第4話 5円1円事件(1)


 4


 嫌な予感というのは、当たらないことのほうが多いと聞くが、昨夜の絵本さんの目はそうは語らなかった。


 翌朝、俺は彼女との会話を回想しながら通学路を歩き、高校を目指していた。


「深入りは禁物って、そんなにまずい事態なのか?」


「まぁ、そうね」


 そう言ってから少し間を置いて、彼女が話し始めた。


「何で今どきの高校生が暗号でやり取りをしていると思う?」


「誰にも知られたくないからだろ」


「そこなの。スマホがあるでしょ?メッセージアプリでグループを作ってやり取りするほうがより合理的でしょ?でもそうしてない。


 問題は、誰に対して隠したいのかと、なぜこのような方法を取ったのかっていうこと」


「誰って……うーん」俺は腕を組み唸った。


 他の生徒か、教師……親?スマートフォンの画面を見られないようにロックを掛ければセキュリティは万全なのにそうしないのはなぜか?


「悩んでいるようだからヒントをあげる。デジタルはどうやっても痕跡が残るものなの。警察が絶対に見つける」


「警察って、なんか話が飛躍してないか?」俺は思わず前のめりになった。


「飛躍なんてしてないし、今ある事実から推論してるの。暗号でやり取りするのはデジタルにはないメリットがあるから。紙のやり取りなら、紙を燃やしてしまえばいい。跡形もなくね。


 本は又貸しが禁止されているから、時間を決めて交代交代で読んでいると言えばいい。いくらでも言い逃れが出来るの」


 絵本さんは早口言葉のような口調で、自身の推理を語った。圧倒されながらも情報を整理したが、事態の深刻さにあまりピンと来ていなかった。


 次に語られた彼女の話に、俺は思わず息を呑んだ。


「徹底して痕跡を消すのは、ある事を隠したいから。例えば……犯罪行為よ。その可能性があるから深入りするなって言ってるの」


 坪内さんにどう話そうか。俺の足取りは重かった。高校に着くと、校門の前で彼女が立っていた。


 目が合うと、目を輝かせこちらに駆け寄ってきた。


「おはよう、網代くん」


「おはよう」俺は彼女と目を合わさず、小さく頷いた。


「どうしたの?元気ないけど」


「ん、そうか?大丈夫だ。少し寝不足なだけだ」


「そう……昨日わたしがあんなこと言ったから、考え込ませちゃったよね。ごめんなさい」


「いや、いいんだ。謝らなくて」


 俯く坪内さんに俺は意を決した。


「実は昨日の件、1つの仮説を立ててみたんだ」


「仮説?」彼女は再び俺の方を見てきた。目の輝きがいくらか戻っている気がする。


 俺は絵本さんから訊いた推理をそのまま坪内さんに話した。隠すことなくすべてを。その方が危険性をしっかりと伝えられると思ったからだ。


 犯罪行為という言葉に坪内さんはひどく当惑していた。


「秘密の情報交換が凄い話になっちゃったね」彼女の口調はおどけているが、笑顔は作っているようだった。


「だから、この件は忘れよう。関わらないほうがいい」


「そうだね」


 そう相槌を打った坪内さんの表情は、どこか考え込んでいるようで、上の空だった。


 彼女が今どう考え、どう思っているのか俺には分からなかった。


 5


 かける言葉を見つけられないまま、教室に来てしまった。坪内さんと俺の席は遠い。彼女は教室に着くなり、別のクラスメイトたちと談笑している。


 あの時の彼女の表情が気になる。俺の言ったことに納得していないようだった。これ以上首を突っ込まないよう、見守るべきか。


「よし、全員席につけ。ホームルームを始めるぞ」


 担任の男性教師が教室に入ってきた。


 大槻京詩郎。担当は社会科。身長は長身で、髪は綺麗な銀色。口調は穏やかだが、時々見せる鋭い眼光に少し恐怖を感じる。いや、結構感じる。


 大槻先生は出席の確認後、今日の連絡事項を伝えた。そして最後に付け加えるようにこう言った。


「よし、朝のホームルームはこれで終わるが、1つだけ先生からお前たちに言っておきたいことがある。


 最近、怪しいアルバイトが横行していると先生たちの耳に入ってる。もう君らはアルバイトが出来る年だ。求人雑誌を見る時は、注意深く見ること。分かったな?」


 先生はクラス全体を見回し、しっかり伝わったことを確認すると、


「それじゃ、今日もしっかり集中して授業受けること。解散!」


 と言って大槻先生は教室を後にした。


 先生の話を聞いてまず先に考えたのが、アルバイトをすれば絵本さんの食事が充実するのではないか、ということだった。いつもリンゴだからな。気の毒だ。


 机の脇に掛けてあるショルダーバッグから、ペットボトルのお茶を取り出そうと手を入れるとあるはずの場所に手が触れない。


 昨日、絵本さんと話してたことをずっと考えていたからお茶を買うのをすっかり忘れていた。俺は財布を手に教室を後にした。


 廊下に出ると、まだ他のクラスはホームルームをしていた。俺は階段を降りて、自動販売機のある昇降口へ向かった。


 昇降口は人の気配がなく、陽の光も入っていないため、石の壁に触れると冷たい。


 自動販売機は、2台設置されている。昼休みに多くの生徒が買いに行く混雑を予測しての事だろう。


 500mlのペットボトル、150円のお茶。俺は財布から100円玉硬貨を2枚入れて購入した。


 カラン、と50円玉が落ちる音がした。コイン返却口からお釣りを取り出すと、俺は眉を顰めた。


 50円玉硬貨の他に、5円玉硬貨があった。


「自動販売機って、5円使えないよな」


 なぜ入ってるんだ。意味が分からない。掌にある硬貨と自動販売機を交互に見ながら考えていると、背後から男性の響くような低い高圧的な声が聞こえた。


「おい!」


 心臓が飛び出るかと思った。俺は目を見開き、振り向いた。

 

 無造作な髪型に、引き締まった体格。身長は、俺よりも少し高い。今にも襲いかかってくるような形相に、俺は思わず一歩引いた。


 足元を見ると、上履きに入っている線の色で3年生と分かる。先輩だ。


 狼狽えていると、先輩が距離を詰めて言った。視線が俺の掌にある硬貨に一瞬移った。


「おい、ここで何やってるんだ?」


「えっと……お茶を買いに来ました」俺は声を上ずらせながら、更に一歩引いた。


 何か悪いことをしたみたいで、一刻も早く昇降口から離れたい。


「その手に持ってる5円」先輩は顎を動かし言った。「それ俺のだ。よこせ」


「はい」


 俺は言われるがまま、持っていた5円玉を渡した。


 数秒、間があった。先輩はこの場から去る気配を見せない。俺が去れという事か。


「すみません、失礼します」


 そう言って俺は先輩と目を合わせず、会釈してから足早に昇降口を後にした。


 階段を上がろうとした瞬間、自動販売機の方から、コイン返却口に手を入れたような音が聞こえた。


 俺は足を止め、音のする方へ首を動かした。先輩は自分のものだと主張していた。なぜ、財布に入れずにコイン返却口に入れたんだ?

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