第8話 事件の進展/網代の決意


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 いつもの朝。既に日は出ているが、時刻は5時。猫に起こされる日常にはもう慣れ、俺の体は自然と起き上がる。


 絵本さんの朝食の準備を終え、テレビのリモコンを手に電源ボタンを押す。今日の彼女のご飯は、焼き魚をほぐしたものだ。


 静かな咀嚼音を横目に、画面に朝のニュースが表示された。


『続いてのニュースです。昨夜未明、S町の5丁目で強盗事件が発生しました』


 絵本さんは食事の手、いや口を止め画面を凝視した。


「ん、どうした?」俺は絵本さんの方を見た。彼女の反応で、ただ事ではないなと思った。


「網代くん、あの暗号文覚えてる?」


「暗号文……」俺は頭の中で記憶を辿った。ふと、あの文章が蘇る。「あれか」


“赤いダブルデッカーの前で5時、南を向いて待て”


「“南を向いて待て”の南を英語で書いた時のつづりは?」


「サウス……south」


 そう呟いていると、絵本さんは訴えかけるような目で俺を見た。


「“5時”を5丁目として、今やってるヘリコプターからの映像、映ってる家の特徴は?」


 俺は再びテレビの画面に目をやった。2階建ての家に赤っぽい屋根。暗号文に書かれていたダブルデッカーは、たしか2階建てのバスっていう意味で……。頭の中で何かが弾ける音がする。


「もしかして」


「そう、あの暗号文は強盗事件の次のターゲットが書かれていたの!」


“赤いダブルデッカーの前で5時、南を向いて待て”


S町の5丁目、赤い屋根が特徴の2階建ての家を狙え。 


「それじゃ、暗号のやり取りをしていた3人は、強盗事件の犯人」


 俺は確認するように言って、絵本さんに視線を戻した。


「そう」


 反応が薄い。何か間違ったことを言っただろうか。すぐに絵本さんがその理由を言った。


「証拠がないの。暗号文は、あくまで坪内さんが盗み見たものだから。実際にやり取りされていた紙とか持ってないと、物的証拠にはならない」


「そんな」


 閃いて活発に動いていた脳が静かになった。


「これで犯人逮捕よ」と絵本さんが得意げな口調で言うのを俺は想像していた。だが今は、部屋にニュース原稿を読む女性アナウンサーの透き通る声だけが響いていた。


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 絵本さんは朝食を終え、俺は高校へ行く支度をしていた。部屋に入り込んでくる日差しは、自らの存在感を強く示すように明るくて眩しかった。


 彼女は体を伸ばし、口を大きく開けたかと思えば豪快にあくびをしている。その心は?と聞きたかったが、キッチンの方へ消えていってしまった。


『ここで入ってきた情報です。昨夜未明にS町の5丁目で発生した強盗事件ですが、17歳の少年が逮捕されました。続報はまた入り次第お伝えします』


 俺はワイシャツの袖をまくる手を止め、テレビの画面を見た。彼女も俺の隣まで駆け寄って来た。


「おかしい」絵本さんが呟くように言った。


「どこが?絵本さんの推理通りだ。あの3人が犯人……」


 と言いかけてすぐに、頭の中で別の情報が飛び込んできた。なぜアナウンサーはあの言葉を足さなかった?


