第5話
ぱちぱちと、火のはぜる音がする。
(またこの状況か……。これで二度目だな)
そう思いながら、体を起こす。
「いてて……」
体の節々が、遅れて悲鳴を上げた。
その様子を近くに浮かぶシンシがじっと見つめてくる。
「起きたかい。うちの娘が、無理をさせたようで、すまないね」
聞いているだけで安心するような声が、耳に届く。
そちらを見やると、真っ白な白髪頭の老婆が、囲炉裏の前で鍋を煮込んでいた。
顔立ちは穏やかで、どこか、あの娘に似ている。
「娘というと……カグヤの?」
「ああ。わたしの孫娘だよ。お転婆でねぇ」
そう言って、くくっと笑う。
「ということは、あなたがカグヤの言っていた……“ばあば”さん?」
「ただの“ばあば”で結構だよ。
一応、この里の長をやっている。
それはそうと、体の具合はどうだい?」
「あ、ああ……」
そう言って、体の具合を確かめる。
足を含め、いたるところに包帯が巻かれているのに気づいた。
それに、身に着けた衣服も変わっている。
「体中、擦り傷だらけだったよ。
それに、足裏の皮もめくれていたからね。
薬を塗って、処置しておいたよ」
逃げ回り、
自覚していた以上に、体は傷んでいたらしい。
「……すみません。
介抱していただいた上に、怪我の手当まで。
本当に、感謝します」
「いいんだよ。
こういうのは、助け合いだからね」
里長はそう言って、鍋の中身を器によそう。
「さあ、出来上がったよ。
続きは、食事の後にしよう」
鍋から立ち上るおいしそうな香りに、そこでようやく気づいた。
途端に、腹の虫が――
今まで忘れていただろうと言わんばかりに、盛大に鳴く。
「くくっ。
随分、お腹がすいているようだね。
たんとお食べ」
里長はそう言って器を手渡すと、立ち上がった。
「わたしは、カグヤたちを呼んでくるよ」
そう言い残し、建屋の外へと向かっていった。
器に目を落とす。
中には、芋のようなものや雑穀、葉物が入った、
とろりとした汁物が盛られていた。
腹の虫に背中を押され、
添えられた匙で、そっと口へ運ぶ。
「……うまい」
空腹が働いていることもあるだろうが、
うま味が口いっぱいに広がり、
思わず唾液があふれる。
何度も、何度も匙を口に運んだ。
「おう。起きたのか」
その時、建屋の入り口から、
カグヤが姿を現す。
「ああ。世話になっている。
本当に、感謝する。ありがとう」
「そう何度も感謝するなよ。
照れくさくなるじゃないか」
そう言って、頭をかく。
「ねえちゃ」
カグヤの後ろに隠れるようにして、
服の裾を引っ張る小さな影があった。
「そうだった。紹介するよ。
妹のサクヤだ」
「……ん」
そう言って、ちょこんと頭を下げると、
すぐに姉の背中へと引っ込んでしまう。
「なんだ、サクヤ。
人見知りか?」
カグヤがからかうように言うと、
背後から、ぺしっと小さな拳が飛んできた。
「はは。仲がいいんだな」
思わず、頬が緩む。
「すまない。
お邪魔させてもらっている。
よろしく、サクヤ。
……私は、名前が分からないんだ」
カグヤと同じ茶色の髪と瞳が、
不思議そうに、こてんと傾く。
「立ち話は、そのくらいにしておきなさいな」
いつの間にか、里長が二人の背後に立っていた。
「食事にしよう。
冷めてしまうよ」
「確かに。
あー、腹減った」
カグヤがそう言って囲炉裏の席に着き、
その隣に、サクヤがちょこんと腰を下ろす。
向かいには、ばあば。
三人の頭には獣の耳、腰には尻尾が同じように生えている。
(本当にビーストという種族がいるんだな……)
皆で囲炉裏を囲み、食事が始まった。
「うめぇ! ばあば、ほし茸いれたの!?」
一口食べたカグヤが叫ぶ。
サクヤも隣で目を輝かせている。
「ああ、滋味豊かで、傷の治りにいいからね。」
「何か特別な食材ですか? 私のためにすみません。」
「いいんだよ。いつまでも置いといてもしょうがないからね。」
「これだけでも、助けた甲斐があったってもんだな!」
カグヤのその言葉に、思わず苦笑してしまう。
その後は、食事をしながら、
カグヤが私との出会いから、ここに至るまでを
簡単に説明していった。
サクヤは、その間ずっと、
私の手元と顔を、何かを確かめるように交互に見ている。
(客が珍しいのだろうか?)
