第3話
学校へ向かう道。
昨日起きたことは、私の中で重くのしかかっているのに。
通学路はまるで別の世界のように静かで、平和で、何も変わらない。
いつも通り制服の袖を揺らす朝の風。
前を歩く同じ学校の生徒たちの笑い声。
電柱に貼られたチラシ。
自転車を押すおばさん。
その全部が「日常」で、
その全部から、私だけ外れてしまったみたいだった。
女子校の正門が見えてくると、背中がさらに縮む。
ここには、湊と同じ制服の子なんて一人もいない。
昨日、救急車で運ばれた湊を知っている人も、
怯えた私を知っている人もいない。
そもそもここには、私を知っている人自体、ほとんどいない。
教室に入っても席に向かうだけ。
朝のホームルームが始まっても、誰かと話すことはない。
名前を呼ばれたら返事をして、それだけ。
孤独には慣れていたはずなのに、
今日はその静けさがひどく耳に痛かった。
廊下ですれ違う子たちの会話の断片が、遠く聞こえる。
「ねえ昨日ドラマ見た?」
「今日めっちゃ眠い〜」
「週末どうする?」
そんな何気ない声が、
“昨日”を抱えた私には別世界の音みたいだった。
私は昨日の続きの中にまだいるのに、
世界は勝手に今日へ進んでいく。
◇
授業中はずっと落ち着かなかった。
放課後、帰る支度をしながら自問した。
――お見舞いに行こう。
制服の袖を握り、小さく息を吸った。
「……少しだけでも。様子を、見るだけ」
勇気を出すように呟きながら、教室を出た。
病院の建物が見えてきたとき、胸の奥がふっと強く震えた。
昨日の夜、白い扉の向こうへ運ばれていった湊。
赤いランプに閉じた扉、残してきてしまった後悔。
行かなきゃ。
足取りは重いはずなのに、
不思議と歩く速さだけは増していた。
正面玄関へ続くスロープの手前で、ふと立ち止まった。
誰かが見える。
スーツ姿。
沈んだ影。
その顔を見た瞬間、呼吸が止まった。
湊のお父さん。
心臓が、ドン、と音を立てた。
次の瞬間には、
おなかの奥を冷たいものが一気に駆け上がる。
――どうしよう。
足が震えた。
視線が合いそうになる。
「あ……っ」
声にならない息が漏れた瞬間、身体は勝手に動いていた。
足元の小石が転がる。
顔を伏せる。
そのまま病院脇の通路へ走り込む。
スロープの柵の影に身を隠すようにしゃがみ込むと、
心臓が早すぎるほど脈打っていた。
足音が近づいてくる気がして、息を殺す。
すぐ近くで、車のエンジン音がした。
湊のお父さんは近くに居ない。
そのことに安堵した途端、冷えた空気が一気に肺に流れ込み、肩を震わせた。
会いたかったはずなのに。
湊の様子を知りたかっただけなのに。
私は、湊のお父さんの顔ひとつで、逃げてしまった。
額に影を落とす建物の壁が、
夕方の冷たさをそのまま帯びている。
膝に落ちた自分の影を見下ろしながら、
私は指を握り締めた。
(どうして、ちゃんと……行けないの)
声にすら、ならない。
日が落ちるまで、氷のように動けなくなった。
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銀灰の境界線 【本篇執筆済】 亜麻野 @amano_ah
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