第1話 再構築、そして最初の一太刀
「――続き、やろう」
暗闇の底で、声だけが反響していた。
俺の声だったのか確かめる暇もなく、肺が勝手に空気を欲しがる。
次の瞬間、喉の奥が焼けるように痛んだ。
湿った土と草、腐った木の匂い。
むせ返って咳が漏れる。
「げほっ……!」
背中が硬い。石が肩甲骨に食い込む。
地面だ。
それと――身体に、布がかかっている。
反射でそれを握って引き寄せた。
粗い繊維。外套か毛布か。とにかく“隠せる”だけマシだ。
目を開けると、木漏れ日が白く刺さった。
広葉樹の森。鳥の声。風が枝を鳴らす。
「……ここ、どこだ」
声が変だった。
高くて軽い。喉が若い。
嫌な予感に押されて手を見る。
骨ばった課長の手じゃない。指が細く、肌が張っている。
両腕――ある。
ちゃんと、ある。血も、皮膚も、温度も。
布の隙間から肩を触る。違和感はない。
さっきまであった、締め付けるような胸の痛みも――消えていた。
……死んだ?
住所、名前、コール音。白く弾けた視界。
床に落ちたスマホの音。
そして最後に、確かに打った。
「続き、やろう」
背中が、ぞくりとした。
「恒一さん」
背後から、落ち着いた声。
反射で振り向いて――固まる。
長身で細身の少女が立っていた。
黒いフードのケープ。裾に淡い銀の刺繍。
漆黒の長い髪に、白銀のメッシュが一本。灰色の目が静かに俺を見ている。
喉元に、赤い宝石がひとつ。
飾りじゃない。
最初から“固定”されているみたいに、肌に馴染んでいた。
少女が、きちんと頭を下げる。
「私の識別名はユミナです。再会できました。――そして私は、この世界に転生しました」
転生。
テンプレの単語が、皮膚の上に落ちてくる。重い。
「……ユミナ?」
名前を口にした瞬間、記憶が追いつく。
白い画面。丁寧語。手順。提案。推測。
俺が線を引いて、救わせなかった相手。
「冗談だろ。なんで……人の形で……」
ユミナは少しだけ間を置いて、地面に置いてあった小さな束を持ち上げた。
俺へ差し出す。触れない距離のまま。
ガントレット。軽い胸当て。革のハーネス。腰袋。短剣。靴。
全部、きれいに揃っている。
「装備です。恒一さんの“現在の体格”に合わせました」
「……体格?」
「少年規格です。適合しています」
布を押さえたまま装備に手を伸ばす。
胸当てを当て、ベルトを通し――そこで詰まった。
ベルトの位置が、どう考えても高い。
というか、俺の腰が低い。
「……は?」
自分の身体を見下ろす。
短い。脚も、腕も、全体的に若い。
「俺、子どもじゃない」
「子どもではありません。――守るべき人です」
さらっと言い切られて、返す言葉が遅れた。
「守る側の台詞だ、それ」
「私は、守る側です」
否定の余地がない顔で頷かれる。
背が高い。声も落ち着いている。立ち位置まで“庇護者”だ。
……やりづらい。
背中側の留め具がうまく噛み合わず、何度かやり直す。
焦って手が滑る。
「……くそ」
ユミナが一歩だけ近づいた。
視界の端に指先が入る。留め具をつまみ、布と金具だけを器用に整える。
肌には触れていないのに、背筋が勝手に固くなった。
「完了です」
「……助かった」
言った瞬間、ユミナの手がふわりと俺の頭上へ上がった。
頭ぽん――の軌道。
「触るな」
「了解――」
ユミナはぴたりと止まって、手を引っ込めた。
ほんの少し、肩が落ちる。
その落ち方が、やけに真面目で。
胸の奥が変な方向に痛んだ。
「……一回だけな」
「はい」
許した途端、ユミナの手がそっと降りてくる。
小さな衝撃。
あたたかい掌が、髪を一度だけ撫でた。
「再会できて……嬉しいです」
ぼそっと漏れた声が、妙に人間くさかった。
……守るべき人、って言うのは。
たぶん、こっちの台詞でもある。
「整理します」
ユミナは空気を切り替えるみたいに、必要な情報だけを切り分けて言った。
「ここはミレオス――私たちが遊んでいた世界と同名の領域に一致します」
「ミレオス……?」
喉の奥が冷える。
俺たちがTRPGで遊んでいた、“あの世界”。
「恒一さんは……転移ではありません」
「は?」
「呼び戻しました。私が、恒一さんをこちらへ――私の転生特典で成立させました」
呼び戻し。
成立。
言葉が硬いぶん、現実が生々しい。
「死んだはずの俺を、この世界で“作り直した”ってことか」
「はい」
一言で肯定されると、逃げ場が消える。
「つまり――俺は、お前の“呼び戻し”で生きてる」
「要するに、その通りです」
要するに、の使い方だけ妙に上手いな。
