白紙竜騎士の回帰譚

千崎 翔鶴

1.記憶と違いすぎる男

 自分の死の瞬間を覚えているというのは、奇妙な気分だ。「これを飲んで死ね」と毒杯を差し出した男の顔はどこまでも冷たく、その声もまた北の山岳の万年氷のように凍てついていた。地下の監獄にあっても一点の染みもない白い手袋に包まれた手が、金の杯をシュネに与えた。これから死ぬ罪人に随分と高価なものを与えるものだと思ったが、一応はカイザイク家の人間、そして数少ない竜騎士に死の尊厳でも与えたかったのだろうか。

 死ねと告げた冷たい声を、今でも覚えている。「シュネ・カイザイク」とシュネの名を紡いだその声もまた、決して暖かいものではなかったのに。

 それなのに――今。シュネの目の前でどうしてこの男は微笑んでいるのだろう。


「待っていたよ、シュネ・カイザイク。<白紙>の竜騎士」


 北の山岳が見える窓の外、燦々と陽が降り注いでいる。

 室内は無骨ながらも、質の良い内装だった。無駄にごてごてと飾り立てるのは、北方を守るノーザリウムの城としては相応しくないだろう。吹きすさぶ寒風、短い春。万年雪が融けることのない北の山岳を背にした城は、まるで山岳の一部であるかのようだった。

 先触れは出した。そもそも「一度訪ねたい」という不躾な手紙に、即座に返答があったこともおかしかったのだ。何かの罠かと思ったが、シュネは罠だろうが何だろうが飛び込むしかなかったのもまた事実。

 ここは<北方の守護竜>ノーザリウムの土地。シュネに言わせれば敵地だ。それなのにノーザリウムの当主であるユッカ・ノーザリウムは、『来訪を楽しみにしてる』という直筆の手紙まで送ってきた。


 そもそも、待っていた?


 歓迎されるような間柄ではない。過去も、現在も。そしてきっと、未来でも。この時点ではまだ、シュネの立ち位置をユッカは知らないはずだ。知っていたのならば、この対応はもっとおかしいが。


 ユッカ・ノーザリウムが、私を?


 自分を殺した男と向かい合って座っているというのも、妙な気分だ。ましてユッカの表情がシュネの記憶にあるものとまるで違っているのだから、尚更に。


「それはどういう意味でしょうか、閣下」


 兄には猛反対されたが、それは押し切った。せめて怒りを買わないように馬で行けと言われたが、シュネはあえてキーファーで――自分の相棒である飛竜で北へ向かった。兄は地上から「まったく縁のないノーザリウムに喧嘩を売る気か」と悲鳴を上げていたが、知ったことではない。

 ノーザリウムとカイザイクには、今まで一切の縁がない。北方を守護するノーザリウムと、<南方の庇護竜>エウノミアに従うカイザイク。そもそもの身分も、立場も違い過ぎて、シュネは最期の瞬間までユッカの顔を見たこともなかった。


 そう、最期まで。

 冷たい声は、シュネの記憶に焼き付いている。


 門前払いを食うかもしれないし、門を潜った瞬間に捕えられて牢屋に入れられるかもしれない。シュネの知る限り、ユッカ・ノーザリウムならそうするはずだった。

 それなのに、案内された先は暖かな部屋。茶と菓子まで出され、使用人は笑顔でシュネを迎えたし、排除しようとする様子もない。


「どういう意味だと思う?」


 記憶と同じ、新雪に注ぐ月光を集めたような白銀の髪、そこに落ちる枯れ木の影のような灰蒼の瞳。真っ白な手袋に覆われた手。何もかもが、記憶と相違ない。

 ただ――その目に宿る光だけが。

 アレドキュイア監獄の襲撃、それから脱獄。もちろんそれは身に覚えのあるものであって冤罪でも何でもなかったが、それらの罪をシュネに問い、男はシュネに毒杯を差し出した。

 公開処刑にすれば、恐怖ではなく反感を買う。だからお前はここで独りみじめに死ねと、そう無表情のまま言い放ったのは誰だったか。

 だというのに今シュネの目の前にいる男は、あろうことか北方にようやくやってきた春の日差しを見るかのように、微笑んでいた。


「浅学無知の身ですので、分かりかねます」

「へえ?」


 分かっていることなど、ほとんどない。この男はアイオリア皇国の現竜皇、皇位簒奪者エルゼオ・アエオルスの参謀。正統な皇位継承者であるサギリ・アエオルスの行く先を阻むもの。

 本来ならばアエオルスを名乗ることさえ許されなかったエルゼオは、『長子が必ず相続すべし』という初代アイオリア竜皇の定めた<竜皇典範リーグ・ノーツ>に背いた。兄を殺し、兄の子であるサギリを捨てさせ、そして自らアエオルスを名乗って玉座を手にした。


