第9話 対決/そして2人は


 17


 1階の東側、職員室の隣に位置する会議室は、常に開放されている。明るい木目のドアを開けると、暗幕カーテンが開けられていて、室内を照らす朝の陽光が心地よい。


 会議用の長い机が、何段も積み上がっていて隅の方に置かれている。椅子も同様で、室内はとても広々としている。教室2個分といったところだろうか。


 用途は文字通り会議。外部の人をここへ呼んで、授業をしている様子を以前、高校の広報誌で見たことがある。


 今から俺はここを決戦場にしようと思っている。犯人と対峙し、絵本さんの推理を披露する。心臓が内側から叩いているような音が聞こえる。息が浅くなってきた。深呼吸して相手を見据える。


「すいません、忙しい時に呼び出してしまって」


 口の中が乾いて上手く動かない。指先に僅かな震えを感じる。一拍置いて、俺は続けた。


「今朝のニュース見ました?強盗事件の犯人、逮捕されたらしいですね、本当に良かった。今日からよく眠れそうです」


「ここへは世間話をしに来たのか?」犯人は静かな低い声で訊いた。


「いえ、呼び出したのは、事件を本当の意味で解決させるためです。関わってますよね?強盗事件に」


 俺は相手の表情の変化を注意深く見た。


「大槻先生」


「俺が?」先生は動揺を一切見せないどころか、頬に柔らかな皺を寄せた。


「はい」


「世間話の次は俺を強盗事件の犯人扱いか……」


 呆れたような口調で言う彼に俺は言った。


「赤いダブルデッカーの前で5時、南を向いて待て。心当たりはありますか?」


「ないな」首を振った先生の目に気持ちの乱れが見えない。


「先日の放課後、図書室で或る男子生徒が、本を片手に黙々と紙に書いていた文章の一部です。生徒の行動から、書籍暗号で暗号化された文章を解読していたんでしょう。


 隠語で分かりにくいですが、解読すると昨日の未明に起きた強盗事件の場所を指し示していました。


 S町の5丁目、赤い屋根が特徴の2階建ての家。南をサウスのS、5時は5丁目。


 問題は、その男子生徒が誰からこのメッセージを受け取ったのか」


 誰からと言った時の先生の目に僅かだが動揺の色が見えた。だが、先生はすぐに穏やかな表情に戻り、口を開いた。


「網代、たしかその強盗事件は、ニュースで複数人の犯行だと報じられていたはずだ。そのメッセージ、仲間内でやり取りされていたとも考えられないか?」


 その反論は想定内だ。それに長く話したおかげで手の震えが引いたし、相手の表情を見る余裕もできた。


「倉持万浬、太川葉月、山下集平。全員3年生で、クラスは別々で部活動も違う。接点は無いように見えますが、昼休みや放課後を利用して、暗号の解読をしていた生徒たちの名前です。強盗の実行犯とも言えます。確かに仲間内でやり取りされていたと考えられますが……」


「要点を言え、網代。ここまで俺の名前はまったく出てきていないぞ?関わっていると言うのなら、証拠を示せ」


 先生は俺の言葉を遮り、眉間に深い皺を作りながら言った。声色に苛立ちが見える。


 構わず俺は続けた。間を置かずに話せる。脳裏の情報が整理され、言葉がスラスラと出る不思議な感覚だ。


「倉持万浬先輩。先月、朝のホームルームが終わった後、昇降口にある自動販売機でばったりと会ったんです」


 それがどうしたと言いそうな先生の表情を横目に俺は、語気を強めて続けた。


「俺が飲み物を買って、お釣りを取ろうと思ったら返却口に5円玉が入ってたんです。そこへ倉持先輩がやって来て、『俺のだ』と怒鳴って強引に奪った。


 俺は教室に戻ろうとしてその場から離れましたが、倉持先輩は残った。そして5円玉を返却口に戻した」


「5円玉?」先生は鼻で笑いながら言った。「証拠を示せと言ったのに、まったく関係のない話だな」


「この話は強盗事件が起きる数日前の事です。あと覚えてますか?放課後、2人で廊下を歩きながら話した日のことを。具体的に言うと、先生が俺に5時限目が終わった後どこにいたのか訊いた日です。


