1‐1 第5話 異邦の朝、想い出の卵焼き
◇王国暦315年1月下旬 ※1545年(天文13年)1月下旬 領都マルシオン 井伊亀之丞◇
翌朝。寒いが風もなく今のところ穏やかないい天気のようだ。普通にお腹がすいてきた。ところで自炊をほとんどしたことがない。いわゆる自由業といっていい冒険者の朝は早い。新しい依頼がギルドの開所にあわせて貼りだされると、毎朝、受けられる依頼があるか確認しにくる低ランクの冒険者でいっぱいになる。そういう者たちの需要があり、早い時間でも食事をすることができる店や屋台も多数あるのだ。ダンジョンに出入りしている冒険者が泊まり込みで活動するために買い込む保存のきく食材などもあり、何でもというほどでもないが、バリエーションが乏しくて寂しい思いをするほどのこともない。
今日は依頼を出す側として冒険者ギルドに行くので、依頼を受けるための競争をするわけではない。であるため、朝はテーブルに座って食べることができる場所で、落ち着いて朝食をとることにするか。
身支度を整えて、ギルドの近くの通りにある、いつもの店に3人で向かう。午前8時を少し回ったくらいで、『森のみつばち亭』に到着した。ここはいくつかあるお気に入りの飲食店のうちの、最もお気に入りのお店で、はちみつを使ったオリジナルのお茶(はちみつティー)を楽しみにしているのだ。希少とまではいかないものの、はちみつを使ったものだけに、ほどほどお値段もお高い。粗忽な冒険者はいなく、女性冒険者はじめ客層としては女性のほうが多い。日本でいうところの喫茶店みたいな場所だ。
朝(モーニングタイム)は、あらかじめ購入してある紅茶チケットを使って、お得なモーニングセットを選ぶことができる。パンははちみつを生地に練り込んだ丸形のものを3つ。この世界のパンは固いものしかないが、スープに浸して柔らかくしてから食べるのにすっかり慣れてしまった。選択できるサイドメニューは、目玉焼き、卵ペースト、ゆで卵からひとつ。スープは玉ねぎのスープ、トマトのスープからひとつ、を選べる。名古屋発祥の喫茶店のようなモーニングサービスなわけだが、顧客からは確固とした支持を集めている。
「ナオフミさん、いらっしゃいませ。あら、今日はキレイなメイドさん?がご一緒ですか?」
親しく話をする間柄でもないが、顔見知りとしてはじゅうぶんの若い女性従業員が話しかけてきた。
「やあ、おはよう。連れと一緒はもしかして初めてだったか。……ふたりは俺のメイドで、凛と愛。これからは3人でくることが多くなると思うよ」
「そうなんですね!(ゴニョゴニョ……ナオフミさん……ただのメイドさんかしら?)ご注文はいかがでしょうか?」
紅茶チケットを3枚取り出して、モーニングセットを同じ内容で3つ注文した。店の座席の3分の2ほどが埋まっていて、ほどよい込み加減が心地いいが、周辺からの吟味するような視線がいつもと違って感じられる。
「ナオ様、周りの方々からちらちらと見られてますよ?」
凛がひそひそとつぶやいた。
「俺も常連なんだけど、これまでほぼ一人だったし、目立たないようにひっそりとしていたのにさ、それが今日はとびきり目立つお前たちが一緒だからなあ……」
思わず渇いた笑い声がハハッと出てしまう。気恥ずかしさが少々と、どうよ?この二人は?とフフンと思う気持ちが交錯する。どこに行っても目立ってしまうのはもう仕方がないかもしれないが、それに慣れて堂々としなくてはいけないか、と思う。
玉ねぎのスープに、一口サイズにちぎったパンをさっと浸して染み込ませ、口に入れる。いつもの味、いつもの食べ方。約6年間のなかで、多くのひと時をこうして過ごしてきた。凛と愛も、同じようにパンを食べる。愛の口元をじっと見ると、丁寧に咀嚼して、ゆっくり飲み込む。食べる様もとても綺麗だ。造った自分で言うのもなんだけども、消化はどうなっているのか?美味しいの?……考えたら俺の負けかな?