「竜騎士は戦いの駒ですので」


 立ち上がる。ローテーブルを挟んだ向こう側、ユッカは微笑んでいる。

 どうしてあの時と同じ目をしない。「死ね」と告げたあの時のように。シュネの記憶に焼き付いた、その記憶のままに。


「ですから、私は――」


 内包術式<抜刀>展開。三節以下の詠唱を破棄。<白紙>術式により発動そのものを無に帰す。

 ひたりと、何もなかったところから生まれた刃をユッカの喉に突き付ける。あとほんの少しでも前に動けば、彼の首を貫ける位置へ。


「貴方を、殺そうと思いまして。理由はお分かりになりますよね、現竜皇の参謀様?」


 この男がサギリの道を阻むのならば、彼女に従うシュネはユッカを排除するべきだ。今この段階では誰も知らない、サギリの参謀を務める男にすら尻尾を掴ませていないこの男を。


「君にこれを指示したのは、サギリ・アエオルス? いや、彼女はしないな。なら、アカツキ・ヘイルフィークか、カライス・エウノミアかな?」


 参謀役のアカツキと、後見人のカライスと。確かにどちらも、シュネを捨て駒にすることに躊躇がない人物だ。現に過去、アカツキはシュネを捨て駒にしたのだから。

 サギリは、そういったことはしない。むしろ犠牲者を出すことに眉を顰めて、そして反対をするのだから。


「いずれでもありません」

「では、君の兄か。麗しのアッシェ・カイザイク」

「兄は私がノーザリウムに書状を出すことも猛反対しましたが?」


 誰も、知らない。これはすべて、シュネの独断。

 ユッカ・ノーザリウムが戦う術をどの程度持っているのかは分からない。シュネが知る限り、この男は戦場に出てきた例がない。アカツキが戦場で地面を枝で引っ掻いて計略を立てていた頃、きっとこの男はこの城で優雅に椅子に座っていた。


「君の独断だと?」

「はい。今のところ、貴方の正体にはアカツキ様すら辿り着いていませんので」


 ユッカを殺すことに、迷いはない。迷いがあるはずがない。目の前で微笑んでいることすらも、シュネにとっては赦せない――そうだ、赦せないのだ。

 この男は、サギリを殺そうとする。皇位簒奪者に協力して、正統な皇位継承者を排除しようとしている。今このアイオリアという国がどのような状態になっているのか、知っているくせに。自分の支配する北方さえ平穏であれば他はどうでも良いと言うような態度が癪にさわる。


「では、君のためにエルゼオ・アエオルスを裏切ろうか? 君のためならば、喜んで」

「この状況でつまらない冗談が言えるとは、さすがですね」


 今この場において、ユッカの命はシュネが握っている。あと少しでも動けば、この刃はユッカの喉を突く。


「こんなもので、私を傷付けられるとでも?」


 ――ばきん。

 この刃はシュネが内包術式で作ったものであり、魔力の刃だ。通常の剣とは異なり、シュネが魔力を供給し続ける限りは簡単に折れたりはしない。

 それなのに、折れて、散った。飛び散る雪の破片のように、窓から差し込んだ陽光がきらきらと魔力の残滓を輝かせている。それもやがて、消えてしまった。


「さあ、決めるのは君だよ、シュネ・カイザイク。君は私を殺せない。殺せるとしたら、そうだな……私の目の前にアカツキ・ヘイルフィークを連れてくるといい」


 こつりと、床と靴がぶつかって音を立てた。立ち上がったユッカが、ローテーブルを回り込んでシュネの方へと歩いてくる。

 一歩、また一歩。ここに、逃げ場はない。


「私をここで殺そうとするよりも、君はもっと良い手を打てる」


 目の前で、男は跪いていた。

 サギリの前で、シュネも忠誠を誓ったことがある。跪いて命を捧げると、そう誓いを立てた。けれどこの男はそんなことをする側ではなくて、むしろされる側だろう。

 ユッカが膝を折るとすれば、竜皇の前だけだ。エルゼオの前で跪いたのか、そんなことは知らないが。


「君を私にくれるなら、私は君に喜んで使われよう」


 それは一体、どういう意味なのか。

 シュネを殺したくせに、死ねと冷たく告げたくせに、何を言っている。シュネの記憶の中にあるユッカ・ノーザリウムの姿と違いすぎて、ここが現実であるのか定かではなくなっていく。

 ここは、死後の世界か何かなのか。シュネは戻ってきたわけではなく、まったく違うどこかに飛ばされてしまったのか。けれど違っているのはユッカだけで、他は何も変わらなかったのに。


「何を、言って……」

「エルゼオ・アエオルスを裏切って、サギリ・アエオルスにつく。エルゼオは参謀を失い、サギリは二人目の参謀を得る。そうだろう?」


 この男は何を考えているのだろう。跪いて、顔を上げて、まるで宝物でも見付けたかのようにシュネに微笑んで。


「君がサギリ・アエオルスの忠実なる下僕なら、選ぶべき道はひとつしかないと思うけれど。どうだろうね?」


 助けてください、兄さん。


 いっそのこと猛反対した兄の言うことに従っておけば良かったと思ってしまったのは、現実逃避というものなのかもしれない。

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