第3話:旅立ちとダブルロール

 旅立ちの朝。

 コロン村の空は、抜けるような青空だった。

 デルの家の前には、村中の人々が集まっていた。

 まるで村の英雄を見送るかのような騒ぎだ。


「デル、これを持っていけ!」

 鍛冶屋のガンテツが、重そうなベルトを差し出した。

「『アダマンタイト・バックル』だ。どんなに腹圧がかかっても、決して弾け飛ばねぇ。お前の強烈な『圧』にも耐えられるはずだ」

「あ、ありがとう、ガンテツさん……」

 受け取るとずっしりと重い。これなら確かに、暴発してもズボンが脱げることはなさそうだ。


「ヒヒヒ、これも持っていくといい」

 ババ・ヨーガが怪しげな紫色の液体が入った小瓶を渡してきた。

「『鉄の胃袋ポーション』じゃ。都会の飯が合わなくて腹を下した時に飲むといい。ただし、副作用で三日ほど便秘になるがな」

「えっ、それって逆に危険じゃ……」

「毒を以て毒を制す、じゃよ」


 村人たちが次々と餞別を渡してくる。

 巨大なカボチャ、干し肉、そしてなぜか予備のパンツ(大量)。

 デルのリュックはパンパンに膨れ上がっていた。


 その人垣をかき分けて、リナが進み出た。

 彼女の目は少し赤かったが、表情は晴れやかだった。

「デル」

 彼女は小さな包みを差し出した。

「これ、お守り。私が縫ったの」

 包みを開けると、そこには金色の糸で渦巻き模様が刺繍された、手作りのお守りが入っていた。

「渦巻き……?」

「うん。エネルギーが循環するようにって願いを込めて。……あと、トイレの渦にも似てるでしょ?」

 リナは悪戯っぽく笑った。

「ありがとう、リナ。大切にするよ」

 デルはお守りを胸のポケットにしまった。心臓の鼓動が少し早くなるのを感じた。


 そして、最後に母、マリアが前に進み出た。

 彼女の手には、白い布に包まれた細長い物体が握られている。

 村人たちが固唾を飲んで見守る中、マリアはその包みを解いた。


「母さん、これは?」

「我が家に代々伝わる秘宝……『ダブル・マナ・ロールDoppel-Mana-Rolle』よ」


 朝日を浴びて、その物体は神々しい光を放った。

 純白に輝く聖なるスクロールトイレットペーパー

 しかも、ダブルだ。二枚重ねだ。

 辺境の村では、シングルですら貴重品であり、多くの村人は葉っぱや古新聞、あるいは「マナ・リーフ」と呼ばれる植物で代用している。

 ダブルなど、王族や貴族しか使えない伝説の代物である。

 その白さは、雪のように純粋で、柔らかさは雲のようだった。


「こ、こんな高価なもの、俺には……! 家の家計が破綻しちまうよ! 親父の形見のくわより高いんじゃないか!?」

 デルの手が震える。

 このロール一つで、村の食料一ヶ月分に相当する価値があるはずだ。


「いいえ、持っていって。都会の聖域は戦場よ。スクロール切れマナ・アウトは魔力の暴走を意味するわ。お尻を守ることは、命を守ることなの」

 マリアはデルの手を強く握りしめた。

「あなたは特別な子。でも、お尻は普通の子と同じようにデリケートなの。決して無理をしてはいけないわ。……そして、拭くときは優しくね」


「母さん……!」

 デルの目から涙が溢れた。

「ありがとう、母さん。俺、立派なジェネレーターになって、いつか魔力浄化機マナ・ピュリファイア付きの豪邸を建ててやるからな! ウォシュレットの水圧最強のやつを! そして、母さんを楽にさせてやる!」


