第7話 猫の来訪/調査報告
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先月から俺と同居している猫は、人間の言葉を話す名探偵。正体は元人間で名前は絵本千蔭。
ワイシャツに袖を通しながら、彼女が毛繕いをしている様子を見ていると、情報量が多すぎて時々訳が分からなくなることがある。
誰かに相談したところで、疲れてるのかと言われ変わった人間だと思われてしまう。それは避けたい。
昨日の夕方に絵本さんから頼まれた事は、今日のうちに解決するに至った。正確に言えば、昼休みに解決した。長い時間を要すると覚悟していたが、早く終わり胸を撫で下ろした。
帰宅したら彼女に報告しよう。坪内さんからとても有益な情報を得られたことだし。
さすが『みんなが知っていてわたしだけが知らないのが一番イヤなの』と言っているだけある。坪内さんの情報網は侮れない。
順調すぎて今日の俺は機嫌が良い。
5時限目の数学が終わり、俺は席を立った。午後に来る眠気を覚ますためだ。上半身を伸ばすが、今日の睡魔は中々抜けない。
俺は財布を手に自動販売機のある昇降口へ足を運んだ。出入り口を見ると、五月晴れで日差しが差し込んでいた。
自動販売機に硬貨を入れようとすると、視界の隅に何か動く物体を捉えた。出入り口の方からだ。
「網代くん」
絵本さんが見上げながらこちらを見ていた。
俺の目が大きく見開いたことを自覚した。次にしゃがんで目線を合わせるまで数秒も掛からなかった。
「何でここに?」
「昨日言ったこともう忘れたの?散歩が増えるって言ったはずよ」
「だからって何で学校に来るんだよ?」
絵本さんは視線を自動販売機に移した。全体を観察するように見た後、コイン返却口に前足を入れ
た。
「実際に来て見ておこうって思ったの。網代くんを信用してないわけじゃないけど、視点は多いほうが良いに越したことはないから」
「もしかして、5円のことも関係してるのか?」
「何とも言えない」
強盗殺人の記事を見た時も同様の反応だった。あの時の「まさか……ね」と言った彼女は含みのある口調だった。
そして昨日話した暗号の内容。彼女の頭の中でどう繋がっているのか、1度中身を覗いてみたい。
きっと例の自動販売機のコイン返却口にあった5円玉の件も『退屈凌ぎの謎』に含まれているのだろう。
「ん、何?」絵本さんの前足を何度も動かし、中にある何かの感触を探っている。
「また何か入ってるのか」
「ええ。網代くん、取ってみて。わたしじゃ無理」
彼女は前足が引っ込めて上目遣いで言った。
「分かった」
コイン返却口に手を入れて指でなぞると、硬い感触で、小さく冷たい。硬貨だ。穴がない。不安と緊張が混ざった気持ちで出してみると、俺と絵本さんは顔を見合わせた。
「なんで1円玉?」開いた口が塞がらない。
「良い質問ね」彼女は冷静な口調で1円玉を見つめた。
次の瞬間、校内で予鈴が鳴った。もうそろそろ教室に戻らないと。俺は1円玉を返却口に戻した。5円玉の時の怒鳴られたあの先輩を思い出す。
「絵本さん、俺もう戻らなくちゃ行けないから。続きは後で話そう」
「ええ、分かった」
俺は駆け足で階段を上がった。飲み物を買いに行くはずが、また新たな謎が生まれてしまった。
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放課後になり帰り支度を済ませると、俺は教室を後にした。
他の生徒を掻き分け廊下を歩いていると、
「網代!」と背後から声が聞こえた。穏やかな低い声。間違いない。
一瞬脈が速くなる。俺はすぐに振り返った。担任の大槻先生だからだ。
俺から大槻先生の所へ行こうと思ったが、先生はも既にそばに来ていた。
「何ですか?」
「歩きながら話そう」先生は周囲を見た。「ここで止まってると邪魔になるからな」
「はい」
何人か避け階段の踊り場に出ると、
「5時限目が終わった後どこにいた?」
心臓が止まったような感覚に襲われた。答える前に俺は大槻先生の方を見た。いつもの彼の鋭い目は今や面影がないくらい穏やかだ。
「いや……その」
「何か変な質問したか?」
「そんなことないです。自動販売機で飲み物を……」
「猫といたな」先生は言葉を遮ってきた。
穏やかな口調が逆に恐怖を感じる。心臓が早鐘を打つ。
「はい」生きている心地がしなかった。
「仲が良さそうだった。飼ってるのか?」
「はい、実はそうなんです。先月から飼ってて、結構懐かれちゃって」俺は頬を糸で引っ張ったようなぎこち無い笑みを作った。
「先月か……そうか。まさか網代も猫派だったとはな」
「もってことは先生も……」
「ああ」先生は目尻に皺を作り、口角を上げ笑った。
「はぁー」全身の力が抜け、ため息を吐いた。
「名前は?」
「えっと……」いつも彼女の事を『絵本さん』と呼んでいる。猫を名字でさん付けは、変に怪しまれてしまうかもしれない。
「チカゲって言います」
「……良い名前だ」先生は噛み締めるような声で言った。
「ありがとうございます」
職員室がある2階まで降りると、「それじゃ網代、また明日」
「はい。また明日」
「気を付けて帰れよ」大槻先生は職員室へ消えていった。
俺はしばらくその場から動けなかった。3年寿命が縮んだ。頭の中の酸素が不足しているような感覚だ。
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やっとの思いで帰宅すると、俺はため息をつきながらベッドにダイブした。やっぱり家が1番落ち着く。
顔のすぐ横に気配を感じる。絵本さんだ。
「ねぇ、どうしたの?大丈夫?」
俺は仰向けに体制を変え、目を瞑りながら「俺は1回死んだ」
「一体何の話をしてるの?」
「こっちの話だ。忘れてくれ」
絵本さんは姿勢を正した。俺を目を開き彼女の方へ視線を飛ばした。
「それじゃ、今生きてる網代くん、昨日頼んだこと報告してくれると嬉しいんだけど」
「それは」俺は天井を見上げた。白い天井がオレンジ色に染まっている。
「早速今日の昼休みに来たよ。思ったより早かった」
「やっぱり同じ人だった?」
「ああ。俺が自動販売機で5円玉を見つけた日に会った先輩が図書室に来たよ」
忘れもしない。響くような低い高圧的な声。
「坪内さんによると、3年で名前は倉持万浬。あと、図書室に代わる代わるやって来ていた生徒は3人。3人とも別のクラスで、部活も違うらしい」
「1日でそこまで調べ上げたの?」
「いや、坪内さんが持ってた情報。秘密のやり取りをしているのが誰なのか気になって、先輩の図書委員に聞いてまわったらしい。日記にもちゃんと記録してるんだって坪内さん凄く楽しそうに……」
坪内さんの情報に対する執着が凄い。今回は知りたかった情報だからありがたいが、それ以外だったら引くレベルだ。
「そう、ありがとう。凄く助かった」
絵本さんは言葉を遮りベッドから降りた。彼女口調は少し冷たかったが、どこか考え込んでいるようだった。
それから数週間、絵本さんは相変わらず散歩に出掛け、俺はいつも通り高校へ。気象庁が梅雨明けを報じてから初めて雨が降った日の晩、次の強盗事件が起こる。
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