「気付いたという顔ね。そう、テレビの報道では17の少年としか言ってない。複数ならたちをつけるべきなのに」


「もしかしたら、これから真実がどんどん明るみになっていくのかもしれない。残りの仲間が捕まり、一件落着って流れだ」


 先日、この部屋にやって来た永田警部補もきっとこの事件の捜査に関わっているのだろう。彼が関わっているなら解決も時間の問題だ。


 俺は胸を撫で下ろし、通学用のショルダーバッグを持ち上げた。


「待って網代くん、事件はまだ終わっていないし、何の解決もしてない。雑草を刈り取ったところでまた生えてくるのと一緒よ」


「解決してないってどういうことだ?犯人はもう捕まってるだろ」


 俺は画面を指差した。雑草って一体何のことを言ってる。


「いいから、学校に行ったらすぐに確認してきてほしいことがあるの。彼女の力も必要」


 彼女と聞いてピンときた。


「また坪内さんか」乗り気ではないが、やれるだけやってみるか。


「どんな事を確認してくるんだ?」


「3年生の時間割を見てきてほしいの」


「何でそんなこと?」俺は眉間に皺を寄せた。


「分かったらすぐに昇降口に来て。事は一刻を争う」


 息をするのを忘れるくらいの彼女の言葉に俺は圧倒された。「わかった」と言って、部屋を後にした。


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 走って登校するなんて、遅刻しそうになった時以来だ。校門の前まで来ると、俺は息を整えた。体中が熱く、心臓が痛い。額から汗が止めどなく出ていた。


「あれ、どうしたの?その汗」と背後から女性の声。振り返ると、大きな縁のある眼鏡を掛け、首を傾げた坪内さんが立っていた。


「まだ8時過ぎだよ?全然遅刻じゃないのに」


 腕時計を見ながら話す彼女に俺は言った。


「ごめん、今から少し時間貰えるか?ちょっと、手伝ってほしいことがあるんだ」


 そう言うと、彼女は口角を上げあっさりと「いいよ」と言ってくれた。


「それで、今度はどんな事が知りたいの?」


「それが……3年生の時間割だ」


 彼女は人差指を顎に当て宙を見た。「ごめん、それは分からない。わたしは人に関することが専門だから。網代くんが実際に見に行けば良いんじゃないの?」


 走ってきたせいか、酸素が頭の方まで回っていなかった。では、なぜ絵本さんは坪内さんの力が必要だと言ったんだ?絵本さんも俺みたいに時間割も知っていたと思っていたということか。


 それとも、俺の知らない狙いがあるのか。


「だよな、無理言ってごめん。確認してくるよ。また今度頼む」


 俺は坪内さんに別れを告げ校舎に入った。


 3年生のいる階は2階。時間割は、各クラスの教室内の壁に張り出されている。絵本さんからは時間割を見てきてとしか言われていない。何を見ろというのか。


 目で見たものを瞬時に記憶できれば、絵本さんの要望を完璧に叶えることができるけど。ふと、他の生徒が手に持っていたものに目がいく。スマートフォンだ。写真を撮ってくればいいんだ。


