第3話 反抗奴隷のいる廃屋へ

第3話 反抗奴隷のいる廃屋へ


 日が沈みきる前の時間帯。

 街の空気が、灰色の影に沁み込むように沈んでいく頃だった。


 城下の喧騒から少し離れた砂利道を、二つの影が歩いていく。

 前を行く黒いコートの男と、その後ろでローブの裾を握りながら小走りでついていく獣人の少女。


「ロック……」


 呼びかけながら、ハクタンは一度だけ振り返った。

 遠くに見える街の灯りは、まだ完全には消えていない。

 けれど、その明かりの下で生きる人たちの息づかいは、ここまで届いてこない。


 胸の内側が、ひゅう、と細く冷える。


「ほんとに行くの……? あの、反抗奴隷のところ。」


「行く。」


 ロックは迷いなく答えた。


「噂どおりなら、強い奴がいる。」


 言葉は短く、抑揚もない。

 でも、ハクタンにはわかる。

 ロックが“いつもの冗談モード”じゃなくて、“観測すると決めた顔”をしていること。


 その背中には、普段より少しだけ硬い“慎重さ”が貼り付いていた。


「反抗奴隷……」


 ハクタンは足元の砂利をつま先で蹴りながら、呟く。


「刻印、きかない奴隷……って、言ってた。」


「ああ。」


 ロックは前だけを見たまま続ける。


「命令が通らねぇ、扱いづらい奴らしい。

 だから街外れに隔離されてる。」


 “扱いづらい”という言葉が妙に胸に引っかかった。

 ハクタンは視線を落とし、ローブの袖をぎゅっと握る。


「……強いの?」


「噂じゃ、“従わねぇのに殺されてない”。」


 短くそう言って、ロックは砂利道の先を顎で示した。


「この国でそれは珍しい。」


 “命令に逆らう奴隷”が、生きている。

 その事実だけで、この国では異常だった。


 ロックは続ける。


「使える戦力なら、そばに置く価値がある。

 タダなら尚更、だ。」


 そこに偽善は一つもない。

 助けたいから行くのでも、同情でもない。


 王を焼くため、自分の選択の責任を取るための、乾いた合理。


 それなのに――ハクタンは、ほんの少しだけ安心する。


(ロックは……昔からこう……

 “理由がある時しか動かない”……)


 だから、逆に怖くない。

 なにも考えずに突っ走る人のほうが、ずっと怖い。


「ねぇ、ロック。」


「なんだ。」


「もし、その人……一緒に行かないって言ったら、どうするの。」


 ハクタンの問いに、ロックは一拍だけ歩を緩めた。

 それから、当たり前のように答える。


「そん時は、それまでだ。」


「むりやり、連れてこないの?」


「選ばねぇと意味がねぇ。」


 淡々とした声。

 そこに正義も優しさも飾らない“悪党”の言葉なのに――ハクタンは、少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。


「……そっか。」


 それ以上は何も言わない。

 言葉にしないかわりに、ハクタンは一歩だけロックの横に並んだ。


 少しだけ歩幅を揃える。

 ロックは何も言わない。

 でも、追い払おうともしない。


 その沈黙が、妙に心地よかった。


 ***


 砂利道の先に、街外れの廃屋が見えてきた。


 壁はところどころひび割れ、窓は板で打ち付けられている。

 一見すると、ただ放置された建物のようだ。


 けれど近づくほどに、肌に触れる空気の重さが変わっていく。


 廃屋の前に、影がひとつ立っていた。

 目は開いているのに、誰も見ていない。

 風が吹いても瞬きすらしない、人形のような佇まい。


 ロックは足を止めず、一歩だけ近づいた。


 ほんの短い沈黙のあと、ぼそりと呟く。


「……見張りの意味がねぇな。」


「え……?」


 ハクタンがロックの横に寄り、男を覗き込む。


 その時――

 廃屋の中から、かすかな衣擦れの音が漏れた。


 見張りの奴隷の腕が、機械のようにぴくりと動いた。


 わずかに開きかけた扉へ向けて、止めるように腕が伸びる。


 だがロックやハクタンには一切反応しない。


 ロックはその一瞬の動きを見逃さなかった。


「……なるほど。」


 低く、乾いた声が落ちる。


「“女を出すな”って命令されてるだけだな、こいつ。」


 ハクタンは目を瞬かせた。


「それ、分かるの……?」


「動きがそれしかねぇ。

 俺たちが来ても微動だにしねぇのに、

 中の奴が外に出ようとした時だけ腕が動いた。」


 ロックは男の顔をもう一度見た。

 目は開いているのに、焦点はどこにも合っていない。


「見張りのくせに、観測も判断も持ってねぇ。

 “命令の単語”に触れた時だけ反応する……ただの杭だ。」


 皮肉でも怒りでもない。

 ただ、事実を言葉にしただけの冷たさ。


(……こわ……)


