第5話 5円1円事件(2)


 6


 疑問が解決できないまま、放課後になってしまった。本人から直接尋ねればいいだろと思うが、あの高圧的な先輩と再び対峙する度胸は俺にはない。


 外は少し強い雨。梅雨の晴れ間も長くは持たなかった。


 帰宅すると、部屋の前に見覚えのある男性刑事が立っていた。整った短い黒髪に、縁のない眼鏡。上下黒いスーツに紺色をネクタイをしている。柔道の有段者で、しっかりした体格。身長は軽く180センチを超えている。


「永田さん」俺は右手を軽く挙げ、相手が気付けるように声を張った。


 気付いた永田さんは、表情を緩ませて手を挙げ、重厚感のある低い声で言った。


「久しぶりだな、一輝。元気にしてたか?」


「はい」


 俺は、部屋のドアを開けて男性刑事を招き入れながら言った。


「すみません、散らかってますけど」


「几帳面を絵に描いたようなお前がそれを言うか」


 永田兆治郎。捜査一課の刑事で、階級は警部補。ある事件以降、気にかけてくれる面倒見の良い人だ。


 居間に着いた永田さんは、胡座をかいて部屋を見回した。俺は冷蔵庫からペットボトルのお茶を出して彼に渡した。


「おっ、サンキューな。本当に相変わらず部屋が綺麗だな」


「そうですかね」


 俺は謙遜しながら、永田さんと向かい合うように胡座をかいた。


「それで、今日は何の用で……」


 永田さんはペットボトルのキャップを開け、豪快に口に含んだ。


「いきなり本題か。まぁ、勿体ぶってもあれだからな」


 手で口元を拭くと、彼の表情が硬くなった。


「最近、この辺で強盗事件が多発してる。今日は、戸締まりをしっかりしとけと言いに来たんだ」


「強盗……」


 強盗事件と聞いて、昨夜絵本さんとの会話が脳裏をよぎった。図書室での暗号のやり取りが、犯罪行為に関わっているという推理だ。いや、高校生のやり取りにこんな物騒な事件が関わっているわけがない。


