1‐1 第3話 小野政直の讒言と井伊家の危機
◇1545年(天文13年)1月下旬 井伊谷城 井伊亀之丞◇
直満、直義が武田家による領地横領に対応するための、軍備を整えた行動が、小野政直により謀反の疑いありと今川義元へ伝えられた。そして義元から駿府への呼び出しを受け、ふたりは弁明のために出立の準備をしていた。堂々と申し開きをして、潔白を証明するつもりでいるようだ。だが、それが認められてお咎めなしとなる可能性は、ほぼないだろう。
小野政直の讒言は、義元の意向を汲み取ったものだといっていい。直満、直義は謀反の罪で自害させ、井伊家には、俺を廃嫡させることを命じてくるだろう。義元にしてみれば、従順な人物を井伊家当主に据えるのが理想だろう。直盛は、直平、直宗と比べたら今川に敵対する心は持っていない。駿府で過ごした人質経験と、今川の家臣の娘を娶り、仲睦まじいところからそう思われているようだ。俺がどう見られているか、となれば、直平の影響を受けているとなると今川としては好ましいとはいえないはずだ。
今川家は俺を殺すことも考えているだろう。ともかく廃嫡に成功すれば、別の男子が生まれない限りは、おとわの娘婿となるものが次の当主。その次の当主は、親今川の当主だ。小野家がそのようにして井伊家を乗っ取るのを画策している、とみていいだろう。事態は動き出していて、駿府での弁明という機会にむけてすすんでいく。放置していたら、義元、小野の思惑通りにすすんでいってしまう。ではどうすればよい?
「直満、直義のふたりは、もはや助けることはできないでしょう。打てる手がありません。……今川と戦うことは、今はまだできません。そして、今回の義元の狙いをかわすため、亀之丞は引き続き病に伏したままとしておきます。駿府の動きを詳しく探り、いよいよ本当に、父上たちが自害させられるとなったとき、亀之丞は亡くなったとし、おとわは出家して尼になるとしましょう。もちろん、小野の目を欺き、義元を欺くための嘘ですがね」
「今川にとってのいまの最優先は、河東の北条を追い出し、旧領を回復することです。三河より、ましてや井伊のことよりも。すでに今川と北条の小競り合いは始まっており、河東の葛山氏が北条から離反して今川についた。甲斐の武田との同盟は3年前に武田晴信が信虎を追放したあとも揺らいでおらず、今が好機だろうと思う」
直盛がひとつ頷き、言葉を継いだ。
「北条氏康を退けるのは、いかに今川とて容易なことではあるまい」
「北条と武田も和議を結んでいる関係で、武田がどちらか一方に肩入れする形で関与することは考えにくい。今川と北条の両方から協力を要請されたら、武田も対応に苦慮するだろうよ」
今川も単に武力のみで押し通すのは考えていないはずで、仲介者をたてて、話し合いの方策も立てているだろう。それに関東の上杉を動かす。そう考えて、俺は予想される動きを言葉にする。
「義元が河東に出陣するときは、北条との交渉を裏ですすめつつ、また、関東の扇谷・山内の両上杉とも連絡を取ったうえで河越城を攻めさせるように動いているはず」
この河東と、関東の動きがある間に、井伊は備えをすすめなければならない。2年あれば相当国力をあげられると思っているが、それだけの時間の猶予があるかどうかはわからない。だが座して時間を浪費していてはそれまでだ。今川家がふたたび西に目を向けて動き出せば、井伊は自由に動くことがかなり難しくなることはあきらかだ。
今ここにいる、直平、直盛、千賀さん、おとわ、俺。5人で密かに事をすすめる必要がある。密かにだが、他にも人々を巻き込んで準備をしていかなければいけない。そしてまず第一に、小野政直を欺かなければならない。
「まず俺が秘密裏に動くため、
魔法陣を展開し、亜空間収納から人形を取り出し、浮かび上がらせた。人形を抱きかかえ、魔力を送り、子供の姿の亀之丞に整え、息をしているようにした。心臓が動いているように、脈が拍動するように、見た目も、触れた感じも生きている亀之丞であるかのように整えた。そして、少し前まで俺が横になっていた敷布団の上に降ろした。
「これが人形だと……なんとも恐ろしいほどに精巧なのじゃ!どこからどうみても亀之丞にしか見えぬ」
驚嘆の声をあげる直平。そうだろうそうだろう。
「これはいくつかある俺の能力のうちの1つ。細かな説明はしないが、物を作るということについての能力は特別なものがあると思ってくれればよい」
ここからが役割分担と認識のすり合わせで重要になる。
「千賀さん。この人形の亀之丞のお世話、千賀さんにお願いしたい。具体的には、今まで俺がされていたお世話のなかで、俺に近づき、触れる必要があるお世話は他の者には一切させないようにしてもらいたい」
「わかったわ。お食事とか、体を拭いたりとか、ね?お食事は、少し食べさせるふりとかで大丈夫かしら?」
「この人形は飲食できます。排泄はね、しません、できません、だね。排泄のお世話は、ばれないようにふりだけしてもらう感じになります」
「そうなのね、わかったわ。では私にお世話はお任せ下さい」
おとわが目を丸くして人形の亀之丞を見つめている。恐る恐るといった感じで近づいてきて、顔を覗き込む。
「亀之丞……?生きてるの?」
おとわの目にも、人形がまるで本物のように見えているようだ。これなら早々偽物であるとはばれはしないだろう。
「おとわ、それは生きているように見せかけているだけ。おとわが見ても生きているように思ったなら、俺としてもうまくいったと思えるよ」
「どうみても亀之丞にしかみえん……接点の薄い他の者どもでは、まずもって見破れまい。全くどうなっているのか見当もつかぬし、不思議なものだ」
直盛も感心したようでそう唸った。
これで隠れて行動ができるようになる。とはいえ、自由に城内や領内を出歩くわけにはいかない。それに、準備すべきことは山ほどあり、それはここではなく、魔力の濃い異世界でしかできないことがほとんどだ。
「いろいろと準備することがあるので、10日間そのために留守とします。10日後の夜、ここにいる全員と、あと、奥山のじい……
「10日もかかるのか?その間はどこにいるのだ?」
見当もつかないといった顔で直盛が問う。
「そうですね、上手な説明をするのが難しいのですが、俺を俺たらしめているものは、イザナミ様が導いてくださっています。イザナミ様のお導きは、言葉にするにはあまりにも抽象的で、説明が難しいのです。お導きに従って、俺が行くことのできる、この世界とは別の理の場所が複数あり、その場所のうちのひとつです」
「なので誰かに、例えば一番まずいのは小野とかに、見つかってしまうということはないから安心してほしい」
ひと呼吸おいて、さらに続ける。
「今川に従属している一国人領主が天下取りのためにこっそり反旗を翻し独立を目指そうというのです。普通じゃないでしょう?ですが、みんな、目の前にいるこの俺が神様の加護持ちの奇天烈な存在だともう知っている。俺も、俺が何のために存在しているのか、その天命は十分承知しています」
全員を見やり、言葉に力を込める。
「今の状況をひっくり返すための最初の一手の準備です」
深く息を吸い、魔力を練り上げる。そして空間に魔法陣を描き、転移の扉を開いた——。
「この魔法の扉は、世界を渡るためのもの。扉の向こうは、こことは別世界です。これより世界を渡り、10日後、龍泰寺に直接、この扉から戻ってきます」
「凛、愛、待たせたな!ではグリーンリーフ王国へと参ろうか」
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