう一回言えって言われても出てこない」

「誤差の可能性が高いです。状況に合わせて、語と動作が先に出ます」


 便利じゃない。

 制御不能な歪みだ。


 札を握りしめ、言葉を絞る。


「三日で一件。正式な身分を取る。――それが当面のゴールだ」

「身分がなければ、交渉も情報も“仮”のままです。監視も切れません」


 そのとき、背後で鈴の音がした。

 誰かの足音。一定の距離。ついてきている。


 振り返らずに言う。


「……気のせいじゃないよな」

「監視です。距離は一定。走れば追ってきます」


 つまり、次の面倒はもう始まっていた。

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