第1部 井伊の独立戦、今川との戦い 第1章 神子誕生 井伊亀之丞とナオフミ・イイの融合
1‐1 第1話 神子誕生 井伊亀之丞の目覚め
【第1部 井伊の独立戦、今川との戦い】
第1章 神子誕生 井伊亀之丞とナオフミ・イイの融合
◇1545年(天文13年)1月下旬
遠江国井伊谷の冬。この地方は降雪地帯ではないが、アルプスを越えた乾燥した寒風が吹きつけて肌寒さを感じるところだ。ここは、井伊家が治め、居城を構える領地。浜名湖の北側に位置し、令和日本では静岡県浜松市
井伊家は今川家のお家騒動(
前年、井伊家当主
この状況を、親今川の家老
井伊谷城の一室。数え9歳となった亀之丞は原因不明の病により眠りについていた。数日もの高熱によりついに意識を失い、食も摂れなくなり、水だけは含ませて家中の者が必ず誰かが傍に付き添っていた。家中の者はみな、ただ、祈るように看病を続けていた。
令和日本の世界と戦国時代では、医療も、衛生も、食糧事情も比べ物にならない。国人領主たる武士の家に生まれただけ環境はましであろうが、この時代では死はとても近いものなのだ。
沈黙が支配するなか、重ぐるしく、絞り出すように
「……直盛よ、亀之丞にもしものことがあれば、次の井伊家の跡継ぎをどうするつもりか考えておるか?」
直平は井伊家当主直盛の祖父で、先代当主
井伊家の次代を担う男子は、亀之丞ただひとりだけ。直盛には娘がひとりいるのみであった。かの有名な『おんな城主
直盛は亀之丞の顔を心配そうに見つめながら、「亀之丞を失えば、娘の婿養子を今川に決められる可能性が高いだろうと思う……。井伊の力では、……抗えぬ。今度こそそれは受け入れるしかないであろうな……」
とつぶやく。
「小野のやつめは、義元に頼み込んで倅の
直平は苦虫をかみつぶしたような表情で吐き捨てた。
本当に、井伊家を取り巻く今の状況は、これでもかというほどに悪い方向に突きすすんでいるように思えるものだった。明るい話題が何ひとつとしてなく、これ以上状況が悪くなるのを必死に押しとどめようともがく毎日。直平、直盛の苦悩がいつ終わるのかのきっかけすら見えてこないほどだ。
――――――
亀之丞の寝所は、突如として異質な静寂に包まれた。かすかな鈴の音のような響きが遠くから近づき、空気が凍りつく。その刹那、深海の底で水晶が砕け散るように光がまばゆき、ゆっくりと部屋中を満たす……。
光はただ明るいだけではない。呼吸するように柔らかく揺らぎ、鋭く肌を刺す冷たさを含んでいた。横たわる亀之丞の胸の奥に、神気まばゆい力が流れ込み、心の奥底で何かが目覚めていくのを促しているようだった。
寝所から溢れる、清冽で、ひりつくような空気。
異変に気付いた直盛、直平は、慌ただしくもただちに亀之丞の寝所へ向かった。眩むまぶしさと神気に圧されながらも、腹に覚悟を決めて……ふすまをそっと開いた。
そこには、光がまぶしく顔も体の輪郭もはっきりわからないが、恐れを感じつつ、みたところ女神ではないかと思える存在がふわりと浮かぶように佇んでいた。亀之丞は、女神に抱えられて眠っている。どうやら、無事ではいてくれているようだ……。女神様は、なぜ亀之丞を抱きかかえているのであろうか?
とにもかくにも驚きのあまり固まってしまい、声も発することができず、ただじっと、二人は平伏してしばし女神を見上げていた。遅れて、同じように異変に気付いた
神秘的な響きを感じさせる声が室内に響き渡る。
『約束の時が来ました。亀之丞はわが神子であり、世界を守り導く使徒として、現世に降ろします』
『人の世たるこの世界は、人の子によりて営まれ、守られるもの。世界に危機の芽がうまれたため、私は亀之丞の才を信じ、加護をその身に与え託します』
集った井伊家の一堂は身じろぎすることもできない……。まるで金縛りにあったかのように。ただ、ただ、女神の発する言葉を必死に受け止めるのみ。
『直平よ、直盛よ、私の言葉をよく聞くのです』
『この子はあなた方の子であり孫であるのは変わりません。ただ、私の加護により、特別な存在になったと理解してください』
『……まもなく亀之丞は目覚めます。そして、秘められた真の才能が覚醒するでしょう』
女神の紡ぐ言葉を、決して聞き漏らさまいと、皆が必死に意識を保って光の先の神々しいお姿を見詰めている。
『これからこの世界の理は、ゆっくりと改変されていきます。亀之丞は運命と宿命を背負い、戦いの中において自らの決断を迫られる時が来るでしょう……』
皆は目を見張り、亀之丞を見つめなおす。まだ動く気配はない。
『我が名は
イザナミはそこまで言い終わると、身にまとう光が一層まばゆききらめき、……やがて静かに消えていったのだった。
――――――
消えたイザナミと、光の残滓がなくなると、そこには身の丈6尺はあろう若者が、ニコリと笑って立っていた。
「父上、おじい様。亀之丞です。どうやら死線を越えそうなところをイザナミ様のおかげで助かり、生きて黄泉の国より帰ってこれたようです」
驚愕の表情、そして戸惑いのなかに歓喜をにじませる直盛たち井伊家の家族一同。……そう、これから、井伊亀之丞の壮大な物語が始まるのだ。
――――――――――――――
【ご案内】
本作には、一部幻想的かつ感情的な描写が含まれます。
歴史・軍記・ファンタジーの要素と、人間関係の繊細な心理描写が交差します。
全年齢向けですが、苦手な方はご留意のうえお進みください。
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(あとがき)
戦国時代を舞台とした雰囲気が出るように試行錯誤を重ねています。それでも神話の世界観が登場するファンタジーですので、それを織り込んで読みすすめていただければ、と思います。
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