里長は、すでに一度聞いていたのだろう。
特に口を挟むこともなく、
囲炉裏の向こうで静かに話を聞いている。
その様子を、シンシが黙ったまま観察し続けている。
――その姿を見て、
ふと、洞窟で遭遇した“あの化け物”のことが脳裏をよぎる。
今思い出しても、背筋に怖気が走る。
私が匙を手にしたまま動きを止めていると、
里長が、穏やかな声で問いかけてきた。
「どうかしたのかい?」
「……里長殿。
カグヤと出会う前、洞窟の中で、
人の形をした化け物に襲われたんです」
囲炉裏の火が、ぱちりと弾ける。
「幸い、このシンシの援護で洞窟を抜けられました。
外に出てからは追ってこなかったので、
なんとか助かりましたが……」
言葉を選びながら、続ける。
「……あのような化け物は、
この辺りでは、珍しくないものなのでしょうか?」
しばし沈黙が落ちる。
「人の形をした化け物、かい」
里長は、少しだけ目を細めた。
「この辺りにもいたとはね。それは――
“オゴル”かもしれないね」
「オゴル、ですか……」
「暗闇に潜む怪物さ。
奴らは、ひどく強靭だよ。
だが、日の光を嫌う。
日が出ているうちに外へ出られたのは、
本当に幸運だった」
里長は、こちらをじっと見る。
「奴らに、直接攻撃されたりはしていないかい?」
「い、いえ。
攻撃される前に、逃げることができました」
「そうかい。
それは……良かった。
傷を見た時に異変がなかったから、
心配はしていなかったけれどね」
一拍置いて、里長は続ける。
「オゴルに負わされた傷を放っておくとね、
だんだんと赤黒く変色していって――
終いには、奴らの仲間入りをしてしまうのさ」
ぞっとする光景が、脳裏に浮かぶ。
あの異形に、成り果てるなど――考えたくもない。
「ばあば。
場所は、カラ森の方だったよ」
それまで黙っていたカグヤが、口を挟む。
「鳥一匹、見つかりゃしないあの森さ」
「……そうかい」
里長は、深く頷いた。
「カラ森の方に、
そんな場所があったとはねぇ。
奴らを恐れて、
動物たちも近寄らないのかもしれないね」
しばし考え込んだ後、静かに言う。
「里の衆にも、
あちらへ向かわないよう伝えておこう」
その言葉を最後に、
囲炉裏のまわりに、重苦しい沈黙が落ちた。
「……そ、そういやさ。
そろそろ、この人の名前、決めないとな」
空気を換えるように、
カグヤがわざとらしく声を上げる。
「そうだったねぇ。
確かに、それも大事なことさね」
里長が、顎に手を当てて考え込む。
「い、いや。
自分の名前なのだし、
ここは自分で――」
「しろ!」
唐突に、甲高い声が割り込んだ。
「……あたま、まっしろしろでしょ!」
それまで黙っていたサクヤが、
ずいっと身を乗り出して叫ぶ。
「記憶がないってことか。
それ、ありかもな」
カグヤが、にやにやと笑う。
「や、やめてくれ。
それは飼い犬につけるような名前だろう?」
「犬、ほしい!」
サクヤの目が、きらきらと輝く。
(……あ、犬は普通にいるのか。
いや、そうじゃなくて。
私を犬代わりにする気か、この子……?)
幼い悪意――いや、無邪気さに圧され、
思わず言葉を失う。
その様子を眺めていた里長が、
一転して、背筋を伸ばした。
そして、厳かな声で告げた。
「名は――イスルギ。
古に、我らを導きたまいしお方の
「ばあば、それって――!」
思わず声を上げたカグヤを、
里長はやんわりと制する。
「いいんだよ。
あやつも、名を使ってもらえて喜ぶだろうさ」
「……ばあばがいいなら、いいけど」
神妙な顔で、カグヤは口を閉ざした。
「本当に……いいんですか?
それは、とても大事な名なのでしょう?」
私の問いに、
里長は少しだけ目を伏せ、
それから穏やかに微笑んだ。
「戦争に行って、帰ってこなかった
この子らの兄の名さ」
サクヤの尻尾が、わずかに下がる。
「迷い、選び、切り開くための名だよ。
……よかったら、受け取っておくれ」
その笑顔は、どこまでも澄んでいて、
悲しみも後悔も、すべてを飲み込んだ透明さがあった。
「……イスルギ」
胸の奥で、何度もその音を転がす。
「名は、イスルギ」
(勇ましくて、どこかあたたかい名だ。
……亡くなった兄の名。
その名に、私はふさわしいのだろうか。
――いや。
ふさわしくなればいいのか。
……だが、私にそんなことができるのだろうか)
思考に沈み込み、言葉を失った、その時。
「……にいちゃ?」
期待するような視線が、こちらを向く。
「いや、この人はイスルギの兄貴じゃ!
……い、いや、違うな。
あー、ややこしい!」
カグヤが頭を抱える。
なぜだろう。
その期待のこもった目から、
逃げてはいけない気がした。
「……サクヤがよければ、
兄と呼んでくれても、構わないよ」
「にいちゃ!」
勢いよく飛び込んでくるサクヤを、
反射的に受け止める。
先ほどまでの人見知りが、
嘘のようだった。
「……まぁ、いいか」
そう言って、カグヤは目を擦る。
「改めて、よろしくな!
イスルギ!」
何かを振り切ったような笑顔。
「ああ」
短く、しかし確かに答える。
サクヤを抱きとめたまま、
私は里長に深く頭を下げた。
「確かに――
イスルギの名を、頂戴しました」
里長は、優しい笑みを浮かべて頷く。
その様子を、
興味深そうにシンシが眺めていた。
かつてのわれらは アルストル @Arustol
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