祝い

壱原 一

 

父は早くから親類が亡く、成人して数年の頃、出張へ来た母に見初められた。


誘われるまま故郷を離れて母と所帯を持ち、紛う事なき実子たる私の誕生を祝えず故郷へ逃げ帰ったらしい。


中々度し難い話だが、くの如き経緯なら今後まみえる機会は無かろうと思っていた。


大学受験を控えた前年、母が急逝した少し後、母の万一の手配により、父の元へ身を寄せる事になった。


*


父は独身で故郷に居た。それなりに発展しているが、微睡まどろんだ風に腑抜けた町。


幾度か母に写真で見せられた、若い頃の面影を草臥くたびれさせ、言って良さそうか駄目そうか量り兼ねているへつらい声で、「この度は、大変だったね」と怖ず怖ず述べる父の様子は、冴えない町の趣にしっくり馴染んでいた。


母は経済力があり、精神的に自立していた。そして物凄く陽気だった。父が逃げたのは笑い話で、語り口はからりと温かく、初心うぶな青年を振り回した反省すらにじませていた。


それがかなり影響して、私の父への印象は、こうにもにも振れなかった。世間一般に照らした情けなさこそ覚えつつ、子として鑑みた場合、無色透明の平温で、特段の引っ掛かりも無かった。


むしろ父にしてみた方が、今更こうして捨てた子の面倒を見るのは大儀だろう。


純然とおもんぱかる気持ちが、必定ひつじょう、言動に表れる。このわきまえた距離感が、父の負い目にこたえたようで、一つ屋根の下で暮らすに連れ、父は萎縮する中にも、探り探り“親”を試みるようになった。


私の家事分担は控え目に、学業へ集中出来るよう図ったり、予備校やら何やらへ送迎したり、近年の受験事情を、余り豊かでなさそうな人脈から聞き集め、気負って三者面談に望んだり。


思い掛けない前のめりに、いささか面食らった物の、休日や就寝前なぞの自由時間は、無闇矢鱈やたらに寄って来ず、ぎこちなく放って置いてれもした。


諸々のお陰で、私は大きな環境の変化に何とか適応しおおせて、第一志望校に合格した。


母の写真を傍らに、父へ感謝の礼と共に合格を報告する。どれほど気を張っていたのか、父はその場にへたり込み、感極まって仕舞った。


なだめる為に彷徨うろつかせた私の手を両手で包み、斬首を待つ罪人さながら深々とこうべを垂れて、おめでとう、君がお母さん似で良かったと、息苦しそうに声を殺し、むせび泣きながら繰り返す。


今まで本当に苦労を掛けた。本当に申し訳無かった。


望んで君を授かったのに、嬉しかったのに、不安で、君が生まれた時、お祝い出来ず申し訳無かった。


覚悟が足りなかった。怖くて逃げて仕舞った。君とお母さんに酷い事をした。本当に申し訳無かった。


随分大仰に感じるが、父が故郷へ戻って以降、母と没交渉だったようなので、十何年振りに私を見て、無為に過ぎた空白の期間を、密かに気に病んでいたのだろう。


私の片手に不便があるのは、母と共に遭った事故の所為せいで、徐々に視野が狭まる見通しなのは、先年から承知の事。


実子を儲けられないのは、物心付く前に決していた当たり前の状態なので、どれも父にる苦労とは思わない。


今までそれなりにって来たし、これからも遣って行ける気で居るから、そう何もかも抱え込まれて、謝られると複雑だ。


率直に訴えてみると、父は雷に打たれたように、慌てて顔を拭き涙を堪えた。以降、ぐっと泰然と、私の残りの高校生活や、卒業、春休みを、心持ち歩み寄って過ごした。


*


愈々いよいよ入学に向けて私が家を離れる前夜、父は改まってリビングのソファ前へ私を呼び、フローリングの上に正座して、両手を突き、ゆっくりとお辞儀をした。


私が当惑して対面に膝を突き、声を掛けるに先んじて、「***の行く末を、心からお祝い致します」と、低くから厳かに発した。


「ええ?どうも有難うございます。はい、頭上げて下さい」と、強引に茶化す私へ、力強く額突ぬかづいたまま、笑みを含んだ軽い口調で、「決まりなの。これで最後だから、***さんは遣らなくて良いよ」と返す。


祝った子供が寝付くまで、親がこうしとく決まりだから。


***さん明日早いんだし、こっちも腰が辛いんで、早く部屋行って寝て下さい。


梃子てこでも動かぬ気迫に圧され、「そうですか」とリビングを去り際、後ろ髪を引かれて振り返る。


黒いもやふち取られて狭まった視野の真ん中に、硬く小さく強張って、石の様に祝う父の姿が、ぼんやり、強烈に焼き付いた。


*


翌朝、起きると父は居らず、携帯のメッセージアプリに、“急な仕事で見送れないが、呉々くれぐれも元気で”と届いていた。


“玄関の靴箱の上へ、お守りを置いておいたので、持って行って”と言う事で、引っ越し業者に荷物を預け、家を出立する際に、小さな木箱を受け取った。


淡い木肌の清々しい、真っさらな、多分、きりの箱。白い和紙の帯で一巻きされ、その上を深い赤色の紐で、ぐるりと締められ、結ばれている。


内側は真綿とか布とか、何かやわい物が敷き詰められていて、中に親指の先くらいの、硬く、とても密度の高い、鉱物みたいな物がある。


1度振って、そう推し量りつつ、見慣れない体裁のお守りの渡し主に連想が及んだ故か、眼裏がんりに焼き付いた父の、座礼した姿が思い起こされ、ともあれ振る物じゃないなと、それきり母の写真の隣へ安置している。


その後、大学を修了し、就職した今に至るまで、父と会えず、通話も出来ていない。


携帯のメッセージアプリに、“思い切って遠くへ旅行に行く”、“気に入って暫く住んでみる”、“時に家を知人に貸す”と、折に触れ達者な便りが届く。


これだけ年月が空いて来ると、もう会えない気がしているが、携帯にメッセージが届いたり、お守りが目に触れたりすると、今に会えるとも感じる。


父に祝われたあの日から、新たな大難たいなんは無い。


靄の進行も止まっている。



終.

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