第2話
カーテンのすき間から差し込む朝の光で目が覚めた。
昨夜の光景は、ベッドの中でも私を離さなかった。
階段、伸ばされた手、崩れたバランス。
落ちる音。
だらりと垂れ下がった湊の体。
思い出すだけで、体がぎゅっと締めつけられる。
「……私の、せい」
声に出すと、確かにそう聞こえた。
お母さんに勧められて一度は朝食の席についたが、
何も喉を通らず、結局ほとんど手をつけられなかった。
救急車を呼んでから後の記憶は、
ところどころ途切れている。
サイレンの音だけが、やけにはっきりしていた。
冷たくて、鋭くて、刺さるようだった。
救急隊員が怒鳴るような声で話していた。
「左足、変形あり 骨折の可能性高いです」
「頭部外傷、意識なし。呼吸はあります」
「急ぎます、準備を!」
湊が、動かない。
返事もしない。
あれほど大きな体が、自分のせいで。
私自身はシートに座らされ、
誰かに肩を支えられながら質問を受けたけれど、
返した言葉は断片的で、自分の声とも思えなかった。
「気分は? 痛むところは?」
「……わかりません。平気……です」
「首に痛みは?」
「だいじょ、ぶ…です」
平気なはずなんてなかった。
病院に着くと、湊だけがすぐに処置室へ運ばれた。
白い扉が閉まる音が、張りついて離れない。
私は別の看護師に連れて行かれ、検査を受けた。
結果は、打撲と軽い擦り傷だけだと言われた。
私だけ、無事。
結果説明のあと、
椅子に座ったまま何も考えられずにいたとき、
病院の廊下にお母さんの姿が現れた。
「玲奈!」
急いで駆け寄ってきたお母さんに抱きしめられたとき、
少しだけ胸を撫でおろした。
「大丈夫!? ケガは? 痛いところはある?」
「……ううん、大丈夫。私は――」
「なら帰りましょう。もう、家は安全だから」
初めて、私は扉の向こうを見た。
処置室の赤いランプがまだ点いている。
「湊は。湊の様子が、まだ――」
「玲奈。今は帰りましょう」
お母さんの声は固く、緊張が抜けていないようだった。
返事をする前に腕を引かれた。
逆らう気力はなく、
ただ流されるように病院を後にした。
あの扉を。
湊を、残したまま。
「あのとき、待てばよかった」
たとえお母さんに怒られたって、
側にいられなかったって。
湊が、今どうなっているのか。
それすら知らないまま家に帰ってきてしまった。
身体がゆっくり、沈んでいくように重い。
朝の光が、やけに残酷だった。
ーーーーー
ぼんやりとした白い光が、
閉じたまぶたの裏を淡く照らしていた。
朝なのか、昼なのか。
最初に感じたのは痛みではなく、
布の擦れる音と、どこか遠くで鳴る電子音だった。
――ここ、どこだ。
重たく沈むような意識の底から浮かび上がるように、
ゆっくりと目を開けた。
白い天井。
消毒液の匂い。
点滴スタンド。
膝上まで固定された分厚いギプス。
しばらくして、
脳の奥に波のように遅れて“痛み”が押し寄せてくる。
ズキ…ズキッ……
左足から内臓へと広がるような鈍い痛み。
「……っ、……は、」
息を吸うたびに胸の奥も熱く疼いた。
頭も鈍く重い。
そこで——
初めて昨夜の色が少しずつ戻ってきた。
夕暮れの階段。
揺れた影。
伸ばした手。
落ちる音。
玲奈の、怯えた顔。
喉がきゅっと締まるのを感じた。
声にならない声が漏れた。
そのとき、カーテンがわずかに揺れ、足音が近づく。
看護師がカーテンの隙間から顔をのぞかせた。
「あ、目が覚めましたね?
わかりますか、ここは病院ですよ」
俺は小さくうなずく。
「頭を打ってしばらく意識がありませんでしたからね。
左足は骨折していますが、
今のところ命に別状はないそうです。
「痛みますよね、今主治医の先生を呼びますからね」
看護師の声は穏やかだった。
俺の耳には、
「意識がありませんでした」という部分だけが届いた。
意識がなかった?
どれくらい?
頭が回らないまま、かすれた声で問う。
「……誰か、来てましたか」
看護師は一瞬考えてから答えた。
「親御さんと、あなたと一緒に救急車に乗って来た女の子がいましたね。ただ――」
「女の子は君が眠ったままだったので、夜のうちに帰られましたね」
胸が、ゆっくりと沈んでいく。
深く深く、底の方まで。
「……そっか……」
それ以上、言葉は続かなかった。
看護師が去ったあと、
再び病室には機械音だけが残る。
天井を見つめながら、ゆっくりと呼吸を整えた。
頭の痛みの奥で、ひとつだけ浮かんだものがあった。
――玲奈は、どうしているだろうか。
それを気にかける資格が、
自分にあるのかどうかも分からないまま。
ただぼんやりと、天井を見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます