第4話
シンシア院の白い外壁が視界に入った瞬間。エルシアの胸の奥に、じんわりとした温もりが灯った。
幼いころ、孤独の中で手を伸ばしてくれた場所。凍りつくような現実の中で、唯一ぬくもりをくれた人たち。
だがその温もりは、一歩踏み出すごとに懐かしさと不安の入り混じったものへと変わっていく。
(……院のみんなは、無事なのかしら)
その思いを胸に敷地へ足を踏み入れた――その瞬間。
視界に“不可解な光景”が飛び込んできた。
庭の端。若い女性職員が頬を染めて立っている。その前には、見知らぬ巨漢の男。
筋肉と存在感だけで、まるで巨獣のような圧。けれど、その表情はにやついていた。
「今夜、時間あるか?」
その声は、明らかに気安く、騎士の威厳とは無縁の“軽さ”をまとっていた。
「き、騎士様……先日の事件についてお話を伺いたいのでは……?」
女性は困りながらも、どこか嬉しそうな目。ほほえみがこぼれ、指先で頬に触れている。
だが男は、彼女の言葉など聞いていなかった。
「事件の話も大事だが……今は君のことの方が気になるな」
その瞬間、エルシアのこめかみがピクリと跳ねた。
(……は? なにこの男)
虚魔が出た可能性がある場所で、ただのナンパ? 理解できないにも程がある。
エルシアは堪えきれず、真っすぐ二人に歩み寄った。
「ちょっと。ナンパなら他所でやりなさい」
冷たい声。女性職員はビクリと肩を揺らし、振り向いた。
「エ、エルシアちゃん……!」
彼女は慌ててスカートを押さえ、
「そ、それでは騎士様っ、私はこれで!」
と言って、まるで逃げるように駆け去っていく。
「……あっ、おい、ちょっと待てって……!」
男が手を伸ばしたが、届くはずもない。伸ばした手が虚しく空を切り、男はぽりぽりと頭をかいた。
「せっかくいい感じだったのになぁ……」
その呟きに、エルシアの怒気がさらに上がる。
(なにが“いい感じ”よ……!)
重くて、熱くて、さっきまで感じていた懐かしさが一瞬で霧散した。
エルシアは大股で近づき、苛立ちを隠しもせず眉をすっと吊り上げた。声には冷たい刃が宿る。
「騎士? まさかアンタ、本当に聖騎士なの」
男は振り返り、 まるで叱られた子どものように悪びれもせず、白い歯を見せて笑った。
「おう、俺が何に見える? そういうお前が……もう一人の“騎士候補”か」
軽い調子。深刻さの欠片もない。
エルシアは言葉を返す気にもならず、ただ無言で男を睨みつけた。
「俺はブレイド。よろしくな」
ブレイドは気前よく、分厚い手を差し出してきた。筋肉に覆われた、まるで岩のような掌だ。
エルシアは半眼になり、冷えきった声で切り捨てた。
「ナンパ野郎と交わす手なんてないわ」
その一言に、ブレイドは「おっと」と言いたげに肩をすくめる。
「つれねぇなぁ」
反省の色は皆無。それどころかおもしろがっている気配すらある。
(何よこの男……)
そう思った瞬間――建物の入口から、人影がゆっくり現れた。
「久しぶりですね、エルシア」
「院長……お久しぶりです」
柔らかい声。微笑みは昔と同じ。温かく、優しく、懐かしい。
しかし――エルシアの胸に、ほんの一瞬だけざわりと冷たい違和感が走った。
(……なんだろう、今の……)
懐かしいはずなのに、何かが違う。小さな棘が心に触れたような感覚。
理由はわからない。気のせいと言い聞かせるには、妙に鮮明なざわめきだった。
そんなエルシアの内面など気づくはずもなく。ブレイドがひょいと近づき、小声で囁く。
「おい、お前……知り合いか?」
エルシアは表情を戻し、短く答えた。
「ここの出なの」
「なるほどな。なら、この院での聞き込みは任せるわ」
あっさり。軽い。何もかもが軽すぎる。手をひらひらさせながら背を向ける。
「俺は周辺を見てくる」
その言葉に、エルシアの初期評価は確信に変わる。
(……どうせ女を引っ掛けに行くんでしょ。なんであんなのが聖騎士になれるのよ……)
エルシアの胸にはじわりと苛立ちが灯り、それが小さな炎のように揺れ続けた。
「エルシア?」
「っ……はい、院長」
意識を取り戻し、エルシアは急いで姿勢を正した。
「お話を聞かせてもらえますか、院長」
「ええ。上がってちょうだい」
院長の後をついて、エルシアは久しぶりにシンシア院の中へ足を踏み入れた。
しかし、あのとき覚えた“違和感”は、胸の奥から消えないままだった。
院長室は、十年前とほとんど変わっていなかった。
磨かれた木の床。壁に並ぶ子どもたちの絵。古びた机からは、いつものように落ち着いた木の香りが漂っている。
夕陽が窓から差し込み、部屋全体を柔らかな橙色に染めていた。
エルシアは椅子に腰を下ろし、真っすぐ院長を見据える。
院長は静かに向かいの椅子に座り、昔と同じ――優しげな微笑を浮かべていた。