 こういう時なぜか頭が冴える。


 俺は2階に上がり、ポケットからスマートフォンを取り出した。カメラアプリを起動し、耳に当てる。


 3年生のいる廊下へ。敵の本陣へ丸腰で行くような緊張感を持ち歩く。先輩からの視線を感じるが、顔に出さずに自然と振る舞った。


 クラスは5つ。1組の教室の前で止まる。大きい黒板がある方の壁に時間割がある。


 大抵この時間の教室は引き戸が空いているため、そこから時間割を見ることが出来る。上手くカメラのレンズを向け撮る。シャッター音が鳴るが、気にせず隣のクラスへ。


 通話をしている振りをしながら、ようやくすべてのクラスの時間割を取り終えた。


「任務完了」俺はフォルダを開き、ちゃんと撮られていることを確認した。


 絵本さんもそろそろ昇降口に着いているはずだ。急いで向かうか。


 昇降口へ着くと、彼女の姿は見えない。他の生徒たちが続々と登校し、下駄箱で靴と上履きを履き替えている。


 この状況で猫がいたら目立つよな。会話どころじゃなくなる。俺は昇降口を出て、周囲を見回した。


 高校を囲っているブロック塀の上で猫がこちらを見ている。綺麗な白い毛並み。間違いない。


 ちょうど登校してくる生徒の視界に入らない位置だ。上手く隠れたな。


 俺は近付いて声を掛けた。自然に猫に触れに行くような素振りで。


「絵本さん」


「時間割見てきた?」


「撮ってきた」俺は手に持っていたスマートフォン彼女に見せた。


 絵本さんは満足げな笑みを浮かべると、感心するような目を向けてきた。


「それじゃ、早速見せてくれる?」


 俺はスマートフォンを操作し、表示した時間割の画面を絵本さんに向けた。


「次見せて」と彼女の指示で、俺は指を横に動かす。


「これで全部だ」


「ありがとう。次は坪内さんの協力が必要になる。


 彼女に暗号のやり取りをしていた生徒3人が何曜日の何時に図書館に来ていたのかを聞いてきてほしいの」


「分かった。でも、すぐに事細かく答えられるかどうか」


「この前、坪内さんは日記に逐一情報を記録しているって言ってたでしょ?しかも楽しそうに。


 今までの話を聞く限り、彼女は誰かが知っていて、自分が知らないという状況を極端に嫌う性格。


 そういう性格の持ち主なら、間違いなく日記を持ち歩いているはず。彼女にとって情報は武器になるから」


 絵本さんの推理通り、坪内さんは日記を持ち歩いていた。


「うん、持ってるよ」あっさりと、当たり前のように言った。


 彼女が取り出したのは、3センチ程の厚さでA4サイズのリングノートだった。付箋が多く貼られていて、色分けがされている。情報の分類がされているのだろう。


 この中に俺の情報もあるに違いない。何を掴んでいるのか気になるが、今はそれどころじゃない。


 ノートに取り付けてある南京錠を外すと、彼女は笑みを浮かべて言った。


「何が知りたい?」


「暗号のやり取りをしていた生徒3人が、何曜日のいつ頃に図書館に来てたのかを知りたい」


「待ってね」


 坪内さんは該当のページを開き俺に見せてきた。生徒別にやって来た日付と曜日、時刻まで事細かくまとめてある。女子らしい丸い字で何とか可愛げがあるが、これは……正直引くレベルだ。


「どうしたの?」上目遣いで首を傾げてくる。可愛らしい容姿と行動が伴ってない。


「いや、何でもない」


 情報量が多いため、写真を撮らせてほしいとお願いしたところ、


「いいよ。でも、その代わりに今度わたしが質問したら正直に全部答えてね」


「わかった」スマートフォンのシャッターボタンを押しながら答えた。正直に全部?怖いな。


 お礼を述べて教室へ出ると、絵本さんのいるブロック塀に向かった。


 朝から走り通しだ。足が棒になって上手く動かせない。変な歩き方になる。


「待たせたな」


「大丈夫?その足」


「大丈夫。運動不足なだけだから」


 俺はコンクリートの上で胡座をかいた。太ももやふくらはぎを何度も両手で撫でた。痛みが引いていくを感じる。


 隣に絵本さんが座った。周囲を見るとまだ多くの生徒が昇降口に入っていく。なるほどちょうど俺の体で隠れてるのか。


 俺は先程撮った写真の画像を表示させ、彼女の足元に置いた。前足を巧みに使いこなし、画像を何度も見比べている。


「……網代くん」


「しばらく休ませてくれ。限界だ」俺は太ももを撫でる。


「大丈夫、もうおつかいは頼まないわ。その代わりに代役をお願い」


「代役?」


「代わりにわたしの推理を犯人に話してほしいってこと」


「は?」一瞬時が止まったような気がした。「いや、無理だ。俺は絵本さんみたいに上手く喋れない」


「お願い。一緒に悪党を捕まえるの。網代くんは野放しのままでいいと思ってるの?」


 彼女は真剣な眼差しで俺の右手に前足を添えてきた。


 似たような感覚が前にもあった。確か、絵本さんと初めて会った日のことだ。湿気が高い梅雨空で彼女は俺の部屋にいて、わたしと話せるのは貴方だけだ。だから一緒に住まわせてと涙ながらの訴えてきた。


 良心に訴えかけるようなそんな目で、俺を見ながら断れない問いを投げかけてくる。


 俺は鼻で大きく吸って、口でゆっくりと溜まった空気を出す。悪党は野放しにできない、と心の中で何度も呪文のように唱える。そして俺は覚悟を決め、絵本さんの方を見た。


「分かった、やるよ。その代役、引き受ける」 


 俺の言葉を聞いた絵本さんは頷いてくれた。瞳の奥は、迷いのない情熱の色で滲んでいた。

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