 ハクタンは、自分の心臓の音が少しだけ大きくなるのを感じた。

 男の色は凍った灰色――それしか見えない。


 ロックはその灰色を見て、さらに観測を重ねるように呟く。


「判断するって行為が欠けてるな。

 “女を出すな”の命令に反しねぇ限り、何しても止めねぇ。」


 そう言って、ロックは男の前に立ち、簡潔に命じた。


「鍵を出せ。」


 命令の言葉に“似ている”というだけで反応したのか、

 男の肩がぴくりと跳ねた。


 だが――

 “女を出すな”の命令と矛盾しないため、拒む理由はない。


 男の手がそのまま懐へ滑り込み、

 鍵束を取り出してロックへ差し出した。


 呼吸のリズムも変わらず、

 目の焦点が合うこともない。


(……ほんとに……命令だけで……)


 ハクタンは思わずロックの袖をつまむ。

 怖いというより、胸の奥が冷たくなった。


 ロックは鍵束を受け取りながら、淡々と呟く。


「命令依存の奴隷ってのは、こういうもんだ。

 “自分”って概念をどっかに落としてきてる。」


 男には、その言葉が届いていないことすら分かっていない。


 ロックは鍵を回し、錆びた扉を押し開けた。


「行くぞ。」


 その背中を追いながら、

 ハクタンはもう一度、灰色の男を振り返った。


 そこには“見張り”という役割すら残っていない、

 ただ立っているだけの影があった。


 ***


 中の空気は、外よりもさらに冷えていた。


 埃っぽい匂いは薄い。

 床も、最低限だが掃除されている。

 壊れた家具は片づけられ、必要なものだけが残されていた。


「……ちゃんと、片づいてる。」


 ハクタンが小さく呟く。


「誰も来ない場所のはずなのに。」


「“来ないようにしてる場所”だ。」


 ロックは周囲を一度見回し、声を潜める。


「壊すんじゃなく、必要だから維持してる。

 “何かを閉じ込めておくための場所”ってことだ。」


 その言葉に、ハクタンの背筋がぞくりとした。


(閉じ込めておく、って……)


 階段を上がるたび、木の板が軋む。

 息を吸う音すら大きく感じる静けさの中で、ハクタンはそっとロックの背に目をやった。


 歩幅は、いつもどおり。

 でもその肩は、ほんの少しだけ前に傾いている。


(ロックも……怖くないわけ、ない……よね。)


 ――そう思えたことが、少しだけ嬉しかった。


 冷たい廊下の突き当たり。

 一枚の扉の前で、ロックの足が止まる。


 軽くノックをするでもなく、ロックは静かに取っ手に手をかけた。


 軋む音とともに開いた先――


 薄暗い寝台の上に、一人の女が座っていた。


 背筋を伸ばし、片膝を立てて、こちらを見ている。


 赤い髪。

 炎ではなく、研がれた宝石のような硬質の光。


 灰銀の瞳は冷たく、だが濁ってはいない。


「……客?」


 低く抑えた声。

 嘲りでも甘さでもない。

 ただ状況を受け取っただけの、乾いた響き。


 その声に、ハクタンの耳がぴくりと動いた。


(……この人……)


 怖い。

 でも、さっき外にいた“凍った灰色の男”とは違う。


 目が、ちゃんとここを見ている。


 ロックは一歩進み、寝台までの距離を正確に測りながら言った。


「お前が反抗奴隷か。」


「そう呼ばれてるだけよ。」


 女は肩をすくめる。


「買い手? それとも、ただの物好き?」


「どっちでもねぇ。」


 ロックの声もまた、乾いていた。


「強い奴がいるって聞いた。

 それを確かめに来ただけだ。」


 女――ルヴァートの瞳が、ほんのわずかに動く。


 感情ではなく、観測。

 自分を値踏みしようとする視線を、冷ややかに受け止める目。


「理由は?」


「戦力が欲しい。

 タダで手に入るなら最高だ。」


 飾り気ゼロの言葉。


 ハクタンは、思わず口を挟みそうになった。

 “言い方”という概念が、この男には存在しないのだろうか。


(もうちょっと……やわらかく言えばいいのに……)


