第12話 永田警部補の考察


 2 永田兆治郎 捜査一課 警部補


 受話器を置くと、永田兆治郎は眼鏡を外し鼻を押さえ目をぎゅっと瞑った。少し目を擦って眼鏡を掛け直すと、小さな溜め息をついた。腕時計の針は18時を10分ほど過ぎていた。7月だとまだ外は日が落ちていない。


 他の捜査員たちは、書類作業をしている。奥にいる別の班は、犯人逮捕のため現場に行くところだった。


 永田はコーヒーを一口啜りながら、机上にある絵本千沙都の捜査資料に目を落とした。


 N町の2丁目12番地の集合住宅で起きた事件。被害者は絵本千沙都45歳。第一発見者は千沙都の知人女性(41歳)および管理人の大家の計2名。被害者はリビングにうつ伏せで倒れており、周囲には争った形跡はなし。死後から数日経っており、死因は心不全。


 争った形跡がないのと、部屋が内側から鍵がかけられた密室状態であることから上は事故として処理した。


 永田が気になったのは、その下に書かれた地域課の巡査の報告だった。


 ガラス窓に水垢の斑点が付いていたという点。第一発見者の一人である大家も同様の証言をしている。友人の方は、千沙都の方で目一杯で気づかなかったとのことだった。


 永田は事件現場の写真を何枚か机の上に広げた。確かに争った跡はないが、気になったのが部屋の掃除が行き届いているということだった。


 窓の水垢の斑点は、掃除を怠っているとよく起きる。永田の部屋の窓も斑点がついていることがよくある。


 だが被害者は潔癖症かと思うほど部屋を綺麗にしている。そんな人物が窓ガラスを拭くのを怠るだろうか。永田はこめかみを掻いた。


 それにガラス窓に水垢の斑点が付くときは決まってある現象が起きる──結露だ。


 そしてもう一つ。同居する娘が失踪しているという点。別の課が引き継ぐとのことだったが、発見できる確信がない。


 翌日、初動捜査を行った地域課の男性警官に一度話を聞こうと永田は思った。



 地域課は署の1階東側にあった。朝一番に永田が署に着くと、話を聞こうと思っていた男性刑事の顔が見えた。名前はたしか佐久間といったか。


 体型はやせ形で身長は高く、年齢は以前話したときに27だと言っていた。黒縁の眼鏡の奥にある、観察力のある目が功を奏してか、初動捜査によく駆り出されている。


「あっ永田さん。おはようございます」佐久間が先に気がつき、挨拶をしてきた。


「おはよう。そうだ、佐久間」このタイミングしかないと永田は思った。「この前の初動捜査の報告書を読んだんだが」


「何か記入漏れがありましたか?」


 佐久間は眉を少し上げて聞いてきた。肩を上げ表情が強張っている。


「いや、そうじゃないんだ。事件の詳細をもっと知りたくてな。佐久間巡査が見て、何か気になったこととか……ないかな?」


「うーん」佐久間は腕を組み、目を瞑った。


 永田は彼が思い出すのを待つことにした。数分後、目を開けると「ないですね」と言った。


「確かか?」永田は念を押すように訊いた。


「第一発見者の2人も動揺はしていましたが、こちらからの質問には答えていましたし、不審な点はありませんでした。強いて言えば」


 佐久間は眉をひそめて言った。


「ガラス窓に斑点みたいなものができてました。思わず報告書に書いちゃいましたけど、おそらく関係ないと思います。掃除をしてなかっただけかもしれませんし」


「そこが気になるんだ」永田は指を顎にあてた。「もう一度、現場に行ってみるか」


「いいんですか?上はもう事故と処理しているんですよ」


「不審な点が少しでもあるなら捜査すべきだ。もちろんこれは公式なものではないから、他の人員は割けん。非公式の捜査になるな」


「永田警部補」佐久間は言った。「その捜査、俺にも手伝わせてくれませんか?」


 突然、階級で呼ばれ永田は身構えた。その上で捜査を手伝わせてくれとは。


「いや、ダメだ。上の命令に背くことに巡査を巻き込むことはできない」


「警部補、俺は悪者を捕まえるために警察官になったんです。だから」佐久間は拳を強く握った。


「俺のミスで悪者を逃すようなことはしたくないんです。お願いします」


 頭を下げる巡査に永田は眉をハの字にした。秘密裏に捜査するとはいえ、露見すれば彼まで処分の対象になってしまうかもしれない──。


「もし誰かが捜査のことを聞いてきたら、知らぬ顔をしろ」


 でも、という佐久間の声に永田は被せた。


「それが俺の捜査に参加する条件だ」永田は険しい表情で彼を見据えた。


 佐久間は難しい顔を見せたが、すぐ目に力が宿る。「はい、分かりました」と言って強く頷いた。

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