成虫

 それから今に至るまで、様々なものが欠けていった。精々残ったものといえば、記憶と煙草の習慣ぐらいであった。新たな生命を授かり、増えたようなこともあったが、目下手元にはおらず、生きていても会うことが許されない。失って欠けるのであれば、最初からない方が良かった。こんなことを言えてしまう俺は本当に欠陥品だ。家のことも任せきりだったから自分の世話もろくにできやしない。安息地はもはや荒廃した終息地と化している。

 閉塞した部屋の中では痛みと共に思い出が俺を蝕んでいく。とうとう耐えきれなくなった俺はニコチンに頼らざるをえなくなった。皺の目立つスーツのポケットから紺色のピースを取り出す。

 あのときのシガレットの箱に似ている気がする。

 最後の一本を箱から取り出して咥え、安物の火付け役に手をかける。残り僅かなオイルのライターでは上手く火を点けられず、何度もカチカチと音を鳴らすことになって無性にいらついてきた。

 何故俺がこんな目に遭わなくてはならないのだ。多大なる犠牲を払ったのに何も残らない。僕を騙して、偽って、欺いてきたのに失ってばかりではないか。憎たらしさが増幅してくる。俺を残して出ていった家族が悪い、俺を見放した元同僚たちはもっと最悪だ。俺のお陰様ではないのか。自分を殺戮して奉仕の限りを尽くしたというのに恩を知らないでのうのうと過ごしていることが許せない。剝き出しの言葉が湧いてきて、頭が噴火しそうになると、ライターはその本分を発揮し始めた。この好機を逃すまいとオジギソウの如く口元に垂れ下がった紙の筒に慌てて火を近づける。無事に点火したことを確認したら、煙草を指で挟んで支え、口をその手で覆う。

 ルーチン化された動きは無駄な感情を排斥してくれる。丁寧に煙をたっぷり口に含んで舌の上で転がしたら、吐き出す。

 頭がクリアになってきた。正体が明瞭になる。

 どうして失ってしまうのだろう。

 どうして噓をついてきてしまったのだろう。

 どうして正直に、素直になれなかったのだろう。

 もう失いたくなどない。だが俺はどうすればいいのかまたわからない。

 悲嘆に暮れて目が染みてくる。換気扇を点けることを忘れていたから魔法は狭い狭い俺だけの個室に忽ち満ちていく。視界がぼやけて霞みがかり、神隠しに遭う。

 世界との境界が曖昧になって、俺と世界が繋がった。

 思考は更に明晰となり僕は単純な解を導き出す。

 だから、俺が僕になる。


 力むことなく俺がボトンと排泄された。

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