「ナオ様?私どこか変です?」
おっと、愛をじっと見つめていたけど、見すぎていたか。
「何でもないよ。愛の食べ方、とても綺麗だ、と思ってついつい見すぎてしまっただけだよ」
「いっぱい見てくださいね。お食事美味しくいただけていますから」
ちょっと見透かされたかな?まあ、不思議だとは思うけど、そこを深く考えるよりも、素直にこの幸せをありのまま受け容れたほうがいいか。
ゆったりとした時間が流れるなかで、卵ペーストに手を付け、スプーンですくう。薄い黄色のどてっとした塊から、いい匂いがする。卵大好きな俺には、この感触と匂いがたまらない。今日も、卵をみて思い出した。ルーティーン化している記憶の確認。目を閉じ、6年前のあの瞬間の記憶を呼び起こす。
(回想)
「ナオ、私のはじめての卵焼き、うまくできてるかな?」
「見た目はちょっと不格好な気もしないでもないけど、何だかとてもいい匂いがする。美味しそうに見えるよ」
お弁当箱の半分を卵焼きが占めるそれの蓋をパカッと開けて、恥ずかしそうにしながら、中野姫子がつぶやいた。姫子は同い年の同級生。姫子の家の中野家は、令和日本の歴史では、直盛の親類衆で重臣のひとりであった中野直由に繋がる系譜で、『井伊家 子孫の会(非公式団体)』に名を連ねている。井伊とのゆかりが深い家だ。
俺も歴史をたどれば直政までたどり着く(彦根の井伊家としては直政を祖としてみる)わけだが、令和においては傍流も傍流。旧きを偲ぶように井伊谷にいる家庭だったから、現代の当主との距離はちょっと離れている。井伊谷の中野家(姫子の家)も、そういうところでは似た者同士であったが、貧乏家庭の俺のところとは違って、各所に顔のきく地元では有名な事業家である。姫子はいってみればお嬢様だ。5人兄弟姉妹(1男4女)の末っ子。
もう封建時代は150年も前に終わって、民主主義の時代だ。現代の社会的地位的には、井伊は中野に下剋上されたみたいなものだと思う。自虐的には。まあそんなことは現代を生きる俺たちにとっては、お互い関係のないことだけれども、そこは歴史と名のある一族、武家の主従であった間柄であるがゆえに、やっぱり「殿!御屋形様!」みたいなところが流れる血には記憶されているのだろう。いい意味で。だから中野家は俺のことを他人行儀でなく、気にかけてくれていた。姫子は一番の幼馴染みだ。
小学6年生あたりでは、女の子のほうが成長は早い。姫子は身長が155センチメートルで、全国平均よりやや高い。高校生の姉が165センチメートルくらいあるから、姫子もそのくらいか、それ以上になりそう。おっとり気味で、よくいじられているが、かわいいというか美女になる素質がありそうだから男子の人気がかなりある。
それに比べて、当時の俺は身長140センチメートル。見た目は、悔しいがチビだった。朝礼とかで整列するときは、前から2番目、3番目といった場所が定位置。女子よりも頭1つ低くて、頭ポンポンされたり、なでなでされたり……くうッと思うがどうしようもなかったころだ。
この日は、浜名湖ガーデンパークに、中野家がお出かけするところ、姫子に誘われて一緒にいくこととなった。浜松まつりには参加しないので、それを避けての、ピクニックみたいなものだ。遠州女学院に通う姫子のお姉さんが吹奏楽部に所属していて、ゴールデンウィークには浜松市内の高校の吹奏楽部のフェスティバルがガーデンパークの恒例行事として毎年開催されており、それの応援というか見物も兼ねている。
遠州女学院の吹奏楽部の出番は今日の最終で15時ごろ。お昼ごろの時間帯に、園内を楽隊がパレードするため、それも見る。というわけで朝もそこそこの時間に迎えが来て、姫子の両親と、先代の祖父、祖母、姫子。それに俺、とでガーデンパークに行ったのだ。この季節はネモフィラがメインで、初夏にはまだわずかに早いこの時期、青く可憐な花が、目を楽しませてくれる。今日は快晴で、弱風が気持ちいい。長時間の滞在は、日焼けに気を付けなければ。
広いガーデンパークの真ん中あたり、吹奏楽部のみなさんの演奏するホールがすぐ近くにあるなだらかに傾斜した広い芝生の、木々が直射日光をある程度遮ってくれる上部の位置にレジャーシートと、キャンプテーブル、イスを広げてゆったりするための場所をパッと確保した。中野家の定位置らしい。よさげな場所だと思う。小高い場所になるから、ネモフィラの広い花壇を見下ろすように眺められるし、園の中央をながれる水路を行き来する観光ボートの様子をみたり、さらに遠方の反対側に広がる芝生の広場に立ち並ぶ屋台の賑わう様子がみえる。イベントブースから聞こえる子供たちの騒ぎ声も聞こえてくる。ざわざわとした感じではないところがいい。
「ナオ、ネモフィラを一緒に観察行こう?」
「いいよ、行こう」
姫子のお誘いだ、喜んでお供するさ。女子なんかと仲良くしやがって!それでも男子か!という同級生一部男子のやっかみを学校ではしばしば受けるのだが、関係ねえな。
ちょっとどころが本当は相当気恥ずかしいのだけれども、正直、姫子のことは好きだ。チュッとしたい。すごくしたい。いい匂いがする。ネモフィラの匂いが全く入ってこない。
「いい匂いね!」
「お、おう、そうだね!ああ、いい匂い!」
ネモフィラの匂いがどんな匂いなのかが全くわからなかったが、姫子の匂いはとてもいい匂いがする。周りをちょっときょろきょろと覗いて、知っている野郎がいないことを確かめて、女子も知った顔はいないことを確認して、姫子の手を取る。柔らかい。ドキドキする。自分でいうのもなんだけど、この思い切りの良さが俺のいいところだと思う。
「ぐるっと歩いてみよ」
「うん」
俺のほうがちっちゃいけれど、姫子をリードしている感がある。横目で姫子の顔を見ると、ちょっと赤くなってる?目が合う。かわいい。ずっとこのまま、時間が止まればいいな、そう思う。
お姉さんのいる楽隊のパレードが始まる前に、お弁当を食べましょう、ということでランチタイムになり、冒頭のシーンへと戻った。お弁当あるから手ぶらでいいよ、ということだったが、俺の分はまさかの姫子が作ったものとは思わなかったよ。ああ、これはやばいよ、嬉しくて胸にこみあげてくるこの気持ち、これは何なんだ。姫子はどういう気持ちでお弁当を作ってくれたのだろうか?両想いでいい?自信もっていいかな?
割り箸を手に取り、それじゃ、いただくね、と卵焼きをつかもうとしたそのとき……俺は魔法陣に取り込まれて姫子の目の前から消え去ってしまったのだった。
(あとがき)
異世界へ召喚され孤独な時間を過ごすことになった直史は辛いですが、残された側もまた、悲しみの時間を過ごすことになるのです。
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