第21話 【閑話】そしてまた、教室から誰もいなくなった(前編)


「ねぇ、噂話があるんだけど訊きたい?」


 そう話す人物──坪内十和香が前の席から振り向きざまに言い放った。眼鏡の奥に輝く大きな目に、俺はたじろいだ。


「うーん、今回はやめとくかな」 俺は曖昧な笑顔で濁した。


 前回は図書室で生徒たちが、秘密のやり取りをしているという噂話から、連続強盗事件の実行犯や指示役を突き止めるまで話が発展した。


 身に降りかかる火の粉はなるべく避けたい。平和に生きたいのだ。


「数十年前……厳密に言うと20年前の話なんだけどね──」 坪内さんはかまわず話し始めた。席を立つ理由もないし、渋々訊くことにした。


「この教室で集団失踪事件が起きたの」


「失踪?」 俺は目を細めた。また事件の予感がする。


 単なる失踪ならどこかしらで起きていることかもしれないが、この教室から、集団にいなくなることなんてあるのだろうか。


 食いついたと言わんばかりの視線とともに坪内さんは語り出した。


「凍えるような風が吹くなか、教室は窓が開いていて、椅子がすべて窓側、つまり校庭側を向いていたの。黒板には三角形の図形と、証明問題の書きかけの解答があってね。生徒たちの机には開いた教科書と、ノートがあった。まるで、失踪する直前まで授業が行われていたようだったって」


「その話、似たようなのを聞いたことがあるな」


 たしか、船に乗っていた乗客や船員が生活の痕跡を残し、突然消えたという話だったはずだ。


「そう。島から人が消えたり、村から何百もの人が失踪したり、他にも似たような話はいっぱいある。どれも脚色がされてたり、都市伝説扱いだったりだけど」


「それなら、この話も誰かが面白おかしくした、ただの都市伝説だってことも考えられないか?」


「それもそうなんだけど、ここで起きたってことが何か神秘的というか、不思議じゃない?何で失踪したのか想像してみたくならない?」


「まぁ……想像だけなら」


 20年前の出来事なら、事件に発展することはないだろう。そう、心のなかで納得していると、「よかった」と坪内さんは笑顔で言った。


 まずは大前提に疑問をぶつけてみるか。


「坪内さんは、なんで失踪したと思う?」


「うーん」彼女は人差し指を顎に当てた。「椅子が校庭側に向いていたから、外に何かがあって生徒たちの視線が集まった。あっ」と、閃いたように付け足した。「UFOとか!」


「なるほど、それじゃ生徒たちはUFOに連れ去られたと」俺はそんなわけがないだろうと、心のなかでツッコミを入れた。


「最初はそう思ってたんだけど、続きを訊いたらそうでもないのかなって」


「続き?」 続きがあるなら、もっと早く言ってくれよ。


「ごめん、ごめん。網代くんに話の興味をもってほしくて、さわりの部分しか話してなかった」 坪内さんは乾いた笑いとともに言った。


「それで、続きを話してくれよ」 俺はすっかり彼女の術中にはまってしまった。とても続きが気になる。


 坪内さんはひとつ咳払いをした。「当時、隣の教室にいた男子生徒によれば、失踪した生徒たちがいた教室からはいつもと変わらず、教師の大きな声と、生徒たちの笑い声が聞こえていたらしいの。そして、授業が中盤に差し掛かったころ、声がぷつんと消えたって」


 あぁ、そういうことか。信じてはいないけれど、UFOならあの証言が抜けている。


「UFO説なら、隣にいた生徒たちも驚いて外を見てるよな。でもその証言がない」


「そう、そうなの。だからSF系の説はないのかなって。網代くんはどう思う?」


「どうって……」 


 俺は校庭の方へ首を動かした。椅子が向くほどだから、よほどのことがあったに違いない。ふと、開いている窓に視線が移った。今朝から暑くて、教室の窓は開いている……うん?頭のなかに衝撃が走った。