 けれど、ルヴァートは笑わなかった。


 少しだけ息を吐いてから、目を細める。


「……へぇ。

 隠しようがない悪党ね。」


「悪でやってる。」


 ロックは、揺れもなく言い切る。


「それ以上でも以下でもねぇ。」


 そのやりとりに、ハクタンは思わず二人を見比べた。


(なんか……似てる……)


 近づきすぎない。

 離れすぎもしない。

 乾いた砂漠みたいな距離感。それが、不自然じゃない。


 そんな空気が、部屋に満ちていた。


 ハクタンがその奇妙な感覚に戸惑っていた、その時――


「出すなって言われてんだよ!」


 廊下のほうから怒鳴り声が響き、足音がこちらへ突っ込んでくる。


 さっきの見張りだ。

 命令の言葉を思い出したのか、顔に濁った焦りが浮かんでいる。


「ロック!」


 ハクタンの声が先に出た。

 驚くほど高い声だった。


 その瞬間、白い布がひらりと舞う。


 ルヴァートが動いていた。


 寝台から床へ滑るように足を運び、そのまま踏み込み。

 突っ込んでくる男の手首を取る。

 肘に体重をかけ、重心を崩す。


 無駄な音ひとつなく、男の体は床へ沈んでいった。


 短剣だけが、からんと虚しく転がる。


「……単純な動きしかできないのね。」


 ルヴァートは乱れた前髪を指先で払うと、淡々と言った。


 ロックは短く観測するようにその動きを見て、言葉を落とす。


「強いな。」


「あなたの期待に応えられる程度には。」


 媚びも誇張もない。

 ただ、自分の腕をそのまま肯定する声。


(……すご……)


 ハクタンはごくりと唾を飲み込んだ。


 怖い。

 でも、さっきの廃屋の空気みたいな“凍った怖さ”じゃない。


 ちゃんと、“自分で選んで動いてる人の怖さ”だ。


 ロックが一歩だけ近づき、一定の距離を保ったまま問う。


「名前。」


「ルヴァート。」


 それだけ。


「姓は?」


「必要ないわ。名乗る時に邪魔になるだけ。」


 自由の国の人間らしい、乾いた理屈。


 ロックは頷きもせず、次の言葉を投げる。


「お前に一つ聞く。」


「なに?」


「“自由”って何だ。」


 部屋の空気が、一瞬だけ静まる。


 距離が縮まるわけではない。

 でも、互いの“観測”だけがぶつかり合うような静けさ。


 ルヴァートは少しだけ目を細めた。


「そんなこと、あなたに話す必要ある?」


「あるかどうかは、お前が決めろ。」


 ロックの声には柔らかさが一切ない。

 あるのは、“聞くと決めた意志”だけだ。


 ハクタンは二人の間に漂う緊張に、思わず息を呑んだ。

 けれど、その緊張が不思議と嫌ではない。


(ロック……こうやって、いつも人の中身を見てる……)


 ルヴァートは短い沈黙のあと、低く答えた。


「――誰かに決められた道じゃなく、

 自分の足で選んで踏み出すこと。」


 削ぎ落とされた言葉。

 飾りも嘘もない、“本音そのもの”の声音。


 ロックは、ほんのわずかに目を細めた。


「いい。」


「褒められて嬉しいと思う?」


「褒めてない。“使える”って言ってる。」


 ルヴァートが肩をすくめる。


「ずいぶんはっきり言うのね。」


「悪でやってるからな。」


 ふたりの会話に、ハクタンの胸がきゅっと鳴った。


(やっぱり、この二人……似てる……)


 その理解が、ちくりと胸を刺す。


 ロックはルヴァートの胸元へ視線を落とした。


「刻印、あるな。」


 ルヴァートの呼吸が、一瞬だけ止まる。


「見えるの?」


「見えねぇが、気配で分かる。」


 ルヴァートはため息混じりに襟をずらし、刻印を見せた。


 黒紫に染まった痛々しい痕。

 命令の爪痕。


 ハクタンの喉がきゅっと締まる。


「……痛そう。」


 小さな声が漏れた。


 ルヴァートが、ちらりとハクタンを見る。

 そして、ほんのわずかに口角を上げた。


「見た目ほどじゃないわよ。

 慣れたら、ただの鎖よ。」


「鎖でも……」


 ハクタンは言葉を探しながら続ける。


「……なくせるなら、そのほうがいい。」


 ロックは掌を軽く開いた。

 そこに、淡い橙の火が灯る。


 炎というより、静かに揺れる“光”。

 けれど、空気はわずかに震えた。


 その瞬間――

 ルヴァートの瞳が細くなる。


 反射的な警戒。

 攻撃を覚悟した者の、筋肉の収縮。

 