「どうした?何か引っ掛かるのか?」


「いえ、何でもないです」


 確信が持てない。不確かな情報で捜査の邪魔はしたくない。


「そうか」永田さんの頬が緩んだ。「それで、学校はどうだ?上手くやってるか?」


「はい。何とかやってます」俺は姿勢を正した。


「まぁ、一輝の事だ。心配は無用か。でも何かあったらすぐ俺に相談しろ。遠慮はいらないからな」


「ありがとうございます」


「一輝、俺に隠していることはないか」


「へ?」不意の問いに情けない返事をしてしまった。


「いるのは分かってる。出てこい!」


「ニャー」絵本さんが、観念したようにテレビ裏から出てきた。


「やっぱりいたか!この!可愛いな」永田さんは絵本さんを抱き上げた。彼女の目が心なしか死んでいるように見える。


「何で分かったんですか?」


「何でって見たら分かるだろ。猫を世話する道具に、床に落ちてるこの白い毛。間違いないよな?」


 永田さんは、膝の上にいる絵本さんに問いかけながら「なぁ?」と言っている。


「網代くん」絵本さんが鋭い目付きをこちらに向けてきた。


 俺は心の中で謝りながら、そっと視線を外した。


「ニャーニャー鳴いて可愛いな」永田さんはそう言いながら、彼女の頭を撫でている。


 やはり、絵本さんの声は俺にしか通じてないようだ。俺以外の人には、普通に鳴いているようにしか聞こえていないらしい。


「安心した」


 そう言った永田さんは、絵本さんを解放した。彼女は体全体をブンブンと降って、キッチンの方へ消えていった。後で謝ろう。


「安心って、何がですか?」視線を永田さんに移した。


「部屋でずっと1人だと思って心配してたんだ。あんなに可愛い猫と一緒にいるなら安心した」


 そう言って、永田さんは残りのお茶を飲み干した。


「長居は無用だな。伯父さんと伯母さんに宜しく伝えておいてくれ」


「はい」


 永田さんが立ち上がり玄関の方まで行くと、俺も後を追いかけて彼を見送った。


「それじゃ、戸締まりちゃんとしとけよ」


「分かりました」


 永田さんは嵐のように去って行った。


 鍵を掛け居間に行こうとすると、絵本さんが立ち塞がるように姿勢を正して座っていた。


「本当にごめん」俺は彼女の目を見て謝罪した。


「いつかきっとこの借りは返す。必ずね」


 この日の晩、俺は少しお高めの焼き魚を用意した。


 7


 永田さんが来訪した日の晩、部屋の電気を消し、寝床に着いた。俺は両手を頭の後ろで組み、枕代わりにした。暗闇の天井を見ながら同居人に声を掛ける。


「絵本さん、起きてるか?」


「起きてる。知ってた?実は猫って夜行性なの。お陰で昼夜逆転生活。とても快適な生活が送れてるわ」


 暗闇の中から絵本さんが返答した。どうやら機嫌が悪い時に話しかけてしまったらしい。皮肉の切れ味が違う。


 気にしていないふりをして、俺は切り出した。


「永田さんとの話で、そう言えばっていうことがあったんだ」


「何?」


「絵本さんが猫になってもう結構経つだろ?人間だった頃の絵本さんを知ってる人にとっては、ある日突然いなくなったってことになる。心配してる人は居ないのかなって」


「いないわ」


 即答だった。


「でも」と俺が食い下がると、彼女は言葉を被せるように言った。


「家族は母親だけ。父親はわたしが2歳か3歳の時に死んだって聞いてる。網代くん、1回しか言わないからよく聞いて。わたしをあの時、コインパーキングに捨てたのは母親なの。心配してるはずがないの」


 彼女は淡々とした口調で言い切った。俺は絶句し、口を結んだ。


 こういう時、一体どんな言葉が適切なのだろう。深く考えないまま、俺は口を開いた。


「ありがとう」


「え?」絵本さんは消え入りそうな声で訊いた。


「話してくれてありがとう。自分の過去を話すのは、とても勇気がいることだ」


 相手の返答が来るのを待たず、俺は更に続けた。


「俺は幼い頃、両親を殺人事件で亡くしてる。永田さんは、その事件の担当刑事だったんだ。解決してからもこうやって時々来て、様子を見に来てくれてる」


 何でだろう。絵本さんになら話してもいいかなって思ったんだ。


「あの刑事さんの口ぶりからして、薄々感づいてはいた。詮索はいけないと思ったから、聞かないでおいたの。

 わたしからもお礼をさせて。打ち明けてくれてありがとう」


 この時だけは、猫の姿ではない彼女の本来の姿である、人としての絵本千蔭と話しているような気がした。


 部屋が静寂に包まれた。眠りにつこうとした頃、枕元に気配を感じた。


「ねぇ、網代くん」


「うん?」俺は目を覚まし、彼女を方を見た。


「何か面白い話してよ」


 前にもこんなやり取りしたな。絵本さんと初めて会った日だ。ペット禁止を覆したきっかけの話をしたのも、彼女のこの切り出しからだった。


「相変わらずの無茶振りだ」


「ふふ」彼女はいたずらっ子のような笑い声。「退屈なの。仕方がないでしょ」


 俺みたいな凡人の話で、絵本さんの退屈を紛らわせることが出来るだろうか。


「あっ」あった。あの話をしよう


「なに?」


「今日、朝のホームルームが終わった後、お茶を買いに行ったんだ。そうしたら、自動販売機のお釣りが入ってる所に5円玉があってさ」


「5円玉?使えないはずでしょ」


 良かった。食い付いたみたいだ。


「そう。使えないのに入ってたんだ。何で入ってるのかを考えてたら、後ろから恐い先輩が来て、大きな声で怒鳴ってきたんだ」


「それは災難ね。何で怒鳴ってきたの?」


「俺の持ってた5円が、先輩の物だったんだ。盗られたと勘違いしたのかもしれない。すぐに渡して、俺はすぐその場を後にした。でも、帰り際聞こえたんだ。お釣りを入れる所に硬貨を入れる音が」


「財布に戻さず、返却口に5円玉を入れたっていうの?」


「そうみたいだ。聞いたから、間違いない」


 暗がりで見えないが、彼女の考える姿が想像できる。きっと論理的な思考で答えを導き出してくれるに違いない。


「推論を組み立てるには、情報が少なすぎる。うーん。網代くん、他に気になった点は?」


「ない……かな。今の話で全部だ」


「そう……」


 彼女はそれ以上、何も言わなかった。


 

 8


 数日が経った。


 空は白い。シトシトと降る雨は、7月に入っても梅雨の終わりを告げようとしない。俺は高校に行く支度をしながら、エアコンの除湿ボタンを押した。


 今日の朝刊の見出し。


『強盗殺人 70代女性死亡 犯人は複数犯か』


 3日午後10時頃、S町3丁目の住宅で強盗事件が発生。住人の70代女性が押し入った犯人に殺害された。


 警察は現場付近の防犯カメラの映像などから、犯人は複数人と見ている。以前から続いている強盗事件との関連性も含め、捜査を進めている。



 届いた新聞のテレビ欄を見ていると、向かい合って座っていた絵本さんが、裏の見出しを見て静かに含みのある言い方でこう言った。


「まさか……ね」


「どうした?」俺は持っていた新聞を下にずらし、彼女に視線を向けた。


「……うん」


 何か言いたげな、勿体ぶった返事に俺は首を傾げた。

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