第11話 元人間、絵本千蔭について


 1 網代一輝 高校生


 机上にある黒い物体が細かい振動とともに鳴動した。


 俺はそれを手に取り画面に視線を落とすと、『永田警部補』と表示されていた。着信をタップし、ゆっくりと耳に当てた。心臓の鼓動が速くなるのを感じる。俺は電話が苦手だ。


「……もしもし」


「よう一輝、その後大丈夫だったか?」永田さんが穏やかな声で言った。


「大丈夫です。もう部屋に帰ってます」


「そうか、良かった」


 永田さんとは今朝も学校の会議室で会っている。巷を騒がしていた強盗事件の指示役を連行しにやって来たのだ。俺もその場にいて指示役である人物と対峙し、お前が犯人だと探偵の真似事をしたのだった。


 推理はもちろん俺のものではなく、猫で人の言葉を話す元人間の探偵──絵本千蔭──のものだったが。


 そして犯人が連行されていくのを見届けた俺は、その場で倒れてしまったのだった。


「すみません、心配かけちゃって」


「ホントだ。驚かせやがって」


「保健室に運んでくれたのってもしかして……」


 電話口から鼻で笑ったような声が聞こえる。


「そうだ。もしかしてだ。おんぶしたのはいつぶりだ?小学生ぶりくらいだから……」


 考えているような気配を感じたので、俺は慌てて言葉を重ねた。


「本当に運んでくれてありがとうございました」体が熱くなるのを感じる。


 俺の赤面している様子を声で察したのか、永田さんが豪快な笑い声をあげた。その声で同居している絵本さんが、何事かと俺のいる居間にやって来た。携帯を指さしながら口で永田さん、と動かすと、彼女は納得したように頷いて本棚の方へ歩いていった。


「まぁそう恥ずかしがるな。ところで一輝」永田さんはわざと思い出したように言った。「聞きたいことがあるんだが、ちょっといいか?」


「何ですか?」


「大槻京詞郎が連行された時、言ってたこと覚えてるか?」


「……はい、覚えてます」俺は本棚にいる絵本さんの後ろ姿を見た。あの時の衝撃が脳裏に蘇る。


 全てを見透かしたような目で言った言葉が今も耳から離れない。


『お前の推理じゃないことは分かってる。千蔭によろしくと伝えておいてくれ』


「千蔭という名前は珍しい。間違いだったらそう言ってほしいんだが」


 永田さんの声色は、友人から刑事のものへ変わっていた。僅かな沈黙が落ちる。


「絵本千蔭さんとは、どういう関係なんだ?」


 俺はすぐに答えることができなかった。スマートフォンを持っている手を持ち替え、荒れた呼吸を整える。


 永田さんは一度俺の部屋で、猫の姿の絵本さんと会っている。端から見れば、一般男性と猫の戯れで終わったはずだ。どこで彼女の名前を知った?


「永田さんがうちに来たときにいた猫がチカゲという名前で、大槻先生とも猫の話で盛り上がったんで、飼っている猫によろしくと言ったんだと思います」


 絵本さんは猫という言葉を聞くと、振り返り俺を見た。ただならぬことを察知しているようだった。瞳孔が細くなっている。俺は思わず目を逸らした。


「なるほど……分かった。これから話すことは一輝の胸の内に収めてほしいんだが、先週、絵本千沙都という女性が亡くなった。上はもう事故で片付けたが、俺は殺人事件だと踏んでる。その絵本千沙都には同居している娘がいてな。名前は千蔭といって、今行方不明なんだ。


 だから、千蔭と聞いてもしかしてと淡い期待を抱いてしまったというわけだ。悪かったな。時間を取らせた」


 電話の向こうで聞こえる永田さんの声から力が次第に抜けていくのを感じる。


「……いえ」今度は俺から絵本さんを見た。彼女は早くその電話を切ってわたしに話してと訴えかけてくるような目で俺に近づき、前足を膝の上に置いた。


「それじゃ、また落ち着いたら連絡する。今度メシでも行こう」


「はい」


 彼はすっかり友人の声色に戻っていた。俺が返事をすると、耳元で着信が切れる電子音が聞こえた。


 スマートフォンを机の上に置くと、絵本さんの方へ視線を落とした。彼女は視線を俺から外さずに前足を下ろした。膝に赤く肉球の痕が付いている。


 どこから話そうかと思案していると、彼女が口火を切った。


「なんで永田刑事との会話にわたしが出てきたの?」


「永田さんが追っている事件の被害者の娘が千蔭という名前らしくて、それで聞いてきたんだ。大槻先生が言ってたこと、永田さんも聞いてたから」


「娘?被害者の名前は?」


「絵本……千沙都」


「嘘」絵本さんは狼狽して、尻尾を膨らませながらふらふらと歩いた。「どうして?」


「絵本さん?」


 反応からして間違いない。彼女の母親が亡くなったのだ。俺は掛ける言葉が見つからず、頭を垂れる彼女を見ているしかなかった。

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