第13話 絵本千蔭の冒険


 3 網代一輝 高校生


 絵本さんの立ち直りは思ったより早かった。目から哀愁の色は消え、力強いものに変わっている。


「網代くん、明日になったら市立図書館に行きましょ、とにかく調べないと」


「え?ここから結構遠いぞ」


「いいから行くの!」


 彼女の言葉に俺は一瞬怯んだ。


「わかった」と渋々納得してからスマートフォンの地図アプリを起動した。


 市立図書館は俺の住んでいるS町を北へ行ったところにある。上に表示された現在地からの所要時間は、車が一番早い。


 当然俺は車の免許を持っていないため、候補から除外した。次に早いのは電車で20分だった。


 電車のメニューをタップすると、乗り換えはなく、直通で行けるようだった。俺は胸を撫で下ろした。これなら行けそうだ。



 翌朝、大家さんから譲り受けた飼育セットから、キャリーケースを引っ張り出した。布製で持ち運びがしやすそうだ。一見すると少し大きめのトートバッグにも見える。


 支度を終えると、絵本さんは玄関のドアの前で待っていた。表情は早くしろと言いたげだった。


「ごめん、待たせた」俺はバッグの口を広げて、絵本さんの方へ向けた。


「ほら、ここに入ってくれ」


「……分かった」返事に戸惑いが見られた。


 無理もない、姿は猫でも中身は人間だ。バッグに入れて持ち運ばれるなんて人間としてのプライドが許さない。俺だったら自分で歩くからいいって断るだろうな。


 バッグを肩に掛けて戸締まりをすると、駅へ向かった。外は蒸していて不快に感じる暑さだ。テレビで若い男性気象予報士が、最高気温は32度だと爽やかな顔で報じていたが、今はそんな爽やかな気分ではいられない。


 駅に着くとすぐ日陰に隠れた。自動販売機でペットボトルのお茶を買うと、1回で半分ほど飲んでしまった。この暑さで冷たいものを飲むと、染み渡るようだ。ただのお茶が普段よりも旨く感じる。


 駅の規模は都市部のものと比べると小さく、外から見ると木の小屋をそのまま大きくしたような外観だった。中にある木製のベンチに腰を下ろすと、腕時計と壁に掛けられた時刻表を交互に見た。


 現在の時刻は7時40分。8時台の欄を見ると、15という数字だけが書かれていたので、まだ余裕があるなと俺は背もたれに体を預けた。冷たくて心地よかった。

 

 バッグを肩から下ろすと、俺は小さな声で言った。


「絵本さん、暑くないか。大丈夫か?」


「大丈夫よ。ここまでとても快適だったから」


 部屋から駅まで彼女は黙っていた。今の口調で確信した。相当怒っているなこれ。


 俺はベンチにバッグを置いたまま、切符を売る窓口へ向かった。タッチパネル式の券売機が2台置かれていたが、今回はそこへは用はない。


「すみません」俺はアクリル板越しに言った。


 何度か言ってやっと気づいたのか、事務所の奥から男性の駅員がこちらにやって来た。制服越しでも分かるくらい、腹の出っ張りがある。顔つきは優しそうだ。


「どうされましたか?」


「実は猫を連れてまして」俺は先程までいたベンチに視線を移してから、駅員の方へ戻した。「一緒に乗っても大丈夫ですか?」


「問題ないですよ」駅員は口元を緩めた。「手回り品切符を購入していただけたら大丈夫です」


「分かりました。ありがとうございました」


 軽く頭を下げると、駅員が言った。


「そこで切符を買ってもらって」駅員はタッチパネル式の券売機を指差した。「手回り品切符の方はこちらで精算してください」


「はい」


 券売機で自分の切符を買い、窓口で手回り品切符の精算を済ませると、駅員は慣れた手つきでバッグにタグを付けた。


「はい、どうぞ。お気をつけて」


「ありがとうございました」


 俺は軽く会釈し、改札口を通ってホームへ向かった。


 電車に乗り込むと、冷たい風が体を包んだ。土曜日ということもあってか、車内は通勤客はおらず、空いていた。


 目的の駅に着くまで、絵本さんは何も話さなかった。他の乗客の目があるため、話しかけるわけにはいかない。それに、彼女は俺としか意思の疎通ができない。彼女がいくら誰かに話しかけても俺以外の人物には猫の鳴き声としか認識されないのだ。


 改札口を出ると、人の通りが激しかった。目が回りそうだ。家族連れや俺と同年代の男性たちが、和気藹々と横切っていく。俺は足早に市立図書館へ向かった。


 広い駐車場を備えた、築年数が浅い2階建ての巨大な建物の前に、市立図書館と書かれた看板が立っていた。


「やっと着いた」俺は持ってきたハンドタオルで額の汗を拭った。


 室内は電車の車内ほど冷房は効いていなかったが、快適な温度だった。長くいるならこの温度がいいな。


「網代くん」久しぶりに彼女のある声を聞いた。


「なんだ?」俺は視線だけをバッグに向け、声を潜めた。


「まず受付に行って、パソコンを使わせてください、と言って」


「分かった」


 受付にいた女性司書に声を掛けると、快くパソコンの使用を許可してくれた。眼鏡を掛けていて、片方だけにできる笑窪が特徴的だった。少しドキドキしたことは絵本さんには内緒だ。


 席に着くと、絵本さんが入ったバッグを膝の上に置いた。司書の女性には猫を連れて来ていることを伏せた。ここに来て、見た目がトートバッグっぽいのが役に立った。


「それじゃ、官報情報検索サービスを使って」バッグからヒソヒソと声が聞こえてきた。


 彼女の言う通りの画面を開くと、「それで?」と俺は言った。


「行旅死亡人、絵本千沙都と調べて。漢字は漢数字の千に、沙悟浄の沙、都庁の都」


 打ち込むと、絵本千沙都についてのデータが画面に表示された。官報とか行旅死亡人なんて、初めて聞く言葉だ。


「死因は何て書いてある?」


「心不全……って書いてある」俺は絵本さんに視線を落とした。


「……そう」彼女の声に力がない。「それじゃ、死亡場所と日時は?」


 視線を画面に戻した。「えっと、N町の2丁目12番地の集合住宅。日時は7月11日午後7時頃って書いてある。ここって……」


「わたしと母が住んでた場所よ」


 俺はマウスから手を離し、背もたれに寄りかかった。


「わたしを捨てた人の最後が心不全なんて信じられない。あの人は絶対にそんな死に方はしない」  

 膝の上でモゾモゾと動く感触がある。表情は見えないが訴えかけているのが分かった。


「これからどうしたい?」俺は訊いた。


 数分ほどの間を置いて絵本さんは言った。


「あの人は絵に描いたような健康オタクで体に気を使ってた。心不全なんてありえない」


 彼女はバッグから顔だけを出した。覚悟を決めたような静かな瞳だった。


「網代くん、力を貸してくれる?」


「もちろん」


 俺は静かに頷いた。

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