第26話 連載が始まった日、世界が少し騒がしくなった

連載初日の朝は、

 思っていたより静かだった。


 スマホは鳴らない。

 通知も、ない。


 俺――桐生こういちは、コーヒーを淹れながら画面を眺めていた。


「……まだ、だよな」


 公開は午前十時。

 時計は、九時五十八分。


 心拍数が、無駄に正確だった。



「落ち着いて」


 ソファでノートPCを開いているひよりが言う。


「最初は、

 “誰にも読まれない”くらいが普通」


「分かってます」


 理屈は。


 でも――

 感情は、別だ。



 十時。


 画面が更新される。


【連載開始】

【第1回:勝たない勇気が、収支を守る】


 派手なタイトルじゃない。

 煽りもない。


 それが、

 俺たちの選択だった。



 最初の十分は、

 本当に何も起きなかった。


 アクセス数、

 二桁。


 いいね、

 ゼロ。


「……平和だな」


 俺が言うと、

 ひよりが小さく笑った。


「想定内」



 だが。


 十五分を過ぎた頃、

 画面の数字が、

 ゆっくり動き始める。


「……増えてる」


「見てる人が、

 ちゃんと読むタイプだね」



 三十分後。


 コメント欄に、

 一つ目の書き込み。


《この視点は、初めてです》


 短い。

 でも――

 重い。



 そこから、

 流れが変わった。



 コメントが、増える。


《賭けない判断に救われた》

《耳が痛いけど、正論》

《当て方じゃなく、

 撤退の基準を書いてくれるのがありがたい》



「……来てるね」


 ひよりが、

 画面を覗き込む。


「はい」


 喉が、

 少し乾いた。



 昼。


 大学の講義中も、

 スマホが気になる。


(見るな)


 そう思うほど、

 見てしまう。



 講義が終わって、

 スマホを開く。


 通知、

 大量。


(……え?)



 フォロワー数が、

 目に見えて増えている。


 記事のシェア。

 引用。

 感想。



《予想屋に疲れた人向け》

《地味だけど、続くやつ》

《これは、長く読む連載》



「……怖いな」


 正直な感想だった。



 夕方。


 ひよりと合流する。


「どう?」


「……静かじゃなくなりました」


「うん」


 ひよりは、

 落ち着いたままだ。


「“刺さる人”に

 刺さった反応」



 夜。


 二人で、

 コメントを整理する。


 感情的な批判は、

 ほとんどない。


 あるのは――

 自省。



《自分の賭け方を

 見直したくなった》


 その一文を見て、

 胸の奥が熱くなった。


(これだ)



「桐生くん」


 ひよりが言う。


「これ、

 “正解”引いたね」


「……はい」



 でも。


 手放しでは、

 喜べなかった。



(影響力が、

 出始めている)


 それは――

 責任でもある。



 深夜。


 連載管理画面に、

 運営からのメッセージ。


《反響が大きいため、

 トップ枠での掲載を検討しています》



 スマホを、

 そっと置く。



「ひより」


「なに?」


「……来ました」


 言葉を選ぶ。


「思ったより、

 前に」



 ひよりは、

 少しだけ考えてから言った。


「じゃあ」


「?」


「もっと、

 慎重になろ」



 それが、

 この人の強さだ。



 数字は、

 跳ねている。


 影響力も、

 広がっている。


 でも――

 やることは、

 変えない。



 煽らない。

 約束しない。

 責任を、

 持てることだけ書く。



 桐生こういちは、

 知っている。


 勝ち続けるより、

 信頼され続ける方が難しい。


 だからこそ。


 この連載は、

 俺たちの

 “覚悟”そのものだった。



 連載初日は、

 静かに終わった。


 でも――

 世界は、

 確実に一段、

 近づいてきていた。

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競馬だけ覚えてる俺のやり直し人生 杜司 @shinj0527

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