閑話:母マリアの祈り

 コロン村。

 デルが旅立った後の家は、少しだけ広く、そして静かに感じられた。

 マリアは、いつものように畑仕事を終え、夕食の支度をしていた。

 今日のメニューは、ゴボウのきんぴらと、根菜たっぷりの味噌汁。デルの大好物だ。

 ふと、食卓の向かい側を見る。そこには誰もいない。

「……作りすぎちゃったわね」

 彼女は苦笑して、一人分の食事をよそった。

 箸を動かす音だけが、部屋に響く。

 夫のゲイルが戦死してから十年。女手一つでデルを育ててきた。

 ゲイルもまた、デルと同じように「溜め込む」タイプだった。戦場では、その圧倒的な魔力放出で多くの仲間を救ったが、最後は自らの魔力暴走オーバー・フローによって、敵軍ごと散ったと聞いている。


「あの子、父親に似て不器用だから……」


 食事の後、彼女は裏庭へと出た。

 そこには、あの伝説の爆発で吹き飛んだトイレの跡地――今は綺麗な花壇になっている――があった。

 クレーターの底には、デルが残した黄金の残滓が、微かにまだ光を放っている。土壌が活性化し、植えた野菜たちが異常な速度で育っていた。

 村人たちは、この場所を「黄金のへそ」と呼び、新たなパワースポットとして拝みに来るようになった。村長に至っては、「排泄神社」を建立しようなどと息巻いている。


「あの子ったら……。こんな置き土産をしていくなんて」

 マリアは大きく育った大根(通常の3倍サイズ)を撫でた。その大根は、まるでデルの腕のように太く、逞しかった。


 夜空を見上げる。

 王都の方角は、遠くの山々に遮られて見えない。

 あの子は今頃、どんな空を見上げているのだろうか。

 都会の食事は口に合うだろうか。野菜不足になっていないだろうか。

 そして何より、ちゃんと「出せて」いるだろうか。


「デル。あなたは優しい子。いつも周りのことばかり気にして、自分のことを後回しにしてしまう」

 マリアは知っていた。デルが便秘になりがちなのは、単なる体質だけではない。

 彼は無意識のうちに、周囲の期待や重圧、そして「誰かの役に立ちたい」という願いを、腹の底に溜め込んでしまうのだ。

 それが魔力と結びつき、強大なエネルギーとなる。

 それは才能だが、同時に諸刃の剣でもある。


「無理して気張っちゃダメよ。でも、溜め込んでもダメ。……あなたらしく、堂々と出しなさい」


 彼女は胸の前で手を組んだ。

 その手は、土に汚れ、節くれ立っていたが、世界で一番温かい「母の手」だった。

「どうか、あの子の道が、スッキリと通じますように。どんな困難が詰まっていても、それを押し流すだけの力が、あの子にはありますように」


 その祈りは、風に乗って夜空へと消えていった。

 星々が瞬く。それはまるで、遠く離れた息子からの返事のようにも見えた。


 ただ、彼女は知らなかった。

 その祈りが届く頃には、息子が王都の測定器を爆破し、巨額金貨1000枚の修理費の請求書が、早馬で実家に向かっていることになろうとは。

 そして、その請求書を見た彼女が、腰を抜かしつつも「さすが私の息子、やる時はやるわね」と妙な納得をしてしまう未来も、まだ知る由もなかった。

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