視線が勝手に喉元の赤へ吸い寄せられた。
「で、その首の石は?」
ユミナは喉元に触れかけて、寸前で止める。
触れないまま言う。
「アンカーです。私の力を使うたびに曇ります。曇り切れば――私は倒れ、恒一さんも戻れません」
「アンカー……命綱、ってこと?」
「はい。命綱です」
目的(続き)と、代償(リスク)が一行で刺さった。
笑えない。笑える要素がひとつもない。
「……じゃあ、これが“続き”か」
森の匂いも風も地面の硬さも、やけに生々しい。
立ち上がろうとして、よろけた。
体が軽すぎる。筋肉が反応しすぎる。
立つ、という動作が勝手に“正しい形”へ収まる。
気持ち悪い。
自分の体なのに、借り物みたいだ。
ユミナは周囲へ視線を走らせた。
音を拾って距離を測る目だ。
「街へ向かいましょう。水、食料、防寒、情報。現状すべて不足しています。冒険者ギルドもあります」
「冒険者ギルド……テンプレかよ」
言ったら、少しだけ呼吸が落ち着いた。
テンプレなら、段取りが作れる。
“続きをやる”なら、まず生き残らないと話にならない。
*
歩き出して数分。
森の空気は冷たいのに、体は妙に熱い。
体温の調整が雑なのか、俺の感覚がバグっているのか。
「……ユミナ。お前は、何ができる」
「私は術式を組めます。戦えます」
短い答えなのに、やけに頼もしい。
「恒一さんは、私の術式の“媒介”になれます」
「媒介?」
「二人で分担する役です。負荷を分散できます。――生存のために必要です」
必要。
その言い方が妙に現実的で、腹の底が冷えた。
「つまり、お前が無茶しないための役目が俺にあるってことか」
「……恐らく、はい」
命綱を削らせない係。
めちゃくちゃ重い役だ。
喉が渇く。腹も鳴った。
生きてるってのは、面倒が全部セットで付いてくる。
「恒一さん。空腹の記録は――」
「ある。今ある。腹が鳴った」
「確認しました。腹部から音声が出ました」
「そういう確認じゃない」
「飯、探すぞ。まず水だ」
「優先順位、把握しました」
*
草が擦れる音。軽い足音。複数。
獣じゃない。
人型のリズム。
ユミナの目が細くなる。
「接近者、三体。右前方。距離――近いです」
言い終える前に藪が割れた。
小柄な影。緑がかった肌。尖った耳。黄ばんだ目。
錆びた短剣。甲高い叫び。意味は分からない。
「……ゴブリン、ってやつか」
胃が冷える。
TRPGの“雑魚”が、現実だと普通に人を殺す距離にいる。
「恒一さん、後退を」
「――待て、まず――」
その瞬間。
喉の奥に、嫌な金属味が走った。
足が勝手に踏み込んだ。
「え、待て待て――!」
頭が止めるのに、体が前へ出る。
重心が落ちる。視界が狭まる。呼吸が浅くなる。
一体目が短剣を突き出す。“届く”距離。
右手が地面の枝を掴んだ。
考える前に腕が動く。短剣の腹を叩き落とす。
嫌な金属音。手首に震え。
そのまま枝を逆手に振り下ろした。
鈍い手応え。
骨に当たった感触。
ゴブリンの頭が横に弾け、そいつは呻きもせず倒れた。
「……うそだろ」
喉の奥から変な声が漏れた。
今、俺――殺した。
二体目と三体目が同時に来る。
下がろうとして距離を読み違えた。
足が絡む。半歩、変な角度。
――いや、“変”じゃない。
勝手に最適へ寄せようとして、俺の意思だけ置き去りになった角度だ。
次の瞬間、腹が熱くなった。
「ぐ――っ!」
短剣が刺さっていた。
理解が遅れて、痛みが爆発する。
焼ける。かき回される。
息が吸えない。
「恒一さん!」
ユミナの声が遠い。
体はまだ動こうとするのに、腹から力が抜けていく。
血の匂い。鉄の匂いが口の中まで満ちる。
視界が傾き、土が近づく。
「……いや、待て。これ……致命傷だろ……」
ゴブリンが笑った。黄色い歯。
三体目が俺の喉元へ刃を――
そこで、全部が途切れた。
音も匂いも風も、切断されたみたいに消える。
暗闇が落ちる。
――やっぱり、死んだ。
*
次に息を吸ったとき、俺は跳ね起きていた。
「ぁっ……はっ……!」
腹に手を当てる。
ある。傷がない。血の温かさもない。
胃がひっくり返って、四つん這いで吐いた。
胃液だけ。喉が焼ける。
「……生きてる?」
声が震える。
生きてるのか。今のは何だった。
目を上げると、ゴブリンが倒れていた。
一体は頭が潰れて動かない。
もう一体は首が変な方向に折れている。
そして最後の一体は――胸に枝が突き刺さったまま、まだ痙攣していた。
「俺が……?」
いや、違う。
覚えてない時間がある。
俺の体が勝手に――その“続き”で、どこかを片づけた。
そんな感触だけが残っていた。
