後書き/解説
本作は、熊と人間の「遭遇」を描いた物語ではありますが、主題は対決でも勝敗でもありません。
描きたかったのは、極限状況に置かれたとき、人はどこまでを「自分の判断」だと思い込んでしまうのか、という点でした。
初稿では、装備や銃の性能、行動判断をかなり具体的に書いていました。
とくに銃については、「強い」「効く」というイメージ――
映像や噂から得た勝手な信頼が、無意識のうちに物語の軸を引っ張っていたように思います。
そこでAIを通じて現地の感覚を探り、説明を削り、「なぜ選べないのか」「選ぶこと自体が重荷になる」という感覚に焦点を移しました。
7.62ミリは有効だが弾がない。
.44口径は象徴的だが、一発にすべてを委ねる覚悟を強いる。
5.56ミリは決定打にならないかもしれないが、退くための時間を作れる。
この取捨選択は、正解を示すためではなく、「判断を手放せない状態」そのものを描くために残しています。
物語の中には、三種類の「備え」が登場します。
車に置き去りにされた装備。
それは過信や慣れによって、判断されないまま失われたものです。
避難小屋。
それは偶然そこにあり、結果として彼らを助けた場所でした。
そして、生き延びるために自ら手放した荷物。
それは、主体的な判断として差し出された代償です。
当初は、熊との直接的な衝突や英雄的な行動も検討しましたが、それらはすべて削っています。
代わりに残したのは、置き去りにされた装備、避難小屋、自ら手放した荷物、そして最後の叱責です。
それらはすべて、人が自然の中で「自分一人で何とかできる」と錯覚する、その手前にある日常の象徴でもあります。
作中のグリズリーは、特別に凶暴でも怪物的でもありません。
ただそこにいて、人間を見ていただけです。
それが「襲うため」なのか、「避けるため」なのか、あるいは単なる興味だったのかは、最後まで分かりません。
山に限らず、自然や社会、そして他者に対しても、私たちは無意識のうちに「自分が判断する側」だと思い込んでいることがあるように思います。
けれど実際には、観察され、測られ、そして偶然に助けられているだけなのかもしれません。
物語は、「助けて下さい」という一言で終わります。
それは弱さの告白であると同時に、判断と責任を個人から共同体へ戻す言葉でもあります。
グリズリーの前に立っていたのは、熊に勝とうとする人間ではなく、自分の限界を認めた人間でした。
読後に、「もし自分だったら」と少し立ち止まってもらえたなら、それがこの作品で伝えたかったすべてです。
自然とテラー:グリズリーの前 ―判断の標本― 富澤宏 @Paradich-lorobenzene
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