第10話 夜の向こうにあるもの
酒場の灯りが消え、夜は静かさを取り戻していた。
「エリック、家まで送りましょうか」
ミレイアはルーメンを抱えながら、そう言った。
ブノワと別れ、二人は並んで夜道を歩いた。
月明かりが、石畳に淡い影を落としている。
「エリック……」
ミレイアは立ち止まり、
緑の魔石をそっと取り出した。
「これを、あなたに渡すわ」
エリックは、少しだけ躊躇ってから魔石を受け取った。
「……かたじけない」
掌に残る、冷たい重み。
「でもね」
ミレイアは、穏やかな声で続けた。
「あなた、本当は――
ノルマニアが滅びるかどうか、
もう、どうでもよくなり始めているんじゃない?」
「そんなことは……!」
思わず、声が強くなる。
「もし、どうでもよくなってきたなら」
ミレイアは、責めることも、諭すこともせずに言った。
「やめてもいいのよ」
エリックは、答えられなかった。
「私は、どちらでもいいわ。
最初に言ったでしょう?
国の一つや二つが滅んでも、私には関係ない」
そして、はっきりと告げる。
「ノルマニアを滅ぼしたいなら、
明日、カルネス火山へ向かいなさい」
ミレイアは、真っ直ぐにエリックを見た。
「もし……もうどうでもよくなったなら。
孤児院に来て。
そこで、魔石を返して」
足元で、ルーメンが静かに座っていた。
心なしか、その瞳もまた、答えを待っているようだった。
「……承知した」
エリックは、それだけ言って家の扉に手をかけた。
背後から、ミレイアの声が届く。
「エリック。
この世にはね、陰があれば、必ず陽があるの」
夜風が、二人の間を抜けていく。
「それは、何千年も前から変わらない真理よ」
エリックの脳裏に、いくつもの光景が浮かんだ。
――剣を奪われた日。
――妻に背を向けられた夜。
――国の歪みを、憎んだ記憶。
そして。
――畑で汗を流す人々。
――子どもたちの笑顔。
――「ありがとう」という、あの言葉。
「……心得ました」
「うん。おやすみなさい」
「おやすみなさい、ミレイア殿」
扉が、静かに閉じられた。
「ふふ……」
ミレイアは、夜空を見上げる。
「真面目で、頑固で……でも、人一倍、人の情に弱い」
ルーメンが、小さく鳴いた。
「私の夫と、よく似ているわ」
翌朝。
エリックは、孤児院の門の前に立っていた。
「ミレイア殿」
彼は、緑の魔石を差し出した。
「……これを、お返しします」
その表情は、迷いの霧が晴れたあとのように、どこか清々しかった。
「ふふ……」
ミレイアは、微笑む。
「そうすると思っていたわ」
「当たり前のことなのに……今まで、気づかずに生きてきました」
エリックは、照れたように笑った。
「陰ばかり見ていて、陽を、見ようとしなかった」
「これからは?」
「……ここで働かせてもらおうとブノワさんに頼もうかと思います。
子どもたちと、一緒に生きていこうかと思います」
「ブノワさんも、きっと喜ぶわ」
エリックは、少し間を置いてから言った。
「一つ、お願いがあります」
「なに?」
「これからも……
“普通の人間”として、ここに来てはもらえませんか」
ミレイアは、目を細めた。
「もちろんよ」
その笑顔を背に、エリックは孤児院の中へ入っていった。
「私の使命はね」
ミレイアは、静かに呟く。
「破壊することじゃない。
破壊しようとする者の――迷いを、照らすこと」
それが、アグニルの遺した答え。
ミレイアは、ルーメンを床に下ろした。
猫は、何も言わず、軽やかな足取りで孤児院の中へ消えていく。
朝の光が、
その背を、やさしく包んでいた。
運命を超える冒険譚 ― 剣を置いた英雄 ― 光野るい @kazu5430
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