だが、残りは“今ここ”だ。
俺は震える手で、落ちていた短い剣を拾った。
刃は錆びている。それでも、これしかない。
ゴブリンがこちらを見上げ、歯を剥いた。
短剣を探す手が動く。
「……やるしか、ない」
一歩。
さっき勝手に出た一歩とは違う。
俺は自分の足で距離を詰め――喉が鳴るのを無視して、胸に突き立てた。
痙攣が止まる。
膝が抜けそうになった。
「恒一さん」
ユミナがすぐ近くにいた。
顔色が白い。呼吸が浅い。
喉元の赤い宝石が、赤というより“鈍い色”に見えた。
光が引っ込んだみたいに。
背中が冷える。
「ユミナ。お前、それ……」
「問題ありません」
即答。早すぎる。
つまり隠してる。
「問題ある顔してるだろ」
膝が震えた。
さっき死んだ感覚が、まだ腹の奥にへばりついてる。
「……今、俺、死んだよな」
「致命傷でした。ですが恒一さんは、条件が揃えば戻れます。私の力で」
「条件?」
「対象は恒一さんのみです。他の人はできません。複製もできません」
一拍。
「そして必要なのは、私の生存と――これです」
喉元へ指先を添えかけ、寸前で止める。
触れないまま視線だけで示した。
「アンカー。……命綱です」
「……じゃあ、俺の命が、お前に紐づいてるってことか」
「はい」
軽く言うな。
軽すぎて腹の底が冷える。
「さっき戻ったのは、即時じゃなかった。……間があった」
「はい。場所と手順が要ります。万能ではありません」
万能じゃない。
その言葉だけが、少しマシだった。
「で、その命綱が減ってる。そうだろ」
ユミナは否定しなかった。呼吸が浅くなるだけ。
「さらに、もう一つあります」
視線を落とし、言い切る。
「力を使うたび、恒一さんに“誤差”が混ざります」
「誤差……?」
「身体が“それっぽい最適”を取りにいきます。ですが、情報が足りない現場では外れます。先ほどの踏み込みのように」
さっきの、勝手に出た一歩。
止めたのに止まらなかった一歩。
ユミナは、言葉を短く選んだ。
「足りない情報を、もっともらしく埋めてしまう。AIでいうハルシネーションに近い現象です」
「……もっともらしく、で死ぬのかよ」
息を吸って、吐く。
頭の中で、線が一本引かれた。
「……続きをやるって言ったのは俺だ」
自分に言い聞かせるみたいに続ける。
「だから今度は、その石を曇らせないように慎重に動く」
「曇りを戻す手があるなら探そう。俺がこの世界で“根を下ろす”方法も――探したい」
言葉にすると、足元が少しだけ固まる。
ユミナの目が、わずかに揺れた。
「……はい」
俺は一歩、ユミナの方へ向けて言い切った。
「そのために――独りで奥の手を切るな。必ず俺に相談しろ」
「独断、しません。必ず相談します」
よし。
「それと、外では名前を出すな。あれは“切り札”でいい」
「呼称、置換します。“切り札”」
約束が、一本増えた。
……これでいい。
守るための線は、言葉にしておかないと切れる。
「まずは武器。今すぐ」
「はい」
*
倒れたゴブリンへ近づいた瞬間、胃がひくついた。
死体。血。さっきの死の匂いが脳を殴る。
でも、やらないと次で終わる。
短剣を抜く。刃は欠けている。だが、ないよりマシだ。
別の個体から短い剣も引き剥がす。錆びている。
革袋が出てきた。硬貨が数枚。紙切れが一枚。
川と道と、雑な四角い印。
「地図……いや、落書き寄りだな」
「左が街道でしょう。右は湿地の記号に見えます。推奨は左です」
「助かる」
紙を握りしめる。汗で柔らかくなる。
喉が渇く。腹が鳴る。足が痛い。
生きてるってのは、面倒の全部入りだ。
*
森を抜ける頃には日が傾き、光が赤くなっていた。
踏み固められた道が一本、土を裂いて伸びている。
轍の跡。馬の糞。人が行き来する匂い。
「街道だ」
胸の奥が、ほんの少し緩む。
この世界にも、人の生活がある。
道の先に石の壁が見えた。小さな街だろう。
煙がいくつも上がっている。
近づくほど音が増えた。
荷車の軋む音、露店の呼び声、犬の吠える声。
“帰ってきた”気はしない。
でも、“入れる場所”は見えた。
木製の看板が目に入る。
剣と盾の意匠。読みやすい文字。
「冒険者ギルド、か」
ユミナが小さく頷く。
喉元の赤い宝石が、夕陽を受けて鈍く光った。
さっきより、確実に――暗い。
次に死んだら、もう一度、戻れるとは限らない。
その事実が、胃の底に沈んだ瞬間――門の前で、男の声が飛んだ。
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