 あの時は答えをはぐらかしましたが言います。俺は自動販売機で1円玉を見つけていたんです。そして1円玉が置かれた後の数日間、何も起きていない。偶然でしょうか?」


 訴えかけるような俺の口調に先生は、


「だから……」


「これまでの事から、5円玉が決行、1円玉が中止もしくは延期ということを示している。なぜ倉持先輩たちは硬貨を使うような方法をとったんでしょう?仲間内だけなら書籍暗号だけでよかったはずです」


 俺は言葉を遮った。反論の隙を与えたくなかったらだ。


「では、なぜ5円玉と1円玉を使うような事をしたのか。それは、倉持先輩たちが他にやり取りをしている人物がいるからと考えるのが自然です。少なくとも対等な関係ではない上の人間……指示役です。


 それでは指示役の正体は誰なのか。これまでの暗号や硬貨の件で、校内にいるのは確かです。そして先輩たちに近しい人物。ここで思い出されるのが、


 “3人は昼休みや放課後を利用して、暗号の解読をしていた”


 なぜ昼休みと放課後別々だったんでしょう。時間を意図的にずらしたとも考えられますが、こう考えると辻褄が合うんです。


 先輩たちはクラスが別々でした。故に違うタイミングで授業を受けることになります。午前中の授業なら昼休み、午後なら放課後になる。そのため、図書室を利用する時間もバラバラになる。


 後は簡単です。先輩たちが図書室を利用した時間の前に誰の授業を受けていたのかを確認するだけですから」


 口の中の水分が枯れた。頭が熱くなっているのを感じる。俺の推理を訊いている最中、先生の表情は硬いままで変わらない。


「悪くない推理だが、教師と分かっただけで、俺と断定できないはずだ」


「ある情報があれば可能です。先輩たちが何曜日の何時に図書室を利用したのかをまとめた情報です。


 情報通の友人がまとめてくれてたんです。信頼性は高い。その情報と先輩たちの教室に張り出されている時間割と照合すると或る人物が出てきます。あなたです」


 俺は先生を見据えて言った。


「大槻先生」


 先生は深く息を吐き、視線を落とした。


 全て言い切った。今の俺は体が軽く、高揚感に包まれている。次の瞬間、別の考えが脳裏をよぎった。それは、先生がここからどう反論してくるのか、ということだった。


「もう話してもいいか?」先生は力のない声で言った。


 俺は身構えた。絵本さんから訊いている推理は全て話した。ここからは自力で何とかするしかない。


「構えるな、取って食ったりはせん。網代、どうだ?悪人を捕まえる気持ちは」


「それは……」


 淡々と語る先生の話に俺が言い淀んでいると、会議室のドアが開いた。俺は思わず体を強張らせた。


「大槻京詩郎だな」スーツを着た若い男性が切り込み隊長の如く入室してきた。声に勢いがある。


 後から制服を着た警官たちがやって来た。ということは、あの切り込み隊長は刑事か──。


 そして最後に入室してきた顔見知りの男性を見て、俺の体の力が一気に抜けた。


「おう、一輝。無事だったか?」永田さんが軽く手を挙げた。


 受け答えする余裕がなかった。緊張感なさすぎだろこの人。


 あの若い男性刑事が先生に手錠をかけた。抵抗の姿勢は一切見られない。先生の表情は、どこか疲弊しているように見えた。


 右肩をギュッと掴まれた。すぐ隣に永田さんがいた。穏やかな笑みを浮かべている。少しタバコ臭い。


「一輝、良くやったな。カッコよかったぞ」


「あっ、いや俺は別に何も」


 俺は手を振りながら何度か小さく頷いた。


「網代」


 先生の低く落ち着いた声が、会議室の中に響いた。声のする方を見ると、先生は足を止めこちらを見ていた。先程まで対峙していた目の鋭さの面影はなく、全てを見透かしたような目が宿っている。


「お前の推理じゃないことは分かってる。千蔭によろしくと伝えておいてくれ


「何で?」反射的に出た言葉だった。隣にいた永田さんにも聞こえないような声量だったと思う。


 俺と絵本さんが1円玉を見つけた日、先生は俺に一緒にいた猫の名前を聞いてきた。その時確かにチカゲですと答えた。


 チカゲは猫の名前であって、それ以上の意味はないはずだ。では、なぜ先生は、これが絵本さんの推理だと分かった?