 俺は再び坪内さんの方を向いた。


「なぁ、当時の教室には凍えるような風が入ってたんだろ?なんで真冬に、教室の窓が開いてたんだ?」


「たしかに」坪内さんは目を見開いた。「そうだよね、なんで窓なんか開けたんだろ」


「そこに集団失踪の謎を解く鍵が隠されているんじゃないか?」


「冬に窓を開けるって、どういう状況だろう」坪内さんは考え込むような表情で言った。


「空気を入れ替える……とか」 俺は教室の後方にあるストーブに顎を向けた。「換気の意味も込めてやるかな。伯父さんたちの家にいたときもストーブだったから、よく空気の入れ替えで開けてたな」


「だよね。わたしもそう思う」


 授業中に窓を開けるだろうか……。いや、あるか。中学生のときに先生が、空気がこもってるから開けろと言っていたのを思い出した。そのときは午後で眠気が差していたときだったから、外から吹いてくる冷気でぱっちりと目が覚めた。


「だとすると、当時の生徒たちは換気のために窓を開け、そこで外にある何かを見た。その場にいた全員が注目するなにかで、かつ隣の教室から見えないもの……」


 俺は席を立ち、窓の方へ行った。視界に入ったものは、テニスコートだった。それから桜の木に、校庭。


「何もないね」 すぐ隣から坪内さんの声が聞こえた。肘が当たるほど彼女は近くにいた。


「えっ」 俺は思わず半歩横にずれた。想定外の距離に、心臓が跳ねた。


「ごめん、驚かせちゃったね」


「いや」 俺は校庭の方へ首を動かした。「その、失踪したっていうのは冬で何時ごろだったんだ?時間が分かれば、ヒントになるかもしれない」


「冬としか訊いてないから、分からない……」坪内さんは首を横に振った。


「訊いていないって、誰からこの話を訊いたんだ?」 俺は坪内さんの方を向いた。


「神戸先生だよ。ほら、今日からうちのクラスの担任になった……」


 もうすぐ1学期が終わろうとしている7月の第3週に、新しいクラス担任が赴任したというのもおかしな話だが、事情を考えれば無理もない。前任の教師は、連続強盗事件の指示役だったのだ。彼は逮捕され、今頃は留置場にいて裁かれるのを待っていることだろう。


 そして、本日。今朝のホームルームに副担任とともにやってきたのが、その神戸先生──神戸朝也(かんべあさや)だった。髪は短く整えられていて、縁のない眼鏡を掛けている。学生時代はバスケ部にいたと言っていただけあって、身長は180センチを超えていた。年齢は30代半ばといったところか。


 口調は物腰柔らかという感じだったが、前任の件もあり、俺はどこか懐疑的に神戸先生の話を訊いていた。自己紹介のときにそんな話──集団失踪の話はしていなかったので、坪内さんはその後に聞いたのだろう。初対面で交わす内容ではないと思うが。


「それで、いつ訊いたんだよその話。訊けるタイミングあったか?」


「職員室に行ったときに訊いたの。自己紹介のとき、神戸先生ここの卒業生だって言ってたし、学校の七不思議とかないですかって。なにか話さないとと思って、思わず訊いちゃったの」


 そう言えば、自己紹介のときに言っていたっけ。外見と口調に注目していたせいで聞き漏らしていた。


「それなら、次の授業が終わったら、先生にことの真相を訊きに行ってみよう。噂の出どころなら、全部知ってるだろう」


 正直、お手上げだった。いくら考えても集団失踪した原因が考えつかない。


「ねぇ、もう少し考えてみない?答えを聞きに行くのは放課後になってからでもいいでしょう?」


「そうはいっても──」


 次の授業の時間を告げる予鈴が鳴った。俺と坪内さんは席に着いた。


 

 授業を終えて背を伸ばしていると、廊下から「なんだこれ?」と男子生徒の大きな声が聞こえてきた。何事かと俺も廊下へ出ると、隣の教室の前で何人かが立ち尽くしている。そのなかに坪内さんがいた。


「坪内さん、何があったんだ?」


 彼女は言葉を失ったというような表情で、隣の教室を指差した。俺は眉間に皺を寄せて、指差した方向を見た。


 思わず俺は目を見開いた。室内はすべての窓が開けられ、椅子は校庭側に向いている。黒板には書きかけの板書──内容を見る限り、古代ギリシャの戦争について書かれているようだ。そして机には、開いたままの教科書とノート。


 だが、なにより俺を驚愕させたのは、室内には「誰もいない」ということだった。


 教師も生徒も、先ほどまでいた形跡を残して、消え失せていた。


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