2.麗しのアッシェ・カイザイク

 焼けつくように喉が痛かった。これは苦痛を与えるための毒かと、それほどまでに残酷に殺したいのかと、そんなことを思った。倒れた床の冷たさを感じながら、そうして『終わり』がやってきた。

 それまで内包していた<白紙>が破棄される。シュネの偽りは全部解かれて、誰もにシュネが何者であるのかが分かるようになる。

 その、瞬間。

 確かに慟哭にも似た叫びを聞いた気がした。「どうして」と、「死なないでくれ」と。あれが誰の声だったのかは分からないが、どこかで聞いたことのある声だったかと聞かれれば、答えは「いいえ」だ。


 ふと思い出したのは、幼い頃に大怪我をしているのを助けた子竜。飛竜か走竜かも分からない、あまりにも珍しい白銀色の竜。怪我を治して山岳に置いた時、あの竜は同じように慟哭していた。

 死に恐怖したことはない。ただこの命の使い道がやってきたのかと思っただけ。自分の命を一番高く見積もれる瞬間ではなかったことだけが心残りだ。

 この屍は、すべてサギリのために。剣を手にした心優しい正統なる後継者が玉座を手に入れるために、その最後の一歩で踏みしめる屍になりたかった。


「おかえり、シュネ」


 カイザイクの屋敷は南方にある。寒さが厳しい北方とは異なり、南方はまだ温暖な方だ。もっともアイオリアは切り立った崖に囲まれた島国であるので、大きく気候が違うというわけでもない。

 屋敷に戻ったシュネを出迎えたのは、不機嫌な顔で腕組みをして仁王立ちになっている美少女だった。炎の色をした大きな瞳、同じ色の長い睫毛。日焼けを知らない白い頬に、まるで揺らぐ炎かのような赤とオレンジと金の混じった長い髪。


「やらかしました兄さん。助けてください」

「はあ?」


 この美少女は、兄である。列記とした成人男性である――たとえ、そう見えずとも。常に<麗しの>という冠を被せられるとしても。

 アッシェ・カイザイクは美女と評され現竜皇すら求婚したという母に瓜二つの容姿を持って生まれた。父親から受け継いだのは髪と目の色だけであり、それがなければ父はアッシェの中に自分の面影を必死で探すことになったかもしれない。

 残念ながらシュネは父に似た部分があるので、アッシェほど美々しくはない。髪と目の色だけは母から見事に受け継いだので、真っ黒な闇色の髪に、カイザイクの領地にあるスプレンデンス湖の水面に落ちる木々の影のような青緑色の瞳だが。


「お前、ノーザリウムで何してきた」

「閣下に会っただけです」

「で、怒らせたのか」

「いいえ」


 怒らせた方がまだ良かった。そうすれば殺すのも簡単で、とは思ったものの、<抜刀>で抜いた魔力の刃を折られたのだ。怒らせても一筋縄ではいかなかっただろう。

 ただ、怒らせる方が想定通りだった。まさか自分を殺した相手に跪かれるなど、一体誰が想定できるだろう。


「……蠅に聞かれると面倒です。着替えてきますので、少ししたら私室へ来ていただいても」

「何故僕がわざわざ行かなければならないんだ。お前が僕の部屋に来い」

「嫌ですよ面倒な」


 シュネは、一度死んだ。今よりも未来で、一度死んだのだ。

 けれど気付けばまたここへ戻ってきていた。確かに毒杯に注がれた毒を煽り、死んだはずなのに。死の記憶はあるというのに、まだその事象は発生していない。

 今はシュネがアカツキと共にアレドキュイアの監獄を襲撃する前。つまりサギリ・アエオルスの名で正式に宣戦布告をするよりも前ということだ。


 戻った時間は、ちょうど一年。どういう因果関係で発生した回帰かは知らないが、この一年間で何ができるだろうか。

 もっと良い命の使い方はできるかもしれない。今度こそ、シュネ自身の命をもっと高く見積もれる。死を回避するつもりはないし、アカツキはきっとシュネを捨て駒にするだろう。カイザイク家にはアッシェもいて、所詮はスペアでしかないシュネはいくらでも替えが効く。

 竜騎士が珍しいといっても、唯一でもない。むしろ貴重だからこそ、有用な駒になれる。

 死は本当に怖くなかったのだ。ただ、悔しくはあった。もっと高く見積もれるはずの命が、安く終わった。本当ならもっとサギリの役に立てるはずだった命だ。


「ところでシュネ」

「何でしょう」

「<白紙>の効果は?」

「続いておりますが、それが何か」


 シュネが内包している術式は多数あるが、その中でも<白紙>だけは特別だ。

 アイオリアには、精霊がいる。初代竜皇であるアイグレテスが契約した<黄金の精霊>グリンヒャルティもまた精霊であり、その精霊は竜皇となったアイグレテスに自身を宿した剣を与えている。

 シュネの<白紙>も、また同じ。<白紙の精霊>ノイトラール。カイザイクの家を見守り続ける精霊が、己の力をシュネに分け与えて作り上げたこの術式は、シュネが死ぬまで消えることはない。


「いや、良い。それなら僕の勘違いだ」


 ふわふわとして現実味がないのは、回帰したことをまだシュネ自身が疑っているからか。

 けれど何度確認しても、ここは一年前。まだ本格的な内乱が始まるよりも前のこと。水面下ではすでに事は動き始めて、じきにアカツキがカイザイクの屋敷にやってくる。


「おい」

「何ですか。今考え事の真っ最中なんですが」

「こんなところでぐるぐる考えて答えが出ないもの、考えるだけ無駄だ。着替えるんじゃなかったのか」

「ああ……そうでした」


 アッシェの声に、現実に引き戻される。

 ここが現実。シュネの死は過去のことになった。誰も覚えていない過去が、シュネの中にだけ刻まれている。

 あるいはこの事象も、ノイトラールが何か知っているのだろうか。あの時確かに<白紙>の術式は破棄されてシュネから抜け、すべてを暴いたけれど。


「そう言うということは、私室に来ていただけるんですね、兄さん」


 先ほど却下された内容を、再び口にする。アッシェはその麗しい美少女の顔に嫌そうな表情を浮かべるが、それすらも美しいのだから困ったものだ。

 しっしと犬か猫でも追い払うような仕草で、アッシェが手を振る。


「ところで、前評判の通りに美麗な男だったか? ユッカ・ノーザリウム閣下は」

「さあ。世間一般で言えばそうかもしれませんが」


 何を言い出すかと思えば、ユッカの容貌が気にかかるのか。まさか自分より美しいとかどうとか、そんなことを気にしているわけではあるまいに。

 アッシェの声は、何かを探るようだった。けれどその意図が、シュネには掴めない。


「生憎と私は、兄さんの顔を見慣れておりますので。今更どんな顔が近くにあろうと、動揺もしませんね。美麗と言えばアカツキ様もそうですし……中身が大変に粗暴なので大いに損ねておりますが」


 アカツキ本人が聞けば青筋を浮かべそうな言葉が、すらすらと口から飛び出してくる。アッシェは何か考え込むような顔をしているが、シュネよりも賢いあの小さな頭の中で、今どんな思考が繰り広げられているのだろう。

 それきり黙ってしまったアッシェを置いて、階段をのぼる。ともかく今は着替えて、ノーザリウムでの出来事をアッシェに話さなければならない。ユッカへの対応を決めるのは、その後だ。

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白紙竜騎士の回帰譚 千崎 翔鶴 @tsuruumedo

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