 先生は俺の反応を楽しむかのような目で見た後、若い男性刑事たちに連行され会議室を後にした。


「おい一輝、どうした?顔色が悪いぞ」


 永田さんの声で我に返った。気付けば呼吸が浅くなり、体は硬直し動けなかった。


「俺……」


 永田さんの口の形が「おい」と言っているように見える。


 意識と共に体の感覚がなくなっていく。糸繰り人形から糸が取れたように俺はそのまま倒れ込んだ。 


 18


「一輝、ほら起きなさい」


 その声は、朧げな記憶の中で鮮明に残っている母の声だった。夢に出てくるなんて、相当疲れてるんだな。もうこの世にいない母の声を聞くなんて。


 目を覚ますと、まずは消毒薬の匂い。手触りの良いシーツは少し冷たい。視線を上げると、電気が点いていない蛍光灯が目に入った。


 ということは、ここは保健室か。俺、倒れたんだ。どうやって運ばれたのかまったく記憶がない。


 最後の記憶は永田さんの心配そうな顔だった。ここまで運んでくれたのだろう。後でお礼を言わないと。


 左足の辺りから、布団を踏みながらこちらに近付いてくる足音が聞こえる。ゆっくりで足が4本……猫の足?


「網代くん」


 俺は声のした方に首を動かし、ベットの端に座る相手の姿を捉えた。


「絵本さん」彼女の姿を見て気持ちが落ち着いた。


「ここまで来て大丈夫なのか?保健室の先生とかに見つかったら……」


「問題ないわ。しっかり確認したから。ねぇ知ってた?猫って人の5倍聴覚があるんだって」


「それは知らなかった」俺は右手を額に当てながらため息をついた。


「大丈夫?」絵本さんは体を前に動かした。


「ああ、平気だ」まだ体に上手く力が入らない。握り拳を作ろうと思っても、まるで借り物のように自分の手じゃないみたいな感覚だった。


「心配したんだから。急に倒れるなんて……」


 俺が返答を考えている間、絵本さんの発言に違和感を覚えた。何で知ってるんだ?それにあの猫の豆知識は……もしかして、


「聞いてたのか?会議室でのやり取り」 


「聞いてるに決まってるでしょ。犯人を追い詰める大事な場面なんだから、見逃すわけないじゃない」


「じゃあ、先生が言ったあれも……」


 今もまだ強烈に残っているあの言葉を。


“お前の推理じゃないことは分かってる。千蔭によろしくと伝えておいてくれ”


「ええ、耳が良いのも考えものね」絵本さんの口調に動揺は見えない。


「ちなみにだけど網代くん、あの犯人とわたしについてどんな事を話したの?」


「えーっと」まだ頭が上手く働かない。記憶を呼び起こす。


「先月から猫と一緒に暮らしてますって言ったら、名前を聞かれたんだ。だから千蔭って答えた。猫に絵本さんっておかしいと思ったから。本当にごめん。あの時は指示役だって分からなかったから」


「網代くんは悪くないわ。全然気にする必要はないから」


「何で先生は絵本さんの推理だと分かったんだ?」


「良い質問ね。この調子で考えれば、網代くんも名探偵になれるかもね」


 投げやりな態度で言う彼女に俺は尋ねた。


「絵本さん、どうした急に?」


「しょうがないでしょ!アイツがわたしのことを知っていて、わたしはアイツを知らないのよ。こんな屈辱的な事ある?あるなら教えて!」


「うっ」俺は肘を使いながら重たい体をなんとか起こした。呼吸を整え、絵本さんを見据える。


「知らないなら調べればいい。今回は不意打ちをくらったけど、もうそうはならない。先生のこと、もっとよく調べよう。


 永田さんもいるし、俺も力になる。絵本さんは1人じゃない」


 俺の目を見て「ありがとう」と絵本さんは消え入りそうな声で言った。


 目には光るものがあった。俺は微笑んで頷いた。 

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