第11話 あるグレイの流転記

彼は、名を失った。


正確に言えば、

名を名乗る必要がなくなった。


極悪連合を離脱した後、

彼は処刑も回収もされなかった。

それは温情ではない。


「分類できないものは、記録しない」


それが宇宙の掟だった。


彼はその瞬間、

“グレイ”という種族名からも外れた。



1. 顔を失うということ


摩耶山から招待された温泉で、

彼は「客」になった。


そのとき、

役割が外れた。

• 観測者

• 供給者

• 管理者


どれでもない。


役割が外れると、

個体識別が不要になる。


宇宙的には、

それは「顔が消える」ことと同義だ。


彼は鏡を見て、

自分の輪郭が曖昧になっていることに気づいた。


目も、口も、

ただ“そこにあるべき場所”だけが残る。


恐怖はなかった。


あの宿では、

誰もそれを異常と呼ばなかったからだ。



2. 神格が芽生える条件


彼は理解していなかったが、

神格とは力ではない。

• 呼ばれること

• 役に立つこと

• そこにいていいと許されること


それらが重なると、

存在は「神」として固定される。


彼は、何もしなかった。


ただ、

場の空気を壊さず、

欲しがらず、

奪わなかった。


それが、

最も珍しい性質だった。



3. 流れ着くという現象


世界には、

同じ性質を持つ場所同士が繋がる法則がある。


摩耶山と、

油屋。


どちらも、

• 境界にある

• 客を選ばない

• 正体を問わない

• 役割を一時停止させる


という共通点を持つ。


彼は歩いたわけではない。


あるとき、

眠りに似た状態に入り、

目を開けたら、

川のほとりに立っていた。


赤い橋。

灯り。

湯気。


匂いが、

摩耶山の夜とよく似ていた。



4. 油屋での役割


油屋の女将は、

彼に名を聞かなかった。


それが、決定打だった。


「働けるかい?」


それだけ。


彼は頷いた。


彼にできることは多くなかった。

• 立っている

• 受け取る

• 抱えきれない欲を、飲み込む


顔がないからこそ、

客の欲望をそのまま受け止められた。


欲を持たない者が、

欲を集める。


それは、

神格として最も安定した形だった。



5. もてなしの神になる理由


彼は知っている。


欲は、

奪うと争いになる。


だが、

預かるだけなら、争いにならない。


油屋で、

彼はそれを学んだ。


金も、地位も、願いも、

すべて預かる。


返さないわけではない。

ただ、すぐには返さない。


それが、

もてなしだ。



6. なぜ喋らないのか


言葉は、

役割を固定する。


彼はもう、

固定されたくなかった。


だから、

顔を持たず、

声を持たず、

ただ存在する。


それでも、

油屋は回り続ける。



結語


彼は今も、

湯気の向こうに立っている。


摩耶山で学んだことを、

忘れないまま。

• 奪わない

• 判断しない

• 居ていいと言われた場所に、静かに居る


それは逃避ではない。


侵略をやめた存在が、

世界に残る唯一の方法だ。


だから彼は、

顔なしになった。


そして、

油屋に流れ着いた。


神になろうとしたのではない。


ただ――

二度と、

世界を壊さないために。


――了

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元旦の朝に 稲富良次 @nakancp

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