けれど。
(……やっぱり、どこか変……)
胸の奥がざわつく。懐かしさとは別の、ひっかかるような違和感。
院長の声は優しい。表情も柔らかい。仕草も以前と同じ。
それでも――“何か”が噛み合っていない。
「さて、エルシア。話というのはね」
院長は手を組み、静かに言葉を続けた。
「いなくなったのは、年少の子が二人なの」
エルシアの眉が動く。
「年少……? そんな小さな子が、夜に外へ……」
「ありえないわね」
院長は穏やかに首を振った。
「あの子たちは怖がりだし、夜中に勝手に出歩くなんて、まず考えられないの」
その声はたしかに悲しげだ。だが同時に――どこか“作り物めいた”均一さがあった。
「それに……窓ガラスが割られていたのよ」
エルシアは目を細める。
「窓が……? 内側からではなく?」
「外側。誰かが外から侵入したんだろう、と皆は言っているわ」
院長は困ったように目を伏せ、指先を組み直す。
「夜中に大きな音がしてね。職員の子が様子を見に行ったけれど……そのときにはもう、二人とも部屋からいなくなっていたの」
エルシアは息を整えながら考える。
外からの侵入。夜中の物音。二人の子どもが同時に失踪。
(……虚魔の可能性は十分にある)
しかし、それとは別の疑念が胸で芽生える。
(院長……やっぱり何かおかしい。声の調子……言葉の重さ……微妙に違う)
十年育った勘ではない。もっと深い、感覚的な違和感だった。
「……わかりました。まずは、その部屋を確認させてもらえますか」
「ええ、もちろんよ」
院長の表情は変わらず優しい。だが、その微笑の奥に一瞬だけ――“冷たさ”が覗いた気がした。
「あなたになら……安心して任せられるわ、エルシア」
その言葉に、エルシアの心がざわつく。
(……今の“安心して”……? こんな状況で、どうしてそんなに落ち着いて……?)
疑問が喉までこみ上げたが、本能で飲み込んだ。
「ありがとうございます、院長」
丁寧に礼をし、部屋を出る。扉が閉まった途端、夕暮れの廊下にひんやりとした空気が落ちた。
静寂。足音だけが響く。
(やっぱり……おかしい。でも、それが何なのか……まだ掴めない)
エルシアは剣の柄にそっと触れる。冷たい金属の感触。重さ。それが逆に心を落ち着かせた。
深く、ゆっくりと息を吐く。
(……まずは現場を見ないと)
エルシアは決意を固め、歩みを進めた。
街外れの食堂。夕食時には少し早い時間帯。その片隅のテーブルで、ひときわ大きな影が揺れていた。
ブレイドである。
分厚い胸板を反らし、腕を組めば人一人すっぽり隠れそうな巨躯。
だが今は、テーブルに置かれた巨大ハンバーガーと向き合い、まるで戦士が戦場に
赴くような真剣さでかぶりついていた。
「……っはぁ、やっぱここのはうめぇな」
溢れた肉汁とソースが指を伝い落ちる。パンは圧に負けて潰れ、中からあふれた具材が皿に散乱する。
横には特大ポテトの山。通常のサイズの三倍はあるそれを、ブレイドは気分よくつまみながら新聞を広げていた。
静かにページをめくり、記事を確認しつつぼそりと呟く。
「周辺の被害は確認できない。あの孤児院だけだな」
その瞬間、耳元でふっと風が揺れるように声がした。
『……違和感を覚えるな』
ブレイドは、まるで当然のように応えた。
「ああ、だな」
新聞をテーブルに置き、ハンバーガーを片手で半分に折り曲げ、そのまま一口でかぶりつく。
あまりの勢いに、周囲の客が一瞬だけ振り向くほどだ。
「わざわざあの孤児院に侵入する……ってのも妙だ」
油で光る指先を紙ナプキンで拭きながら言う。
『では、この事件は――』
「ああ、ほぼ間違いないだろうな。“狙ってる”」
その言葉とともに、ブレイドの目が鋭く細まった。
一瞬だけ、食堂の喧騒が遠のいて見えるほどの冷たい気配。
しかしそれもすぐに、彼らしい豪快で適当な空気へと戻る。
「夜になったら、いっちょ乗り込んでみるか」
『その間どうするつもりだ』
「決まってんだろ」
ブレイドは新聞を折りたたみ、ふと窓の外へ視線を流した。
夕暮れの赤に照らされた街路。そこを買い物袋を抱えた若い女性が歩いていた。風に揺れる髪。無防備な仕草。
ブレイドの口元が、にやりと上がる。
「男にはな、戦いの前にやるべき“準備”ってもんがあるんだよ」
『……やれやれ』
呆れの声が耳元で小さく響くが、ブレイドは気にもしない。
立ち上がると、大きな影が椅子から離れ、店の入口へ向かった。
戦いの前の腹ごしらえ。そして戦いの前の“準備”。
そのどちらも、彼にとっては欠かせないのだ。
復讐しか知らない聖剣使いと、守ることしか知らない魔剣使い ポロポ @ksiheu45
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