「……何をする気?」


 乾いた声音には、恐怖よりも「判断保留」の気配があった。

 警戒しつつも逃げようとはしないのは、彼女が“観測する側の人間”だからだ。

 

「焼かねぇよ。」


 ロックは淡々と言い切る。

 言い訳でも説明でもなく、ただの事実の提示。


 掌の火を少し傾けて見せながら続けた。


「命令だけを残してる部分がある。

 それを……ほどく。」

 

 ルヴァートの眉がわずかに動いた。

 信じきったわけではない。

 ただ、観測している。判断材料を探している目。


 そこで、そっとハクタンが口を開いた。


「この火……人を傷つけるためじゃないの。

 わたし……知ってる。」

 

 控えめな声。

 けれど嘘が混ざっていない声音。


 ルヴァートは、ハクタンの方へ視線を一瞬向ける。

 その瞳に映ったのは、怯えではなく、誤魔化しのない素直さ。


 そしてまたロックの手元の火へと戻す。

 短い沈黙のあと、息を小さく吐く。


「……いいわ。

 どうせこの刻印、気に入ってなかった。」


「怖けりゃ目ぇ閉じてもいい。」


「閉じると、かえって怖いじゃない。」


 言い返す声は淡白だが、どこか余裕が戻っていた。


 ロックはそれ以上付け足さない。

 ゆっくりと指先を、刻印へ当てる。


 ふ、と光が広がった。


 黒紫の命令の痕が、霧が晴れるようにほどけていく。

 皮膚の下に張り付いていた“鎖”が、一本ずつ消えていく感覚。


 痛みはまるでない。

 ただ、自分では気づいていなかった重さが剥がれ落ちていく。


 ルヴァートは浅く息を吸い込み、

 それから、初めて“深く”息を吐いた。


「……悪くないわね、この火。」


 ルヴァートは胸元を整え、

 ロックを真正面から見た。

 

「あなた……本当に“悪党”なの?」


「悪でやってる。」


「その言い方、妙に納得いくのが腹立つわね。」


 言葉は乾いているのに、

 なぜか空気は刺々しくならない。

 

 ハクタンは、そのやり取りを黙って見ていた。


 笑うつもりはなかった。

 でも、喉の奥で小さな息が漏れた。


「……なに?」


 ルヴァートが横目でこちらを見る。


「ご、ごめん……なんか……思ったより普通に話してるから……」


「普通?」


「出会って……まだそんなに経ってないのに……」


 ハクタンの言葉は拙く、けれど誤魔化しのない本音だった。


 ルヴァートは一瞬だけ瞬きをしたあと、

 薄く笑みをこぼした。


「人見知りの獣人かと思ったけど……

 ちゃんと見てるのね。」


「え……?」


「悪くない目よ。」


 褒められたわけでもないのに、

 ハクタンの耳がふわっと揺れた。


 ***


「行くぞ。」


 ロックが静かに切り出した。


「……どこに?」


 ハクタンが尋ねる。


「この国の壊れ方を、もっと深く観測する。」


 乾いた声。

 なのに、その奥に燃えている火は先ほどより濃い。


「刻印で縛ってるなら、必ず“源”がある。

 そこを見れば、この国全体の歪みがわかる。」


 唐突ではない。

 観測者が導き出した自然な結論。


 ルヴァートは腕を組んだまま、顎を上げる。


「なるほどね。

 そういう進み方――嫌いじゃない。」


「得になるなら、ついてこい。」


「損よりはマシね。」


 軽口のようで、両者とも本気の温度。

 三人の距離が、ほんの僅かに縮んだ瞬間だった。


 ***


 ハクタンは二人の歩幅にそっと合わせる。


「あの……」


 声をかけてから、胸の前で手を握りしめる。


「さっき……助けてくれて、ありがとう。」


「声が先に出る子は嫌いじゃない、って言ったでしょ。」


 ルヴァートはわずかに口角を上げ、

 ハクタンの頭を軽く指でつついた。


「次の危ない時も、ちゃんと声を出しなさい。」


「……う、うん!」


 胸の奥で、ぽっと火が灯るような温度。


 三人は廃屋を出た。


 灰色の風が、夜の匂いを運んでくる。

 夕暮れの境界がゆっくりと闇へ沈み、

 街外れの風景は輪郭を失っていく。


 その闇の中へ――三つの影が歩き出した。


 始まりはただの噂だった。


 けれどここから、

 “鎖を燃やす物語”が、確かに動き出した。

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Enbersー悪として不誠実を燃やす男は、世界の炎上を本物にする @patamonsan

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