「行ってらっしゃい、デル! 拭き残しのない人生を!」

「ああ! 行ってくる!」


 デルは涙を拭い、ハンス爺さんの待つ馬車へと乗り込んだ。

 馬車が動き出す。

 窓から顔を出すと、母とリナ、そして村人たちがいつまでも手を振っていた。

 その姿が小さくなり、やがて見えなくなるまで、デルは何度も振り返った。


 馬車の中では、ハンス爺さんが優雅に紅茶を飲んでいた。

 「良い別れだったな、少年。だが、感傷に浸っている暇はないぞ。王都までは三日の旅路だ。その間、お主には『排泄学概論』を叩き込んでやる」

 「えっ、勉強ですか?」

 「当然じゃ! お主は才能はあるが、知識がゼロじゃ。今のままでは、王都のハイテク・トイレの使い方もわからず、洗浄ノズルで直腸を洗浄エネマされて終わりじゃぞ」

 「ひぃっ!」


 こうして、デルの地獄の移動教室が始まった。

 馬車は街道を進む。ハンスは黒板(どこから出したのか)を取り出し、講義を始めた。


「いいか、デル。この世界における魔力マナとは、生命活動の副産物じゃ。食べたものが体内で消化され、魔力へと変換される。そして、不要となった物質と共に体外へ排出される。これが『ベイン』じゃ」

 ハンスはチョークで図を描く。

「ベインには大きく分けて四つの形態タイプがある」


「一つ、『フェスト』。お主が出したような固形タイプじゃ。魔力密度が高く、物理的な破壊力に優れる。主に重魔導砲の弾丸や、建築資材として使われる」

「二つ、『ソフト』。粘土のような半固形タイプ。加工しやすく、汎用性が高い。一般的に最も多く流通している」

「三つ、『リキッド』。液状タイプ。流動性が高く、魔導エンジンの燃料や、ポーションの原料になる」

「四つ、『ガス』。気体タイプ。揮発性が高く、推進剤や爆発物として利用される。お主の放屁もこれに当たるな」


 デルは必死にメモを取る。

「俺のは……『剛』と『気』のハイブリッドってことですか?」

「うむ。しかも、どちらも規格外の出力じゃ。通常、ジェネレーターはどれか一つのタイプに特化するものだが、お主はマルチな才能を秘めているかもしれん」


 ハンスはさらに続けた。

「ジェネレーターにはランクがある。下から『見習いノービス』、『徒弟アプレンティス』、『熟練アデプト』、『達人マスター』、『大師グランドマスター』。そして頂点に立つのが『聖人セイント』じゃ」

「俺は……?」

「今は『ランク外アンランク』じゃ。だが、潜在能力ポテンシャルだけなら『聖人』クラスじゃよ」


 道中、巨大なフンコロガシ型の魔獣「スカラベ・ビースト」の群れに遭遇したり、山賊に襲われそうになったりしたが、ハンス爺さんの「鑑定眼イーグル・アイ」による弱点看破と、デルの「威嚇放屁ウォーニング・ガス」によって事なきを得た。

 特に、デルの放屁は凄まじかった。

 ただのガスではない。高濃度の魔力を含んだそれは、山賊たちを一瞬で気絶させ、周囲の草木を急成長させたのだ。

「素晴らしい……! ガスだけでこの威力! まさに歩く生物兵器じゃ!」

 ハンスは大喜びだったが、デルは複雑な心境だった。


 そして三日目の夕方。

 丘の上に立ったデルの目に、信じられない光景が飛び込んできた。


 地平線の彼方まで広がる巨大な都市。

 無数のパイプが血管のように張り巡らされ、蒸気と魔力の光が脈打っている。

 街全体が、巨大な消化器官のように複雑に絡み合い、呼吸しているかのようだ。

 中央には、天を突くような巨大な塔――王立排泄庁ロイヤル・クロアカがそびえ立っていた。その頂上からは、七色の煙が立ち上っている。


「あれが……王都ガストロポリス……!」

「ようこそ、消化と排泄の都へ。ここがお主の新しい戦場じゃ」


 風に乗って、独特の匂いが漂ってきた。

 それは決して不快なものではなく、様々なスパイスと魔力が混ざり合った、エネルギッシュな都市の体臭だった。


 デルはゴクリと唾を飲み込んだ。

 その巨大さと、圧倒的なエネルギーの奔流に、足がすくみそうになる。

 だが、胸ポケットに入れたリナのお守りと、リュックの中の「ダブル・マナ・ロール」の感触が、彼に勇気を与えてくれた。

(母さん、リナ、俺、来たよ。ここから始めるんだ)


 デル・ダスン、15歳。

 彼の波乱万丈な学園生活が、今、幕を開けようとしていた。

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