第20話 エピローグ


 エピローグ 


 エレベーターを降りると、三味線の音色が耳に入ってきた。和食レストランの入り口に置かれた花台には、向日葵が力強く咲いている。今朝、藤堂百花が生けたものだった。


 百花はその場で身だしなみを整えた。これから会う相手に、失礼のないようにと思っての行動だった。深呼吸をして暖簾をくぐった。


 すぐに男性の板前と目が合った。彼の表情は強張っていた。目で挨拶を交わし、百花は奥にある座敷の方へ視線を動かした。座敷の前には、屈強な体格をした男性が立っていた。顔がホームベースのように大きい。年齢は百花と同じ40代のように見える。


 男性と目が合うと「こちらへ」と言って座敷に案内してくれた。


 礼を述べてからヒールを脱ぎ、先に食事をしている男性のもとへ行くと、百花は正座し頭を下げた。


「お待たせして大変申し訳ありません」百花は言った。


「いや、約束の時間ちょうどだ。それより、ちゃんと紙袋は渡してくれたかな?」男性はお猪口に酒を注いだ。


「はい、信頼のできる部下に預けました。彼女なら渡して──」


「それならいい」男性は言葉を被せた。「頭を上げてこっちへ来なさい。これからのことを話そう」


 渋みのある重厚な声に、百花は圧倒された。ゆっくりと頭を上げて、男性と向かい合うように正座をした。


 正面にすると息をするのを忘れるほど、相手の威圧感に圧されそうになる。自分がここにいるのが場違いなのではないかと思うほどに。気づけば、百花の膝の上に置いた手が少し震え出している。慌てて指を組んで気持ちを落ち着けた。


「足を崩すといい。ここは百花くんの城なのだから、堂々としろ。君には未来がある」


「はい」


 男性が片手を上げると、背後で立っていた屈強な男性が「はっ」と言った。この場にいる誰もが、男性──大槻無量に恐れを成していた。


「百花くんにも酒を頼む。わたしと同じものを」大槻無量は言った。


 命令を受けた屈強な男性が急いで板前のもとへ向かった。ほどなくして、百花のもとにも酒が置かれた。


「わたしがお酌しよう」無量が徳利を持ち、百花のお猪口に注いだ。


「ありがとうございます」


「祝い酒だ、飲もう」無量は自分のお猪口をもち、口角を上げた。


 一口含んだが、酒の味を感じられなかった。百花は早速本題に入ろうとした。長い時間ここにいたら身体と心が持ちそうにないと思ったからだ。


「あの、融資の件ですが──」


「大丈夫だ。ことが無事に済めば、君たちの会社に融資する。20年前の借りもあるからね。ぜひとも力にならせてほしい」


 藤堂家は現在、事業を広げすぎたこともあり、経営が立ち行かなくなってきている。経済誌や新聞でも海外の企業から買収されるのでは、と根も葉もない噂が立っていた。


 先月のこと、銀行を経営する大槻家から声がかかった。当主の無量が百花に直接会いたいと言ってきたのだ。


 大槻家の屋敷に百花が招かれた際、融資をする条件にあることを頼まれてくれないかと無量は言うのだった。


「百花くん、君のところで働いている人物のなかに因縁のある人物がいることを知っているかな?」


「因縁……ですか?」心当たりがなかった。百花は首を傾げた。


「うちの息子だった京詞郎と君との縁談が決まりかけていたときの話だ。あのバカは、外で勝手に女を作った。それだけでは飽きたらず、子を儲けたというじゃないか」


 百花の心に暗い影を作った出来事だ。あのとき縁談が決まっていれば、今のような経営危機ではなかったのかもしれない。膝の上で作っていた拳を強く握った。


「君の明るい未来を奪った人間が、皮肉にも君の経営している百貨店で働いているんだ。許せないだろう?」


「誰なんですか?名前を教えてください。直ちに解雇します」


「解雇はしなくていい。すぐに消える存在だ」無量は冷酷な眼差しを向けた。「名前を教えよう。だが、すぐに感情的になって解雇をしないでほしい。約束してくれるかな?」


「はい」


 名前は、絵本千沙都という。1階の化粧品売り場を担当している。百花から見て、接客態度が良いスタッフだと一目置いていた人物だった。


「ここで本題に入るんだが君に頼みたいのは、絵本千沙都が住んでいる部屋の鍵を盗んできてもらいたい。わたしが指定した日時にだ。詳細は追って連絡する。それまでは、怪しまれない盗み方を考えておいてほしい。やれるかな?」


「やります、やらせてください」百花は前のめりになり、頼みに応じた。大切な縁談を破談にした憎き人物に復讐が果たせるのなら──。


「どうもありがとう」無量は不敵な笑みを浮かべた。


 無量が指定した日時が伝えられ、その日が来た。百花は従業員が更衣室から出ていくのを見計らい、絵本千沙都のロッカーを漁った。彼女が住んでいる部屋の鍵を盗むと、水筒のなかに血圧を上昇させる薬を混入させた。


 薬は日時を伝えてきた使いの者から受け取ったものだった。


 百花は怪しまれないよう、鍵を化粧品の箱に入れた。それを紙袋に入れ、若手の女性スタッフに預けると、指定した時間に来る男性に渡すよう指示した。その後のことは百花に知らされていなかった。


 ふと、無量の言ったことが頭をよぎった。あのときの冷酷な表情を思い出し、嫌な汗が流れた。


『解雇はしなくていい。すぐに消える存在だ』


 このとき初めて、自分は取り返しのつかないことをしているのではないかと感じた。



「百花くん」


 無量の声で百花は現実に引き戻された。


「はい」


 彼のお猪口が空になっていた。百花は慌てて徳利を持ってお酌した。手が震える。


「どうした?手が震えているぞ」


「いえ、大丈夫です。申し訳ありません」


「ここまで来て、後悔したなどとぬかすつもりか?」無量は目を細めた。強張った百花の表情を見逃さなかった。


「そんなこと、まったく思ってません」


「ならいい」無量は酒を一気に口に含むと、お猪口を音を立てて置いた。「君がしたことは、藤堂家と大槻家に莫大な利益をもたらす良い行いだ。誇りなさい。藤堂家は持ち直し、わたしたちは得たいものをこの手に掴むことができる。何物にも代え難いものだ」


「はい」百花の声に力はなかった。


 無量は酒を注ぐと、酒に映る自分の顔を眺め笑みを浮かべた。


「邪魔物は消えた。もうすぐ会えるぞ、わたしの愛しい孫娘。千蔭」

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